アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
第六部:日本編(2020年−)
ザ・リターン・オブ・エマーソン・レイク&パーマー
日付:2023年12月12日       会場:EX THEATER ROPPOGI 
 キース・エマーソン(1944年生まれ。2016年没。享年72歳)、グレッグ・レイク(1947年生まれ。2016年没。享年69歳)の二人は、今はなく、残ったのはカール・パーマー(1950年生まれ。現在73歳)のみになっている。そのカールが、亡くなった二人の映像を組み合わせたライブを行うということで、イベント発表と共にネットで15,000円のチケットを予約し、帰国後初めての六本木にある会場に出かけていった。

 1972年の後楽園球場での日本初ライブ、そして1992年11月、フランクフルトでの再結成公演(別掲)以来の彼ら(?)のライブである。もちろん彼らの音楽は、私の半世紀以上に渡るロック経験の原点であり、核であることは都度繰り返してきた。久し振りに、彼らのCDと、オムニバス及び1990年代の再結成時の、ロンドンはロイヤル・アルバート・ホールでの映像を眺めた上で、当日に臨むことになった。

 小雨がぱらつく12月の夜であるが、会場には予定通り開演30分前に到着。入り口で500円のドリンク代を払いペットボトルを受取り、B1にある席に着くと、同行する友人は既に着席していた。席はネットで指定されたものであるが、実質2階の5列目。予約時、どのように席の割り当てが行われたのかについて、疑問はなしとしないが、全体は見渡せるのと、大きなスクリーンが三つ設置されているので、まあ良しとしよう。中央にカールのドラムがセットされ、左右にギター用アンプとマイクが置かれているシンプルなステージである。当日は、Paul Bialatovicz(ギター・ボーカル、「以下、ポール」)、 Simon Fitzpatrick (ベース・チャップマンスティック、以下「サイモン」)という二人を従えたライブである。

 7時10分、米国のよく見るコミックの映像が映され(趣旨は不明)、それが終わったところで、3人がステージに登場、恒例の「Welcome Back, Friends, to the show which never ends.」という映像でのグレッグのボーカルと共にKarn Evil 9の1st Impressionでライブが開始される。当日の演奏曲目は以下のとおり。

(曲目)
1,   Karn Evil 9:1st Impression
2,   Hoedown
3,   Knife Edge
4,   Take A Pebble
5,   Benny the Bouncer
6,   Creole Dance
7,   Tarkus
8,   Trilogy intro +
9,   Drum Solo
10, From The Beginning
11, Black Moon
12,  Lucky man
13, Fanfare For The Common Man / America / Rondo

 演奏開始と共に、左右のスクリーンにキースとグレッグの映像、そして中央のスクリーンには、実際にこの日ドラムを叩いているカールが映し出される。サポートの二人は、取りあえずは地味なプレーに徹している。スクリーンのキースとグレッグは、まさにこの日に備えて観ていた1990年代のロンドンはロイヤル・アルバート・ホールでの映像が使われている。しかし、2,のインスト曲が始まると、キースがキーボ−ドで奏でていた主旋律を、ポールがギターで弾き始めたのである。スクリーンからキースとグレッグは消え、まさに3人での生ライブでこの曲が演奏される。いきなりやや意外な展開にびっくりさせられたが、この日は、キースとグレッグの映像と演奏が使われる曲と、3人の生演奏で行われる曲が交錯しながら進むことになったのであった。

 こうして3,では、映像でボーカルもグレッグ、4,では、カールとポールの軽いサポートの下で、ベースのサイモンが、スティックを使い、アコギ的な音とベースを一人で奏でることになる。これはボーカルは入らないインスト曲として披露される。そして5,は、カールが、「Brain Salad Surgery 収録の曲だが、グレッグは、これをライブで歌うことがなかった。今日は私が歌う」とコメントして始まった短い曲。アナログ盤でしか聴くことができないので、この曲は全く印象が残っていないが、初めて聴いたカールのボーカルは、まあご愛敬と言ったところである。そして、この後で、カールが今回の企画について簡単な説明を行うことになる。「1990年の再結成時の音源は、技術の発達で、夫々のパートが別々のトラックで収録されている。従って、キースのキーボードだけとか、グレッグのボーカルだけを切り離して、それに今日のような生の音を被せることが可能になった」という。ただ1970年代の音源はまだそこまで精密な録音が行われていなかったということなのであろう。こちらとしては、1990年代の再結成時の演奏は今一で、またグレッグの容貌なども、1970年代の若々しさを失っているので、それしか使えない、というのはやや残念であった。

