アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
第五部:シンガポール編 (2008−2020年)
U2-Live in Singapore
日付:2019年12月1日                                                              会場:Stadium 
 シンガポール初の、そして私にとっても初めての彼らのライブである。

 彼らのメジャーデビューは1980年であり、私のロンドン時代が彼らの創世記にあたる。既にその頃から名前は聞いていたが、当時はそれほど目立っていた訳ではなく、私もこの時期の同じようなインディ―系のギターバンドとしては、TVで見て気に入ったBig Countryのアナログ盤等を購入していたが、このバンドのアルバムはロンドン時代には購入していない。

 言うまでもなく、彼らがブレークしたのは、1987年3月の「The Joshua Tree」であるが、これも、私はロンドンから帰国した後、日本でCDを調達しているので、ロンドン時代はあまり注意を払っていなかったようである。しかし、もちろんこのアルバムには私も魅了され、その後の作品、そして遡り初期の作品等を揃えていくことになる。しかし1993年発表の「Zooropa」や2000年発表の「All That You Can't Leave Behind」あたりから、新しい作品には次第に興味を失っていった。そして11年前、こちらに来た時にも、持ってきたのは「The Joshua Tree」だけで、2003年発表のライブ映像「Go Home」を除くと、それ以外のCDは、日本の棚に埋もれている状態であった。また今回これを書き初めて、アルバムリストの中に、2009年の「No Line On The Horizon」が入っていたことから、これをこちらで購入していたことを初めて思い出した位、このバンドの「The Joshua Tree」以外の作品を聴くことはなくなっていた。そんな中でU2が、シンガポール初のライブを行うという発表が行われたが、当初はスタジアムでの公演ということで、チケット調達をやや躊躇していたが、その11/30(土)夜のライブは全く間に完売。それを受け、翌12/1(日)の追加公演が発表されたので、これはやはり行かねばならないということで、この2日目のチケットを調達した。今回のツアーは、一昨年から始まった「The Joshua Tree」30周年記念ということで、このアルバム全曲を通しで演奏するというのが売りである。

 彼らのライブは、公演前からそこそこ当地で話題になっていたが、まず11/28に、週末のこのライブについて、全紙面2ページに及ぶ新聞記事が掲載されたので、これを簡単に見ておこう(The Straits Times)。

 この記事では、「この世界で最も商業的及び批評的に成功したバンドのひとつ」であるU2の成功の5つの理由が掲載されている。それは@「The Joshua Tree」が25百万枚の売上げを記録しているが、これはスパイス・ガールズの「Spice(1996)」やマドンナの「Like A Virgin(1984)」を上回り、現在までで最も売れたアルバムであること、Aボノの突き抜けるようなボーカルやエッジの煌くギターサウンドが、スタジアム規模のライブには最適であり、代表曲である「With Or Without You」は、観客が、ボノと一緒にコーラスせざるを得ないような魅力がある、B時代を反映した歌詞―ボノによる歌詞は、米国に触発されたものが多く、「Bullet The Blue Sky」や「Mothers Of The Disappeared」は米国の中米政策を素材にしている。他方、アルバムのタイトルやジャケットも、精神のレンズを通して映る米国の広大な風景を素材にしている。また彼らの歌詞は、自らの故郷も取り上げており、「Where The Streets Have No Name」は、人々の宗教や収入が、住んでいる通りで規定されている北アイルランド、ベルファストを歌ったものである、C彼らは、現在までに22のグラミー賞を受賞しているが、この「The Joshua Tree」は、その最初のもの(1987年)である、Dこのアルバムの最初のツアーは、1987年に北米と欧州で9ヶ月に渡り行われたが、今回はその30周年を記念するツアーで、2017年に北米、欧州に加え、南米で開催された。今回は、オーストラリアやニュージーランドに加え、アジア諸国―インド、フィリピン、シンガポール等―を回るが、この記念公演は、バンドが「The Joshua Tree」全曲を披露する初めてのものである。ボノは次のように語っている。「最近、このアルバムをほとんど30年振りに聴いてみたけれど、これは極めてオペラ的で、多くの情感―愛、喪失、破れた夢、忘却の追求、分裂―すべてが偉大だーが、何故かとても現在を感じさせてくれた。私は、これらの曲の幾つかを歌ってきたが、全てを通して歌うことは全くなかったんだ。」そして別の紙面では、彼らの他の主要アルバムや当日のステージ・セッティング、そして4人合計でUS$1bil(約1000億円)を超える彼らの個人資産などが紹介されている。

