アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
第五部:シンガポール編 (2008−2020年)
Def Leppard― Live in Singapore
日付:2015年11月24日                                                                         会場:Suntec Convention Centre 
 半年振りのロック・ライブはDef Leppard。このバンドは、実は私はほとんど同時代では追いかけていなかった。彼らが3作目のアルバム「Pyromania」でブレイクしたのが1983年、続く4枚目の「Hysteria」でその人気を確固たるものにしたのが1987年なので、まさに私のロンドン滞在期間と重なっている。しかし、当時 Iron Maiden 等と同様のスラッシュ・メタル的な感じがあったからだろうか、当時はこのベストセラーとなった2作もあえて購入してじっくり聴こうという気にはならなかった。ただ1984年、このバンドのドラマーが交通事故で片腕を失ったが、他のメンバーが彼なしでのバンド存続は考えられないとし、片腕で演奏できる特殊仕様のドラムを彼のために開発し、バンドが存続することになった、という話は同時代で耳にして感動した記憶がある。

 結局このバンドをまともに聞くことになったのは、それから約20年が経過しシンガポールに来て、彼らの2枚組ベストCDを購入してからであった。そしてこれを繰り返し聴くうちに、このバンドが、決して単純な勢いだけのメタルではなく、むしろメロディアスな曲が主体のAOR的な音楽をその当初から志向してきたことを知ったのであった。それは年齢的にもこうした音を好む現在の私にフィットすることになった。

 ネットで改めてバンドの歴史を見てみると、英国シェフィールドで結成(ということは、Genesisと同郷ということになる)された後、メジャー・デビューが1980年。当初のメンバーは以下のとおりであったが、一人が死亡、一人が脱退し、現在のメンバーになっているという。ヴォーカルのジョー、ベースのリック、そして片腕ドラマーのリックの3人がオリジナル・メンバーである。

• ジョー・エリオット(Joe Elliott)(ヴォーカル)
• リック・サヴェージ(Rick Savage) (ベース)
• リック・アレン (Rick Allen) (ドラム)
• スティーブ・クラーク(Steve Clark) (ギター) 1991年没。
• ピート・ウィリス (Pete Willis) (ギター) 1982年脱退

現メンバー(1992年以降)

• ジョー・エリオット (Joe Elliott) (リードヴォーカル、アコースティックギター、ピアノ)
• リック・サヴェージ (Rick Savage) (ベース、ヴォーカル)
• リック・アレン (Rick Allen) (ドラム)
• フィル・コリン (Phil Collen) (ギター、ヴォーカル)
• ヴィヴィアン・キャンベル (Vivian Cambell) (ギター、ヴォーカル)

 今回のシンガポールでのライブは、この1992年以降変わっていないメンバーによるもので、この公演直前の10月にリリースされた、2008年の「Songs From The Sparkled Lounge」以来の新作「Def Leppard」を引っさげての公演である。シンガポールの前には、4年振りの日本公演を、東京、大阪、名古屋、仙台で行っている。シンガポールでの彼らのライブは、1996年以来19年振りということである。

 今回の会場は、マリーナ地域にあるSuntec Convention Centre。以前から講演会などでは何度か訪れ、また街中に住んでいた時は、時々食事などもしていた場所であるが、コンサートができる会場があるというのは知らなかった。当日軽い夕食を済ませて、建物の6階に昇ると、そこが大きな空間になっていて、ステージ前の立見席と、その背後に半円形の席が設けられていた。立ち見を合わせて3000人くらいの収容、という感じだろうか?今回の私の席は、S$152で、ステージを斜め右に見下ろす、立見席の後方から10列目くらいの位置である。ステージ横の席は、開演の8時を過ぎても結構空席が目立っていた。コンサート直前に、プロモーターが、このコンサートの「グループ・ディスカウント」の宣伝をしていたところをみると、必ずしもチケットの売れ行きは良くなかったのだろう。このあたりが、4ヵ所で公演を行っている日本とこの国のロック音楽市場の差なのであろう。

 予定開演時刻から待たされること30分、8時半にようやく会場が暗転し、コンサートが開始された。いつものように、分かる範囲で当日のセットリストを記録すると、以下のとおりである。

