アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
第五部:シンガポール編 (2008−2020年)
Elton John― All The Hits Tour
日付:2015年12月1日                                                      会場:The Star Theatre 
 年末のロック・ライブ三連荘の2つ目は Elton John である。

 エルトンのライブは初めての経験であるが、このチケットは売り出し開始後、直ちに手配した。その一つの理由は、コンサート会場が私のオフィスのすぐ近くにある The Star Vista というSCにあったことである。食事やその他の簡単な用事で頻繁に訪れているこのSCに、こうしたコンサートができる会場があることは聞いていたが、エルトンのような、通常スタジアム規模で開催されるライブができるとは考えていなかった。12月1日、2日の2日間にわたるコンサートで、チケットの最高額はS#488と高額であることから、会場は結構狭いのではないかいう期待もあった。ただ、さすがにこんな高額チケットは手が出ないので、安目のS#188のチケットを手配した。

 エルトンとは、彼がデビューした時からの長い付き合いである。しかし音源としては、若い頃安売りで買ったアナログ盤「Tumbleweed Connection,1970」を除けば、後年、Dream Theater によるオープニング曲のカバーに触発され購入したCD版「Goodbye Yellow Brick Road, 1973」、そして確かマレーシアであったと思うが、街中を散策していた時に見つけたCD2枚+DVD (One Night Only, 2001年ニューヨーク、マディソン・スクエア・ガーデンでのライブ)のベスト盤くらいしか持っていない。それに1992年のバルセロナでのライブ映像。これらを聴きこんで当日のコンサートに向かった。

 当日、オフィスから徒歩でも数分で行けるその SC で軽く友人たちと夕食をとり、会場に向かう。7階のホール入り口では、エルトンの蝋人形(セントサのマダム・タッソーから一時的に持ってきたのだろう)があり、列が短かったことから遊びの記念写真をとってから席に向かう。しかし、私たちの席は、そこから更にエスカレーターを乗り継いだ10階であるという。そして席に着くと、眼下には壮大な会場が広がっていた。こんなところに、こんな広い会場があったのだ、と驚くことになった。

 8時丁度に席に着くと、直ちに8時10分、会場が暗転し、エルトンとバンドが登場し、私がCD版「Goodbye Yellow Brick Road, 1973」を買うきっかけとなった、Dream Theater もカバーした、壮大なプログレ曲からコンサートが開始される。バンドは、ステージ中央向かってやや左にエルトン、そしてベースとギターが右に並ぶ。後方には左からキーボード(主としてシンセ)、ドラム、パーカッションという、エルトンと5人のメンバーである。今回はアメリカから始まり、日本を含むアジア、オーストラリアを回る長いツアーということもあるのだろう、コーラス等は入れない、最小限のメンバーという感じである。ネットによると、この日のメンバーは以下のとおりとのことである。

・デイヴィー・ジョンストン(Davey Johnston):ギター, 音楽監督, ボーカル。  (1971年にエルトンと最初のレコーディングを行い、その翌年からバンドに参加)
・ナイジェル・オルソン(Nigel Olsson) :ドラム, パーカッション, ボーカル(エルトンのオリジナル3人組バンド以来のメンバー)
・マット・ビソネット(Matt Bissonette):ベース・ギター, ボーカル
・ジョン・マホーン(John Mahon): パーカッション, ボーカル
・キム・バラード(Kim Bullard):キーボード

 当日のセットリストについては、まだネットでも紹介がなく、且つ20曲以上が次々に演奏され、私のいつものメモも、暗闇が続き判読不能になっているので、やや不正確かもしれない。それを前提に、取りあえずの記憶で再現すると以下のとおりである。

(演奏曲目)