 こうして、週末日曜日夕刻、定例のテニスを終え、軽い夕食をとってから、この会場であるStadiumに向かう。MRTを降りると、日中の晴天、乾燥した心地よい気候から、一転小雨が降り始めていた。湿度が上がり、やや不快感が増す中、所定のゲートから、開演時間の8時少し前にスタジアムに入る。今回のチケットはS$192(ブッキング料金込み)、アリーナの立ち見席を右に見下ろす2階最前列である。スタジアムでは、私の席から左側の側面が一部開いていいるが、屋根は閉じているので、雨は問題ない。湿気も、空気が流れているのか、会場ではそれほど気にならない。メイン・ステージから花道が延びて、その先に円形のサブ・ステージがセットされているが、ただどちらも相当の距離がある。メイン・ステージの背後には大きなスクリーンがセットされ、演奏前は、米国南西部の砂漠地帯に生えているという例の「Joshua Tree」のイメージが映し出されている。開演時間から15分程経過したところで、会場が暗転し、この日のライブが始まった。

 このシンガポール公演に先立つ11月8日から11月27日まで、彼らは、オークランド、ブリスベーン、メルボルン、アデレード、シドニー、パースと、ニュージーランドとオーストラリア各地で8回のライブを行っている(その前は、昨年11月13日のベルリン公演まで欧州を回っていたようである。因みに、当地の次は、12月4日、5日と、日本は、さいたまスーパーアリーナでの公演とのことである)。その内、11月23日のシドニーでのライブのセット・リスト等がネットで公表されており、事前にチェックしていたが、この日のライブは、これと全く同じ内容であった。

(演奏曲)

 Intro : The Whole of the Moon (The Waterboys song)

1. Sunday Bloody Sunday (WAR,1983)
2. I Will Follow (BOY,1980)
3. New Year's Day (WAR,1983)
4. Bad (with "Waltzing Matilda" snippet) ( The Unforgettable Fire,1984)
5. Pride (In the Name of Love)  ( The Unforgettable Fire,1984)

(The Joshua Tree,1987)

6. Where the Streets Have No Name  
7. I Still Haven't Found What I'm Looking For (with "Many Rivers to Cross" snippet)
8. With or Without You  
9. Bullet the Blue Sky (with "The Star-Spangled… more )  
10. Running to Stand Still
11. Red Hill Mining Town
12. In God's Country  
13. Trip Through Your Wires
14. One Tree Hill
15. Exit (with "Wise Blood" and "Eeny… more )
16. Mothers of the Disappeared  
17. Desire (tour debut; with "Sunday Bloody Sunday" snippet) (Rattle And Hum, 1988)

(Encore)

18. Elevation (All That You Can’t LeaveBehind,2000)
19. Vertigo (with "It's Only Rock 'n' Roll… more ) (How to Dismantle an Atomic Bomb,2004)
20. Even Better Than the Real Thing ("Fish Out of Water" Remix) (Achtung Baby,1991)
21. You're the Best Thing About Me (acoustic) (Song of Experience,2017)
22. Beautiful Day (All That You Can’t LeaveBehind,2000)
23. Ultraviolet (Light My Way) (Achtung Baby,1991)
24. Stuck in a Moment You Can't Get Out Of (All That You Can’t LeaveBehind,2000)
25. One (with "Invisible" snippet) (Achtung Baby,1991)