(演奏曲目)
@ Let’s Go (Def Leppard, 2015)
A Animal (Hysteria, 1987)
B Unknown
C Dangerous (Def Leppard, 2015)
D Love Bites (Hysteria, 1987)
E Armageddon It (Hysteria, 1987)
F Base solo→Rock Brigade (On Through The Night, 1980)
G Two Steps Behand (Retro Active, 1993)
H Rocket (Hysteria, 1987)
I When Love & Hate Collide (Vault:Greatest Hits, 1995)
J Unknown (Instrumental)
K Hysteria (Hysteria, 1987)
L Let’s Get Rocked (Adrenalize,1992)
M Pour Some Sugar On Me (Hysteria, 1987)
(アンコール)
N Rock of Ages (Pyromaniam1983)
O Photograph (Pyromaniam1983)

 オープニングは、新作からの@。この新作は、ネットでの評はまずまずであるが、私は初めて聞くアップテンポのロックである。配置は、向かって左からギターのヴィヴィアン・キャンベル(ヴィヴィアン)、ベースのリック・サヴェージ(サヴェージ)、ヴォーカルのジョー・エリオット(ジョー)、ギターのフィル・コリン(フィル)、そして後方にドラムのリック・アレン(アレン)。言わばオリジナル・メンバーの3人を、両サイドからギターの二人が囲む形である。この日の大きな関心は、片腕ドラマーのアレンのスティック捌きであるが、これは時折映されるスクリーンでの後方からのショットで垣間見られるだけで、直接にはシンバルが邪魔で見ることはできない。ステージ中央から花道が立見席に伸びており、そこにフロントの4人が出たり入ったりすることになる。

 大ヒットのAで、個人的にはようやく盛り上がる。このバンドは、テクニックは取り立てて目を引くものはないが、印象的なメロディーと、全員がヴォーカルをとれるコーラスが魅力で、この曲もその典型である。ただPAが今ひとつで、音がきれいに聞こえないのは、本格的なコンサートを念頭に作られたわけではない会場のせいなのだろうか?

 ミディアム・テンポのロックで私が特定できなかったB、新作からのCを経て、ようやく全盛期のヒット・パレードに入り、DEFと、それぞれ覚えやすい名曲が続く。ジョーの声は、どこかボンジョビと似ていて、またメロディーラインもしっかりしていることや、演奏の質もボンジョビの音を想起させる。Gは、ジョーが一人でアコースティックの弾き語りを披露。歌詞がやや月並みであるが、彼のしわがれた声が、かろうじてこの曲のロック的な雰囲気を維持させている。HIと、ヒット曲が続き、そこでサヴェージのベース・ソロから、ギター二人のユニゾンに移行する、アップテンポのインストルメンタル曲が披露される。そしてその最後に、アレンのドラム・ソロ。このソロでの右手の動きをもう一度注意して見ていたが、時折映されるスクリーンでは、それほど右手が特殊な動きをしている訳ではないが、最後は連打の音も入ったりと、彼のために開発されたドラムが、それなりに機能していることは確認できた。KLMとヒット曲が続き、いったん彼らはステージを引き上げた。

 改めて登場しで披露されたのも、知られた2曲。ただ、これが終わったのが午後10時で、まだまだ続くと思われたが、これが実はアンコールであった。ジョーが会場に向かい「次回は19年待たせることはないからなぁ」等と告げながら、この日の1時間半のコンサートは終了した。最近のコンサートでは、昨年のPat Methenyのように、3時間超のものもあっただけに、正直「えっ、もう終わりかよ」という感じであったが、取りあえず主要なヒット曲は網羅したコンサートであったので、取りあえず良しとしよう。

 当地新聞(The Straits Times)には、公演前に彼らのインタビュー記事が、公演後にコンサート評が掲載された。最後に簡単にそれらの記事を見ておこう。

(11月23日付)

