ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
古畑祥子 ピアノ・コンサート
日付:2024年2月12日 会場:神奈川県民ホール
晴天の3連休最終日、またクラシックのコンサートに参加する機会を持った。今回は、ドイツ在住のピアニスト、古畑祥子氏によるショパンを始めとするピアノ・ソロのライブである。
古畑氏は、1965年8月横浜生まれのピアニストで、武蔵野音大を経てドイツに渡り、そこで学んだ後、2011年ミュンヘンで(結構遅い年齢での)デビュー。その後は欧米中心に活動をしているが、時折日本でも「凱旋講演」を行っている。ネット解説によると、「ベートーヴェン、シューマン、ブラームス、リスト、ショパンなどの古典派からロマン派、印象派、表現主義まで幅広いレパートリーを持つ」とのこと。昨年秋に、個人的に紹介され、昼食もご一緒させて頂いたこともあったが、実際の音を聞くのはこれが初めてである。
午後2時の定刻、赤のドレスをまとった彼女がステージに登場し、演奏が開始される。舞台はピアノだけが置かれたシンプルなもので、初めてのクラシック・ピアノ・ソロ・コンサートへの参加となった私も、これで最後まで飽きないで聴き続けられるかどうか、やや不安になる。まずはショパンの作品である。
ショパンといえば、記憶にあるのは2002年公開のR.ポランスキー監督による映画「戦場のピアニスト」で、ナチスの迫害から生存した主人公のユダヤ系ポーランド人ピアニストが奏でていた音楽くらいで、今までまともに聴いた経験はない。従って、プログラムに書かれている「ノクターン嬰ハ短調遺作」とか「幻想即興曲嬰ハ短調」、「スケルツォ2番変ロ短調 作品31」という紹介を見ても、全くピンとこない。ただ古畑氏の演奏は、デリケートな「静」とダイナミックな「動」が巧みに交差し、結構飽きさせることがない。ピアニストといえば、ジャズ系のC.コリア、K.ジャレット、M.タイナー、あるいは日本人では上原ひろみ等、ロック系ではK.エマーソンやR.ウェイクマン等々の音楽を愛聴してきたものであるが、技術で言えば、この然程有名ではないピアニストの方が圧倒的に上である。やはりクラシック界の層の厚さを痛感させる演奏である。心地良い、そして時に緊張感のある技巧に酔いしれている内に、前半の45分はあっという間に過ぎてしまった。
15分の休憩の後の第二部は、ムソルグスキーの「展覧会の絵」である。親友であった画家で建築家のヴィクトル・ハートマンが、39歳の若さで夭折したことに衝撃を受けたムソルグスキーが、彼への追想を込めて3週間で書き上げた、という古畑氏の紹介も交え、この曲が演奏されるが、これはもちろんK.エマーソンによるELP作品の方が私にとっては身近である。そんなことで、こちらは今でも時折聴くことのあるELP作品を思い浮かべながら聴くことになる。「プロムナード」でのメインテーマから始まり「小人」の短いフレーズ等が展開されるが、なるほどK.エマーソンは、この原曲をこのように変形したのだということが良く分かる。他方で、ELPでは全く取り上げられていない部分も多い。そうして聴いていると、もちろん前半と同様、古畑氏の技巧は卓越しているのではあるが、やはりピアノだけの演奏よりも、ELPの各種キーボードに加え、生及びエレキ・ギターとベース、ドラム、そして何よりもG.レイクのボーカルが入ったバージョンの方が圧倒的に面白い。そして最後の「キエフの大きな門」では、ついついG.レイクの詩を歌いそうになってしまったのであった。後半の45分もこうしてあっという間に終わり、最後にアンコール風に静かなバラード(この作品名は会場では紹介されなかったが、コンサート後関係者からリスト作曲の「愛の夢第3番」であると教えて頂いた)が奏でられ、2時間に及んだこの日のコンサートが終了した。
まずショパンについては、ネットで改めて検索すると1810年生まれ、1849年39歳で、結核で逝去するまでの短い人生にピアノ曲中心に多くの作品を残した他、ポーランドへの愛国心やG.サンドを含めた多くの恋愛が記されている。ただここでは、その限られた人生で、今日演奏された曲の様に、複雑で高度な技巧を要する曲の数々を、既にこの19世紀半ばに残したということに驚きを禁じ得ない。しかし、それでも、難解で技巧を要することは理解でき、演奏中はそれなりに楽しめたが、終了した後にメロディーとして記憶に残る旋律はほとんどなかった。それは帰宅後、会場で購入したこのピアニストによるショパン曲集を聴いても全く同じである。BGMとしてはたいへん心地良いが、曲として記憶に残らないのである。
それに対し後半のムソルグスキーについては、ELPの解釈と演奏があるので、イントロから中盤、そして最後の「キエフの大門」まで、それなりに追うことは出来るが、ピアノだけの演奏だとやはり印象が薄い。前述のとおり、「なるほど、K,エマーソンは、ここを使い彼らの演奏と歌に仕立てたのだな」という興味があるので、最後まで飽きずに聴けたが、結局それだけなのだ。この辺りが、私がクラシックに今一つ本格的に入っていけないことの理由なのではないかと感じたのである。繰り返しになるが、古畑氏のテクニックや感情表現は素晴らしく、先に列挙したジャズやロックのピアニストと比較しても圧倒的に凌駕することは間違いない。このピアニストが、私が愛聴してきたジャズやロックのキーボード主体の曲を演奏したらどんなに素晴らしいのだろうか、と想像しながら、彼女のCDをBGMとして流し続けているのである。
2024年2月14日 記
(追記)
古畑氏のショパンCDを繰り返し聞いている内に、どこかで聴いたメロディーが含まれていることに気がついた。それは新生ルネサンスによる1972年発表のアルバム「プロローグ」の一曲目に収められているアルバム・タイトル曲で、ここで、ボーカルの紅一点アニー・ハスラムのスキャットを挟むイントロや間奏で、キーボード担当のJohn Toutが奏でているメロディーが、このショパンのCDから聴こえてきたのである。そのタイトルをCDで見ると、「練習曲 ハ短調 作品10の12 革命」ということであった。また前述のコンサート関係者から、同じ「プロローグ」の2曲目「Kiev」の後半でも、ラフマニノフの前奏曲「鐘」が使われていることも、コンサート後に教えて頂いた。
なるほど、欧米のクラシックを勉強したキーボード奏者であれば、ショパンは必ず通る道なのだろう。そしてこのルネサンスの作品でその一部が使われたというのも充分可能性はあろう。恐らく私が気づかないだけで、K.エマーソン等の音楽を含め、多くのクラシックの素材がロックやジャズで使われているのだろう。前述のとおり、私にはロックやジャズで再解釈された音の方が趣味に合うが、それでもこうしたクラシックの伝統は、ポップの世界の至るところに散らばっていることを改めて感じたのであった。
2024年2月15日 記