 まず4人は、前方の円形のステージに進み、初期のヒットで、1972年の北アイルランドで起こった「血の日曜日事件」を題材とした1で、この日のライブが始まる。Adam Clayton (Bass)(以下「アダム」)と Larry Mullen Jr(Drums)(以下「ラリー」)のしっかりしたリズム隊に乗り、ボノのやや擦れたあの声と、ややノイジーなエッジのギターが被さっていく。音量、PAは、まず問題ないが、ただスクリーンは、冒頭の「Joshua Tree」のイメージだけなので、如何せん彼らの姿は豆粒でしか見えない。そのまま続けて、4曲が演奏される(2、4は私が知らない曲である)が、3、は、ポーランドの連帯をイメージしたと言われており、まさにこの時代にロンドンからワレサらの動きを注視していたことを思い出した。ただここまではスクリーンが全く使われず、ほとんど彼らの姿は見分けられないまま終わるのではないか、という不安に駆られる。

 そのまま、5、のイントロ(おそらくテープ)が流れ、同時にスクリーンの映像が、真っ赤に染まると共に、彼らは、メイン・ステージに戻り、この日のメインである「The Joshua Tree」全編が開始される。イントロが盛り上がったところで、ボノのボーカルが挿入されるこの曲の展開は、いつ聴いても感動的である。そして7、8と、まさに彼らの代表曲がアルバム順通りに続く。新聞記事ではないが、8、では会場からのコーラスが被さることになる。しかし、彼らの演奏映像を期待していたにも関わらず、背後のスクリーンに映し出されるのは、1、では米国の砂漠に延びる道路、2、では寒々とした森林風景、そして3、では真っ赤に染まった山岳風景といったイメージ映像だけである。

 その不安が消されたのは、ようやく9が開始され、スクリーン上に、イメージ映像と合わせて、初めて彼らの演奏も映し出された時である。ただこの重厚で、ボトルネックとファズを多用するギターを前面に出したこの曲に合わせたのだろうか、その映像も単純なものではない歪んだものである。そしてエッジのピアノ伴奏のみでボノが歌う、スローな10で、初めて彼ら二人の「普通」の映像が写されることになる。ボノは、髪の毛をオールバックにして、年相応の雰囲気。エッジは、ニットのキャップを被ったいつもの姿。この曲の後半は、リズム隊の二人も加わり、白く脱色したようなもじゃもじゃ髪のアダムと、ボクサーのような短髪のラリーも識別できる、そしてボノのハーモニカで曲は静かに終息する。続いて、軍楽隊ブラスバンドの映像に合わせた11。何となくギターの音がホーンのように聴こえる。

 ここで初めてボノの短いMCが入り、「次はB面をやるぞ」、ということで、12。ボノが、大きくステージの左右を行ったり来たりしながら、アップテンポのこの曲が進み、続けて、ボノのハーモニカで始めるゆったりした13が、米国国旗を彩ったブラにGパンの女性が、カウボーイ風に縄を回す姿と、壁に米国国旗を描く女性の映像と共に続く。再びアップテンポではあるが、静かなアコースティック風ギターの14の背景スクリーンは、月のオブジェ映像で、その合間に、ところどころ彼らの映像が挿入される。静かなイントロで始まり、その後、静と動が交差する15。そして、蝋燭をもった女性の列が、失踪した家族・知り合いを姿を不気味にイメージさせるスローな16で、このアルバムの全曲が終了する。4人は再び前面の丸ステージに戻り、「Rattle And Hum(1988)」からの16が披露され、メインステージが終わる。時刻は9時45分である。