 ベテラン・英国ロックバンドのフロントマンは、1996年のシンガポールでの公演をよく覚えている。「その時、僕たちはシンガポール政府から、奇妙なリクエストを受けたんだ。それは、我々が何を着ていいか、また何を着てはいけないか、というものだった。」56歳のリード・シンガー、ジョー・エリオットは、滞在中の日本からの電話インタビューで、その時のことをそう語っている。「肩は出してはいけない。膝もカバーされなければならない。ギターのヴィヴィアンは、それでは法律的にはドレスは許されているのだ、といって、カメラマンにドレスを着た写真を撮らせたんだ。」

 彼らは全盛期の80−90年代のようにチャートを賑わすことはないが、彼らの影響は明らかに現代のポップ音楽に残っている。「僕らの影響を受けたというロックバンドはほとんど聞かないが、ポップ音楽にはもっと強い影響を残している。Taylor Swift 、Pink、Lady Gaga らは僕らの影響を口にしているし、Jewel や Alison Krauss もだ。僕らの音楽はストレートなヘビーメタルではなく、むしろ男だけでなく女性も好むロックなんだ。」(その後、バンドの歴史や全盛期のアルバム・セールス、そしてアレンの事故などに触れているが、これは省略。)今回の久し振りのツアーは、今や家庭と子供を持つメンバーの公私のバランスを考えて、ゆったりとしたスケジュールになっている。「バンドが年齢を重ねるにつれ、僕たちは益々うまく時間管理をしなければならなくなっているんだ。」「でも僕らはまだ多くの新たな作品のアイデアを持っているし、これからもこれらを発表していくよ。」
 
 大人になったかつてのヘビメタ・バンドということだろうか?しかし1996年のシンガポールでのロックコンサートの際にまだ衣装の制約があったというのは面白い。因みに今回のライブで、ギターのフィルは、コンサートの間中ほとんど上半身は裸であった。

(11月26日付)

 「ファンから二歩下がって」と題された記事は、「彼らが19年振りの当地でのライブで、ファンに懸命に答えた」と始まる。「19年前のインドア・スタイアムでのライブに参加したファンにとっては、それは懐かしい光景で、他方若い新たなファンにとっては待ちかねた機会であった。」「8時半に彼らが現れたるや否やー彼らのベストセラーアブバムのタイトルを借りればーヒステリア状態がもたらされた。20代から年齢が上のファンまで7000人(そんなにいたか!)は予想されたとおり彼らを熱狂で迎えた。」「バンドは、パンのどちら側にバターを塗れば良いかを分かっていた。今回のツアーは新しい作品の発表を受けたものだが、バンドはファンが80−90年代の作品を期待していることを知っている。そして、オープニングこそ、新作からのLet’s Goであったが、その後は大ヒット曲が続くことになった。」「しかし、彼らはただの過去のバンドという訳ではなく、この日も90分のコンサートを通じてレベルの高さ( in top form )を示した。全員50歳代となったバンドであるが、すぐにステージを支配した。ギタリストのフィルは、コンサート中、ほとんど上半身裸で、彼の半分くらいの年齢のファンも羨むようなギターソロを繰り出した。ジョーのヴォーカルは衰えることなく、特にTwo Steps Behind やWhen Love & Hate Collide 等のバラードでは聴衆からの歌声と共に会場を揺るがせた。」「会場に関しては、Suntec Convention Centre は、将来に向けての規制緩和という課題を残した。多くのファンは、食べ物や飲み物の会場への持ち込みができないことを知らなかったために、コンサート開始と共に、多くの飲みかけのビールなどがロビーに散らばっていた。ただ伝説的なPour Some Sugar On Me の最初のフレーズが聴こえた頃には、観客のそんなものへのこだわりは、ほとんど雲散霧消していたが。」「Do ya wanna get rocked? ジョーが、1992年のアルバム、Adrenalize からのこの歌のタイトルを叫ぶ。火曜日の夜は、ファンは確かにロックしたのであった。」

 コンサート終了後、一杯ひっかけるために立ち寄った会場近くのバーで、3人組のバンドが、Two Step Behind と Pour Some Sugar On Me を、コンサートから流れてきた我々のような連中を前に演奏していたのはご愛嬌であった。

2015年11月29日 記