@ Funeral For A Friend/Love Lies Bleeding (Goodbye Yellow Brick Road, 1973)
A Bennie And The Jets (Goodbye Yellow Brick Road, 1973)
B Candle In The Wind (Goodbye Yellow Brick Road, 1973)
C All The Girls Love Alice (Goodbye Yellow Brick Road, 1973)
D Levon (Madman Across The Water, 1971)
E Tiny Dancer (Madman Across The Water, 1971)
F Believe (Made In England,1995)
G Daniel (Don’t Shoot Me I’m Only A Piano Player,1973)
H Philadelphia Freedom (Fantastic & Brown Dirt Cowboy, 1975)
I Goodbye Yellow Brick Road (Goodbye Yellow Brick Road, 1973)
J Piano solo →Rocket Man (I Think It’s Going To Be a Long,Long Time) (Honky Chateau,1972)
K Hey Ahab (The Union, 2010)
L I Guess That’s Why They Call It the Blues (Too Low For Zero,1983)
M The One (The One, 1992)
N Your Song (Elton John, 1970)
O Burn Down The Mission (Tumbleweed Connection,1970,)
P Sad Song (Say So Much) (Breaking Hearts,1984)
Q Sorry Seems To Be The Hardest Word (Blue Moves, 1976)
R Introduction member→Don’t Let The Sun Going Down On Me (Caribou, 1974)
S The Bitch Is Back (Caribou, 1974)
21 I’m Still Standing (Too Low For Zero,1983)
22 Your Sister Can’t Twist (But She Can Rock’n Roll) (Goodbye Yellow Brick Road, 1973)
24 Saturday Night’s Alright For Fighting (Goodbye Yellow Brick Road, 1973)

(アンコール)

25 Crocodile Rock (Don’t Shoot Me I’m Only A Piano Player,1973)

 @は、マレーシアで購入したCDとセットの映像(One Night Only)でもオープニングで演奏されていたが、なかなか聴きごたえのある名作である。この日の演奏も、美しいメディーのみならず、途中のインスト部分の展開も、彼の才能とセンスが詰まっている。叩くようなピアノで始まるAも、若い頃ラジオで嫌というほど聴いた作品。そしてBは、言うまでもなく、オリジナルは、マリリン・モンローを歌ったものであるが、1997年、ダイアナの葬儀で歌詞を変えて歌われ、彼の最大のシングルヒットとなった作品である。

 CDとも昔の作品であるが、アップテンポのプログレ風ロックで、途中のアドリブが延々と続く。PAは、先日の Def Leppard とは比較にならないほど透明で、彼の歌を含めて、各楽器の音がきれいに判別できる。そしてエルトンは、1947年生まれであるので、もう67−8歳であるが、歌唱に加えて、激しい間奏でのピアノ演奏も、とてもそうした年齢は感じさせない力強さである。そしてアップテンポの曲の次は、彼の歌をじっくり聞かせるバラードが続く。EFGHIと、名曲のオンパレードである。

 Jは、彼のピアノ・ソロでの開始である。もちろん彼のピアノ・ソロで始まる曲は多いのであるが、これは5−10分ほどそれが続く。4歳からピアノを弾き始め、11歳で王立音楽院に入学しているほどなので、彼のピアノの腕は確かなのであるが、保有している映像を含め、彼の長いピアノ・ソロはこの日初めて聴くことになった。もちろんジャズ・ピアニストには及ばないが、中々アイデアが詰まった、味わいのあるソロである(コンサート後、「バルセロナ・ライブ」の DVD を再度見たところ、ここで似たようなソロが演奏されていることを再発見した!)。そして、それから再びポップなJ後半に映っていく。Kは、私の知らない曲であったが、曲紹介で Leon Russel の名前が語られていた。後で調べたところ、2010年に彼と共作した作品からの一曲であった。

 LMNと名曲が続き、また初期のOでは長尺のアドリブを含むプログレ調の演奏が繰り広げられる。この曲が入っている「Tumbleweed Connection,1970」は、前述のとおり、私が若い頃購入した唯一の彼のアナログ作品であるが、長らく聴く機会がなく、今は日本の自宅物置のダンボール箱の中に眠っているので、この曲は全く記憶していない。ただアレンジが、オリジナルと相当変わっていることは間違いない。実際1992年のバルセロナ・ライブの映像では、既にこの日と同じようなアレンジで演奏されている。PQも名曲である。