 「みんな、キースのソロは聞きたいよね!当時のライブでは必ずそれがあり、私も横で聴いていたものだ」というカールのコメントで始まったのは、キースのソロである6。しかし、これはまさに前日に私が観たDVDの映像が、会場の音響で再生されただけのものであった。

 そして初期の長尺代表曲である7。これは3人のバンドで演奏され、キースのキーボードのほとんどをポールのギターが表現することになった。半世紀前の変則ビート満開のカールのドラムは健在で、それは驚異的である。ただボーカルはポールが取ることになるが、これはやはりグレッグの声でないと、雰囲気は伝わらない。これは、先日のYESのライブでも書いたが、Jon Anderson のオリジナル・ボーカル曲を、例えば現在のボーカルである Jon Davison が歌うとイメージが変わってしまう。同じYESの作品でも、Trevor Hornがボーカルをとった「Drama」は Jon Davison でも違和感がないので、やはり Jon Anderson は別格であったということであろう。グレッグのボーカルについても同じことが言える。ポールによる、ギターでのキースのフレーズの再現はかなり頑張っていただけにそれは残念であった。

 そして8。これはサイモンがチャックマンスティックで、アコギとベース双方の音を出しながら、この曲のイントロを紡ぐが、その後は全く別の静かな環境音楽といった雰囲気で展開することになる。ギターのポールが静かに被さり、カールも全く控え目なリズムを刻むだけである。これは全くオリジナル曲とは別の仕上がりになっている。そのままアップテンポの9に移行する。初め、このリズムからは「Rondo」を連想したが、主旋律は別であった。しかし、それがカールのドラム・ソロに連なっていくのは、1990年ライブの再現である。約10分続くカールのソロは、とても73歳とは思えないパワーとテクニックを備えた演奏であった。一回だけ、スティック同士を叩いていた時に一本を落としたが、ミスと言えるのはそれだけで、見事なソロであった。ただ10分はやっぱり長いよね。

 「グレッグのソロも聴きたいだろう」というコメントで続いたのはグレッグのアコギによる10。これは1990年のグレッグの歌と映像に、カールがコンガで静かなサポートをすることになる。そして「Black Moon からの曲だ」と紹介されて始まった11。この再結成時のCDは、正直私は手元にあっても、ほとんどまともに聴くことはないものである。続けて演奏された12と同様、1990年の映像と演奏に、カールの生ドラムが加わるだけで、ポールとサイモンはほとんど関与していない。そして「これが最後だ」として始まった13も、同様にキースとグレッグの演奏、映像にカールが生ドラムで加わることになる。もちろんDVDでも最も盛り上がる部分で、当然この日もこれを最後に持ってきたということであろう。ただやはり1990年代の映像ということで、あの伝説を蘇らせるには力不足であった。21時少し過ぎ、アンコールはなく、この日のライブは終わることになった。

 今年の年末放送のNHK紅白歌合戦に、クイーンが Adam Lambert のボーカルで参加、その後も2月には全国でのツアーを計画しているということである。このバンドも、1991年の Freddie Mercury の逝去後、ボーカルを替えて現在まで生き延びてきている、ということであるが、これも Freddie の歌が、それほど傑出していなかったことで、可能であったということであろう。しかし、やはり、グレッグの歌、そして何よりもキースのキーボードは、余人をもって代え難いものであった。この日のライブも、依然健在であるカールのドラムは堪能したものの、またサポートのポールとサイモンも頑張っていたとはいえ、やはりこの二人がいないことの喪失感の方が強いものとなった。そして繰り返しになるが、映像も1970年代の彼らの全盛期のものであったら、という思いも残ったのであった。改めて、これから彼らの初期の映像を楽しむことにしたい。

2023年12月14日 記