 そして続けてアンコールである。ここではまた20、21(アコースティック)、23、24のように、私の知らない曲もあったが、特にスクリーンで興味深かったのは、23で映し出された女性たちの多くの映像である。名前も記載されていたが、多くは私の知らない人々で、もちろん環境・社会運動にも熱心に取り組んでいる彼らのことなので、そうした関連の女性ということであるのは容易に想像される。その内、日本人では市川房江が登場、続けて福田ケイコという老齢女性も映されたが、彼女は現時点では正体不明である(名前でググったところ、「福田敬子」という、カリフォルニアで柔道普及を行った人物が出てきたが、彼女かどうかは分からない)。外国人で知った顔としては、何故かElizabeth Taylorが出てきたが、彼女は晩年に尽力したエイズ撲滅基金が評価されてのことであろうか?また最近やたらメディアに登場するティーンエイジャー環境運動家、Greta Thunbergも登場。別の何人かの女性が、「Suffragette」という単語で紹介されていたが、これは後で辞書で調べたところ「参政権」という意味であったことから、夫々の国や地域で、これに尽力した人物であったのだろう。初めて聴いたこの曲の歌詞はまだ調べていないが、こうした女性たちに対する賛歌なのだろうか?こうして最後の25へ。私は帰りの混雑を避けようと、席から離れ、出口付近でこの最後の曲を聞いていたが、スクリーンには、マーライオンを象った映像も投射され、ボノはシンガポールへの感謝を述べていたようである。全てが終了したのは午後10時40分であった。

 確かに、彼らの楽曲は、こうしたスタジアムでの演奏に向いている。もちろんPAの機材やスタッフには金をかけているのだろうが、音は、CD等で聞くものとほとんど大差はなく、それにライブのオーラが加わることになる。正直、私は、ボノの声はそれほど好きではないし、CDでも、音を外しているとしか思えない部分もある(もちろん録音でこれを採用しているのだから、それは意図的なものであろうが・・)。エッジのギターは、実験的な音を作り出してきたことは間違いないが、決して度肝を抜くようなテキニックを有している訳ではない。リズム隊の二人は、この日もそうであったが、ソロもなく、あくまで黙々と裏方に徹している。そして後は、曲想やMCを含めて、ボノの政治的、社会的趣味を加えて突っ走ってきたという印象である。しかし、それでも彼らは40年近くに渡り、メンバーが替わることもなく、バンド活動を続けてきた。そして、今回もこの30年前の作品を、他の古参バンドがえてして行うようなサポート・メンバーを加えることもなく、当時の音でそのまま4人で再現したのである。冒頭、スクリーンが使われず、豆粒で終わるのではないかと懸念したのも、彼らにとっては計画された演出であった、というのが現在の印象である。今回認識できなかった曲を含め、しばらくこのバンドの音に接する時間が続きそうである。

 終了後、乗車した地下鉄で、自宅至近の終着駅に10分ほどで到着すると考えていたが、その終着駅で降りたところ、駅の景色が違っていた。そこで初めて、途中、2つに分かれる路線の別の路線に乗ってしまったことに気がついたのであった。私は、そこで別の路線に乗り換えれば良いので、たいした問題ではなかったが、この日同行した、日本から出張で来た同僚を、「ホテル至近」といって、手前の、別の駅で降ろしてしまったことに慌てることになった。結局帰宅後、深夜までかかり、彼がホテルに戻ったのを確認して、漸く休むことができたのであった。ライブ後に、気が抜けていたのが、最大の失敗であった!

 週明け以降、このライブを報じた新聞記事が2つあったので、これを簡単に見ておこう。まず初日(11/30)公演後の新聞記事、続いて、当方が参加した12/1公演後の記事の2本である。

(12月1日付、The Straits Times)

 「U2の当地での初ライブは、長く待った価値があった。フロントマンのボノは、コンサートの最後のヒット曲「One」を始める前に、この5万人の観客に、シンガポールを、『寛容に溢れたSFシティ』と呼びながら、『これはスタジアムでの最高のロックンロール・バンドだ』と冗談っぽく宣言した。」「シンガポールのファンはこのバンドを43年待ったが、ついに昨晩1987年の記念すべき作品の全曲とその他の40年にわたる活動の中から生まれた他の幾つかの曲を聴くことができた。そして今晩2日目のライブを行った後、彼らは他のアジアの街―東京、ムンバイ、マニラ等に移動していく。ある35歳のファンは、マレーシアからこのライブにやってきた。彼は、2017年にブラッセルで彼らのライブを見たというが、『ヨーロッパの観客はバンドと一緒に歌いに来ているが、アジアのファンはボノの歌を聞きに来ているという違いがある。今回のアジアでのライブは、そこまで行くことのできないファンにとって貴重な機会だった』という。また別のインドネシアのファンは、ジャカルタから20人のグループでこのライブに来たという。あるビジネスマンは、当初のセールスを逃したために、彼と妻の二人のために400ドルを払った。先のインドネシアのファンは、バンドのシャツをまといながら、『このライブのためだったら何でもやるぜ。なにしろ俺はこれを30年待っていたんだからね』」