 メンバー紹介に続き、かつて George Michael とのデュエットで大ヒットしたR。個人的に最も好きな彼の曲の一つである。そしてその後は終了まで、ロックンロール調のアップテンポのヒット曲オンパレードとなる。アンコールはこれまた大ヒットの25。こうして圧倒的なエルトンのコンサートが終了したのは10時40分。2時間半にわたる素晴らしいコンサートであった。

 既に映像で見慣れていたとは言え、何よりも彼の生声と生演奏を聴くことができたのは何よりであった。それは思った以上に強靭で、且つ演奏も確かであった。この圧倒的な歌唱・演奏力が、彼が半世紀近くに渡り、エンターテイメント界の最前線で活躍してきた理由であろう。ドラッグや女性・男性関係など、若い頃からスター特有のスキャンダルにまみれながらも生き延びてきたこの稀代のシンガーソングライターの真骨頂を堪能した、一生に一回は見ておいて損はないコンサートであった。

 公演後、当地新聞(The Straits Times)に、「Rocket Man着火」と題されたコンサート評が掲載された。いつものように、最後にその記事を紹介する。

(12月3日付)

 オープニング曲の「Funeral For A Friend/Love Lies Bleeding」の最初の数節を聴いただけで、この英国ポップイコンの歌唱が何かおかしいのを感じた。彼のバリトンヴォイスはやや掠れており、力強さが欠けていた。更に彼の最も知られている曲のひとつである「Candle In The Wind」では音を外すことまであった。

 この曲が終わったところで、その理由が約5000人の観客に向けて本人から語られた。彼は、この会場での2日間の公演初日、ひどい風邪をひいてしまったということだった。しかし完璧なプロとして、彼はそれでもこのショウをやり遂げると約束し、確かにそれを実行した。

 驚くべきことに、彼はその義務を果たしただけでなく、彼の声は、公演が進むにつれ、どんどん響き渡っていった。その秘密は、彼が、曲が終わる度に啜っていた、ピアノの脇に置かれた飲み物にあったのかもしれない。あるいは、選りすぐられた彼の優れた70年代を中心にした初期の作品での興奮からもたらされたのかもしれない。

 「Saturday Night’s Alright For Fighting 」や「Your Sister Can’t Twist (But She Can Rock’N Roll)」を含め、1973年の独創的なアルバム「Goodbye Yellow Brick Road」から多くの作品が披露された。多くのスパンコールがついた電光ブルーのスーツに身を固めたジョンは、今回のツアーが「All The Hits Tour」と名づけられたのが、誇張ではないことを証明した。演奏リストは観客を、彼の曲がより独創的で複雑だった、ポップ音楽の様々な時代に立ち戻らせることになった。「Levon(1971)」、「Tiny Dancer (1971)」、「Bennie And The Jets (1973)」などは、全て、中ほどの長いジャムと圧倒的なエンディングという劇的なアレンジが施されていた。

 それに加え、「Funeral For A Friend/Love Lies Bleeding (1973)」や「Burn Down The Mission (1970)」といったポップ・ロックの曲では、このシンガーソングライターのピアノ弾きとそのバックバンド5人による、プログレッシブ・ロック的なリズム変化とワイルドな演奏で観客を驚かせた。ジョンの気合の入った演奏は、特に「Rocket Man (1972)」での早弾きのピアノ・ソロで披露された。

 観客の拍手の大きさから考えると、最も人気があったのはこうしたロック調の曲ではなく、一連の壮大なバラードのヒット曲であった。「Sorry Seems To Be The Hardest Word」、「 Don’t Let The Sun Going Down On Me」は、観客が熱狂したバラードのうちの数曲に過ぎなかった。他方、演奏されなかった曲で目立ったのは、「Can You Feel The Love Tonight (1994)」、「The Lion King」、「Something About The Way You Look Tonight」、「The Big Picture」などであった。

 自分のよく知られたヒット曲のいくつかを、2時間半の「Greatest Hits」と題したコンサートで披露することができないアーチストは、そう多くない。しかし、風邪を克服し、このショウを作り上げたジョンは、やはり普通のアーチストではなかったのである。
 
2015年12月6日 記