ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
Glenn Hughes featuring Doug Aldrich― Live in Singapore
日付:2015年12月11日 会場:TAB Orchard Hotel
年末三連荘のロック・ライブの最後は、第三期Deep PurpleのベーシストとWhitesnakeのギタリストによるトリオでの、ハードロック・ライブである。会場のTABは、3年前にDream Theater残党のライブでいったことがあるが、狭い会場で、ビールを飲みながら気楽に音楽を楽しむことができることから、今回も立ち見S$128のチケットを購入した。
以前に来た時は、それほど名の知られていないメンバーでのライブにも拘わらず、開演前の会場入口には長い列ができていたが、この日はそれも全くなく、開演直前の8時に開場に入り、前回の時とほぼ同じ位置で、ビールを飲みながら開演を待つことになった。
今回の予習ネタは、まずバンドのリーダーであるGlenn Hughes (以降「グレン」)が参加している Deep Purple の1974年の「California Jam」と、サブでフィーチャーされている Doug Aldrich(以降「ダグ」) が参加している Whitesnake の2004年のライブという2つの映像、そして Deep Purple と Whitesnake のCD音源である。グレンを見るのは初めてであるが、ダグは、3年前、Whitesnake で来星し、Fort Cunningでのオープン・エアーでのライブで、その素晴らしい演奏を目撃している。その時の Whitesnake のツアーは、当時発表された最新CDのツアーであったが、その後ダグは、David Coverdale(以下「デヴィッド」)と別れ、グレンに合流したということだろうか?いずれにしろ、グレンについては、上記の Deep Purple の映像から40年以上経て、あの頃のロッカー的な容姿と高音でシャウとするヴォーカルがどう変わっているかが、今回の最大の関心であった。この二人をドラムで支えるのはスウェーデン人の Pontus Engborg なる男である。
8時15分、3人が狭いステージに登場し、いきなりDeep Purple の Stormbringerでのオープニングである。Whitesnake の映像や、3年前のシンガポール・ライブでは、Burn の途中に挿入される形で演奏されたが、この日は単独の曲として披露される。グレンのヴォーカルは、昔がっかりしたイアン・ギランに比べると十分声がでている。そして早速彼の高音でのシャウトが聞かれるが、これも1974年の映像でのそれとあまり変わっていない。ただ、既に公演予告の写真で写っていた、髪の毛を短く切り、サングラスをかけた彼の容姿は、1974年の映像での、裸の上半身に白いシルク製のようなパンタロン・ス−ツの上下を纏い、長い髪の毛を、顔が見えないくらい振り乱しながらデヴィッドとかけあっていた姿とは大違いで、むしろ完全に成熟した大人のロッカーの雰囲気である。これに対し、ダグは、3年前と変わらない、細身の体と長髪で、速弾きのソロを次々に繰り出していく。ただやはり Def Leppard と同様、PAはあまり良くなく、また何よりも、全く彼らに照明のスポットが当たらない。グレンのヴォーカルや、ダグのソロも、全体の薄暗い照明だけでしか見ることができない。それは短い花道に出てきて演奏される時も同様である。ダグの早いソロでの指使いも見えないのは、たいへん残念であった。
演奏は、 Stormbringer から、グレンのソロからと思われる2曲、そしてベース・ソロから始まるインスト曲と続いていく。やはり知らない曲はいま一つ盛り上がりに欠ける。4曲終わったところで、グレンのMCが入る。演奏されるハードな曲とは打って変わった控えめな声で、「これが6カ月に渡ったツアーの最終日で、明日ロスアンジェルスに帰り家族と会うんだ」といった感じである。確かに、コンサート後確認してみると、3月の米国ツアーの後、8月以降南米、欧州大陸、英国と回り、去る12月8日、9日と2日間の東京公演(下北沢ガーデン)、そしてこの日のシンガポールがツアー最終公演であった。
1982年に書いた曲、と紹介された5曲目。そして「ティーンエイジャーの頃の曲」と紹介されたのが、この日唯一オリジナルで曲名が特定できた「Touch My Life」。さらにオリジナル一曲をはさみ、「1973年の曲だ。君たちが3歳くらいの頃だ!」という紹介を受け、ダグのギター・ソロから始まったのが Deep Purple の「Mistreated」。1974年の映像ではデヴィッドが切々と歌い上げたバラードであるが、さすがに曲が良いと、グレンの歌も十分説得力がある。後半改めて長いギター・ソロが入り終息する。
オリジナルのミディアム・テンポのロックからドラム・ソロへと移るが、これはまあ普通のソロ。やはり、昔ロンドンの Whitesnake ライブで見た、故コージー・パウエルのど派手なソロとは比較にならない。更に一曲オリジナルを挟み、そろそろ1時間を超えてきたなと思った時に始まったのが 「Burn」。それまで演奏されなかったので、これはアンコールかな、と思っていたが、その通りであった。当然 Deep Purple 時代のサビ部分だけでなく、メイン部分もグレンがヴォーカルを取るが、デヴィッドとは異なるものの、しっかり聴かせるのはさすがである。サビの高音シャウトも決して衰えていない。ただキーボードがいないので、後半のキーボード・ソロは省略されていた。こうして約1時間半のライブは10時前に終了した。
グレンは1951年、グラスゴー生まれなので、現在64−5歳。1969年、トラピーズ(Trapeze)のベース兼ヴォーカルとしてレコード・デビュー。そして1973年、第三期 Deep Purpleに デヴィッドと共に参加し、一躍脚光を浴びることになる。1976年(というのは、私の就職前年である)、Deep Purple解散後、ソロ活動に入るが、それ以降は、私は彼の活動を知ることなく、現在に至ってしまった。しかし、今回、このコンサートを機会にネットを見てみると、ソロ活動に入ってからも、彼は Pat Throll(一時期ASIA のギタリスト)、Geoff Dawnes(ASIA/YES)、Tony Iommi(Black Sabbath)、Joe Lynn Turner(Rainbow)、そしてKeith Emersonら、多彩なミュージッシャンと活動してきたことが紹介されている。またGary MooreやEric Nolanderの作品に参加したり、一時期はEuropa のメンバーとも一緒に活動していたようである。その意味で、この40年、私の知らないところで、彼は継続的にこの世界で生き延びていた。そして、近年は、この日演奏されたDeep Purple のみならず、Trapezeの曲も演奏しているというので、この日私が認識できなかった曲の中には、こうした彼の初期の曲も含まれていたのかもしれない。私の青春時代のある種のアイドルが、いい歳をした叔父さんになっているのを見るのはやや寂しいが、それでも彼らの音楽はそれほど変わっているわけではない。それなりのミュージッシャンの変わることにないロックへの熱い思いを感じた、2015年最後のライブであった。
2015年12月13日 記