(12月2日付、The Straits Times)

 「2020年まで、あと僅かだ。そして現代の音楽シーンは大きく変わっている。そんな時に1980年代のアルバムにどれほどの価値があるのだ?しかし、このU2のライブは、その質問に、『そうだ』と答えたのだった。30年が過ぎても、彼らの作品―騒がしかったり、瞑想的だったり様々であるがーは精神的な質を保っており、ライブであれば尚更それを感じさせることになった。代表曲では5万人の観客が一つになり共に歌った。」「ボノは、I Still Haven't Found What I'm Looking Forを、これはすべての信仰を持つ者―あるいは信仰を失った者も含めーへのゴスペルだ、と紹介した。」

 「2時間半のライブでのステージとスクリーンは巨大で、これまで音楽の公演で、スタジアムを2日に渡って一杯にした者は僅かしかいない。彼らは、それを、セッションミュージシャンのサポートも、特別のアンプも、花火も使わず成し遂げた。スクリーンをデザインしたのは、オランダ人写真家・映像家のAnton Corbijnであるが、彼の映像は刺激的且つ音楽の威力を高めるものだった。」

 「エッジのギターは効果音に溢れ立体的、ボノのボーカルは、時としてやや雑であるが、それでも問題なく高音部もクリアーしていた。二人のリズム部隊は、やや地味ではあるが、フロントをしっかりとサポートしている。」

 「彼らは大ヒットした「Joshua Tree」だけの存在ではないことは、それに前後して演奏されたその前後の作品が示している。定刻を25分ほど過ぎて登場した彼らは、Sunday Bloody Sunday(1983年)やPride (In the Name of Love)(1984年)といった初期の作品でスタートし、アンコールはEven Better Than the Real Thing(1991年)、Beautiful Day(2000年)、Vertigo(2004年)等、1990年代以降の作品が中心であった。」

 「ロック界の著名な社会運動家の一人として、ボノは、演奏の合間に、人権、自由、民主主義への支持や、多様性に直面しての団結等を称揚した。彼は、Achtung Baby(1991年)からのOneをはじめる前に、『SFシティ』シンガポールの多様性を賞賛した。彼は『もし私たちが人種、信条、性別を超えて働けば、多くの問題は解決される』と訴えた。」

 「ボノはまた、ショウの中で、彼らのシンガポールとの縁についてもコメントするのを忘れなかった。彼はベースのアダムが、彼がまだティーンエイジャーで、チャンギに空港がなかった時代に、シンガポールで数年過ごしたことを紹介した。またUltraviolet (Light My Way)では、スクリーンに、多くの歴史的に重要な女性たちが紹介されたが、その中にはシンガポールの戦時中のヒロインElizabeth Choy(後でググッたところ、「夫のチェ・クン・ヘンとともに、彼女は第二次世界大戦中に日本人がシンガポールを占領した時にチャンギ刑務所に収容された戦争捕虜に薬、お金、メッセージを提供した」とのことであった)やシンガポールの女性エベレスト登山隊も含まれていた。こうした地域への配慮は素晴らしく、確かに、ファンがこのバンドを待っていた長い時間を埋め合わせることになったのだった。」

 シンガポールへのサービスは、終盤出口で帰宅準備をしながら眺めたスクリーン上のマーライオンくらいかと思っていたが、結構それ以外の配慮もされていたようである。「シンガポール大好き」等と叫ぶバンドは多いが、ここまで地元に細かい配慮する人気バンドは珍しい。昨晩、及び今晩行われる日本公演では、地元にどのようなリップ・サービスをする(した)のだろうか?

2019年12月5日 記