アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
第五部:シンガポール編 (2008−2020年)
Bill Frisell Trio live in Singapore
日付:2019年5月29日                                                                      会場:Victoria Theatre 
 米国のギタリスト、Bill Frisellトリオでのシンガポール公演。メンバーは、ドラムRuby Royston、ベース Thomas Morganということである。Bill(以下「ビル」)は1951年3月、米国メリーランド州生まれということなので、現在68歳。1982年、パット・メセニーの推薦で、モール・モチアンのリーダー作「Psalm」に参加し、それがきっかけとなり翌年「In Line」でソロ・デビューしたということなので、遅咲きのギタリストといえるが、その後はコンスタントに作品を発表してきている。

 私が彼の音楽に始めて接したのは、ベーシスト Marc Johnson のリーダー作品「The Sound of Summer Running」(1998年)であった。Marc Johnson 自身も私はあまり知らなかったが、Pat Methenyが参加していることで入手し、そこで彼と共にフロントを担っていたビルのギターを初めて聴くことになった。もちろんそこでのパットのソロは秀逸であったが、彼とはまた違うタッチのビルのソロも、その作品のタイトルとジャケットそのもののように、清々しく、それを機会に、このギタリストに関心を持つことになった。しかし、その後偶々安売りで入手した彼のソロ「Is That You?」(1990年)は、やや掴みどころのない印象で、あまり聴くことがないまま現在に至っている。ただ、その後かつて傾倒した MaCoy Tynerが、老境に至り初めて本格的に複数のギタリストと競演した作品「Guitars」(2008年)でも、ビルはJ.Scofield や D.Trucks らと共に参加しており、その意味で、この世界では確固たる評価を確立している。

 その彼が、5月半ばから約2週間にわたって開催される「Singapore International Festival of Art」の一環としてライブを行うという情報を、公演日の直前に入手。会場も自宅に近く、チケットもS$50と手頃であったことから、慌ててチケットを入手することになった。

 会場の Victoria Theatre は、MRTの City Hall と Raffles Place のほぼ中間、シンガポール川沿いにある小さなホールで、私は以前、アマチュアのビッグバンド・ジャズのライブで来たことはあるが、プロのミュジッシャンのライブを聴くのは初めてである。自宅から30分もかからず到着し、川沿いで時間を潰してから、開演の5分ほど前に会場に入る。会場は、おそらく200人程度の小さなホールで、私は最後部に近いが、それでも然程ステージまでの距離がある訳ではない。席はほぼ埋まっているが、どちらかというと欧米系の観客が中心である。

 ここのところライブの前に、ネットで当該ミュージシャンの最近のセットリストを見てから行くのが通例になっている。しかし、このギタリストの場合、例えば今月は、5月5日にNYでの演奏を終えた後、ヨーロッパに飛び、8日から、ハンガリー、ドイツ、オーストリア、スウェーデンを周り、直前は26日にベトナムはホーチミンで演奏しているが、全くセットリストは表示されていない。もともと、曲名で聞かせるミュージシャンではないので、それはほとんど意味がないのだろう。こうして全く予習もしないまま待っていると、定刻を10分ほど過ぎたところで、3人がステージに登場。ビルが、ベースのトーマスとドラムのルビーを紹介し、直ちに演奏が始まる。

 ビルを中央に、左がベース、右がドラムというシンプルなセッティング。まずは、ビルの調弦を行っているような、ハーモニックスでの幻想的なスタートから、ベース、ドラムが参入するが、一定のリズムはない、フリージャズ的な、しかしいかにもECMが好みそうな透明感溢れる音でのアプローチである。しばらく、そうしたある意味では「レイドバック」的な演奏が続いたのち、アップテンポのリズムが生まれ、ややポップなメロディーラインをベースにした展開に移り、ベース・ソロなども披露される。そして再び、リズムのないスローで、時折やや金属的な響きも交えた音遊びとなり、それが次第に盛り上がり、最後はファズで歪ませた、音量も大きい「フリーフォーム」の演奏となり収束する。20分近い、明らかに3つのパートからなる組曲的な展開の曲想である。

 続けて2曲目も、やはり静かに始まり、次第にロック的な8ビートに移行。ファズを聞かせた中盤から、また静かに終了する。これも最初の曲と同様、15分程度の長い曲である。

 3曲目にようやく「普通」の4ビートのジャズが演奏される。ビルのソロからベース・ソロ、そしてドラムとの掛け合いに移るが、ここで、どうもバスドラのペダルが外れたようで、ルビーが一瞬演奏をやめてしゃがみこみ、会場から笑いが漏れる。あまりプロの演奏では見られない光景であるが、当日のチケット代を考えると、安いギャラで、専属ローディーもいないツアーをやっているのだろう。

 4曲目は、今度は一転8ビートの親しみやすいメロディーの曲。ちょうど、昔のシャドウズのH.マービンのギターのようで、それこそTVコマーシャルにでも使えそうである。途中から、「あれ、どこかで聴いたことのあるメロディーだ」と思ったら、ビートルズの「In My Life」であった。この曲は、Al Di Meolaも、彼のビートルズ・トリビュートのソロ・アルバム「All Your Life」(2013年)のイントロでカバーしているが、こちらはアコギ、この日のビルのカバーはエレキということで、また雰囲気は異なる。ただやはりこうした聴きなれたメロディーが出てくると、今までの緊張感がいっきに緩むのを感じる。コンサート後、YouTubeで彼の映像を眺めていたら、実際、彼はこのビートルズ作品を「Strawberry Fields Forever」とメドレーで演奏したり、またそれ以外にも「Come Together」等ビートルズのカバーは結構取り上げているようである。ヒット曲がないギタリストなので、こうしたカバーは必要なのだろうが、それでもあくまで一曲、しかも曲の途中から挿入、というところが、彼なりの誇りなのであろう。こうしてこの曲が収束したのは9時15分。演奏開始からちょうど1時間で、メイン・ステージが終了し、彼ら3人はいったん引き上げる。が直ちに戻り、アンコールで、ややアップテンポの8ビート曲が演奏される。途中にファズで歪めたソロを挟み、最後はベンチャーズの「アパッチ」のフレーズが一瞬聴こえたかな、と思ったら終了した。時間は9時半丁度であった。

 ビルのギターは、Al Di Meola のような超絶速弾きのテクニックを披露する訳でもなければ、Pat Metheny のような独自の印象的なメロディーとアンサンブルの構成美を持っている訳でもなく、何が彼の持ち味なのかがやや不透明になる。実際、コンサート後、YouTube にアップされている、私がまだ接したことのない彼の他のCD作品等も聴いてみたが、やはりフリージャズ的な「音遊び」があったかと思うと、続けてシャドウズ的なポップ音楽があったり、あるいはカントリータッチのギターに移ったりと、全くとりとめがない。ある意味そうした多様性が彼の特徴であり、またそれ故に、彼が参加すると音楽の質が一変するということで、他のミュージシャンからも声がかかることになっているのかもしれない。彼がそうした不思議なギタリストであることを改めて実感したこの日のライブであった。

2019年5月31日 記