ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
都響スペシャル「第九」
日付:2022年12月25日 会場:東京文化会館
音楽日記に、クラシックのコンサートを掲載するのは初めてである。そもそも、ここ数十年、クラシックのコンサートは、シンガポールで、地元のオーケストラの演奏会に付き合いで行ったくらいで、本格的なコンサートは本当に久し振りである。大昔、それこそロンドン時代に、やはり招待でクリスマス時期に行ったハイドンの「メサイア」(英国では、こちらが年末のクラッシック演奏の定番である)が、もしかしたら最後の本格的なもので、しかもこの時は、年末の多忙時期であったことから、演奏中熟睡してしまったという苦い思い出があるくらいである。しかし齢を重ね、しかも新型コロナで生の音に接する機会が減っている中、かつての職場の先輩よりこのコンサートのチケットを譲るという話をもらった時には、二つ返事で受諾し、当日朝から快晴の好天下、上野の東京文化会館に出かけていったのであった。席は一階11列ということで、かぶりつきの中央に近い、結構良い場所である。
当日の演奏は、エリアフ・インパル指揮の東京都交響楽団(都響)。ベートーベンの第九ということで、二期会合唱団にソロ歌手4人―隠岐彩夏(ソプラノ)、加納悦子(メゾソプラノ)、村上公太(テノール)、妻屋秀和(バス)―が加わっているが、もちろん個人名としては、私は始めて聞く名前ばかりである。指揮者のインパルは、1936年イスラエル生まれということなので、年齢的には80歳代半ばを越えている。フランクフルトやベルリン、ヴェネチア、チェコ等で活動した後、2014年から都響の「桂冠指揮者」を務めているということである。
こうして日曜日の午後2時の開演と共に、演奏が始まる。「第九」を含めクラシック音楽は自宅でほとんどまともに聴いたことがないことから、前半のオーケストラ部分は、こんな曲想だったのか、と初めて認識する程度の感覚である。交響曲は、個々のソロが目立つことがないため、今一つ緊張感が途切れ、時々うとうとしてしまうが、後半、聴きなれたあの「歓喜の歌」の主旋律が奏でられ、意識が戻ってくる。そして小休止の後の後半、コーラス隊が入場し、そして4人のソプラノ歌手のソロを交えた展開となり、ようやく面白さが分かってくる。やはり私にとっては、歌手や演奏者個人の自己主張がない音楽は退屈になってしまうことを再確認したのであった。そしてあの主旋律での全員のコーラスを経て、演奏は収束していった。公判が終わったのは午後3時10分。1時間ちょっとの演奏で、これからアンコールでもあるのかな、と期待していたが、それはなく、指揮者以下での何度かのカーテンコールを行っただけで、当日のコンサートは終わったのであった。
本来であれば、コンサートの前、あるいは後で「第九」を聴く予習・復習をしなければならないのだろうが、「第九」は余りに有名であることから、天邪鬼な私はそうした気持ちにならない。またクリスマスや年末ではない時期に、これをじっくり聞いてみようと思いつつ、帰宅後まずパット・メセニーを聴いてしまったのであった。
但し、「第九」の最小限の知識だけは仕入れておこうということで、ネットの情報だけは見ることにした。それによると、この作品は1815年から本格的に作曲し、完成したのは1824年であるという。ベートーベンは、1827年に逝去していることから最晩年の作品である。それまでの「交響曲」の長さは20−30分程度であったが、この作品はそれを大きく上回る70分の長さで、演奏家にとっては体力的にも技術的にもたいへん厳しい作品であったという。CDの最大収録時間が74分になっているのも、この「第九」を収録するため、という伝説もあるようだ。
音楽的には、この作品は「交響曲」に合唱を参加させた初めての作品であり、演奏がオーケストラと合唱団を含め100人を超える規模になったというのも歴史的な事件であったということである。そして合唱のテーマとなった「歓喜の歌」は、シラーの1785年に書かれた「歓喜に寄せて」という詩が使われたが、これはフランス革命の影響下、シラーが市民社会での人々の自由を讃えた作品であった。まさに当時としては、曲想や演奏規模、そして合唱といった全てが「革命的」な作品であったということである。そして曲想としては、4つの楽章からなり、第一楽章の序曲から始まり、第二楽章では「ティンパニ協奏曲」と言われる程のアップテンポに以降。第三楽章で静けさが戻った後、第四楽章でソロから始まり合唱が加わり最高潮を迎えるということになる。
なるほど、この日のコンサートが1時間ちょっとで終了したのは、まさにこの「第九」そのものであったということを初めて理解した。恥ずかしながら、私のクラシックの知識はその程度のものであったことを改めて認識した次第である。
2022年12月26日 記