善き人のためのソナタ(Die Sonata vom gueten Menschen)
監督:Florian Henckel von Donnersmarck
2007年のアカデミー賞外国語映画賞を受賞した作品である。壁崩壊前のシュタージを素材にした作品ということで、シュタージによる活動とそれが残した負の遺産が、現在のドイツでどのように捉えられ、描かれているかを知ることができる。結論を先に書いてしまえば、シュタージ内部及びその脅威に晒された人々を冷静に描くと共に、その中にあって「善き人」であり得た人々がいたことを伝えることによって、鑑賞後の観客のある種の安心感と感動を与えてくれる。昨年見たドイツ三部作に続き、なかなかドイツ映画も頑張っているなと思える作品である。
さてDVDでは、進行に応じてチャプタ−化が行われているので、レビュ−にあたって、まずこれを確認しておこう。
(1)20万人の密告者、(2)盗聴開始、(3)ゲオルグの誕生会、(4)狙われたマリア、(5)絶えきれず交わした言葉、(6)偽りの報告書、(7)匿名記事の波紋、(8)生きるための選択肢、(9)償いきれない過ち、(10)HGWに捧げる、(11)エンド・クレジット
1984年東独、「10万人の協力者と20万人の密告者」が、独裁体制を支えていた。ゲルド・ヴィースラー大尉(ウルリッヒ・ミューヘUlrich Muehe)は、シュタージの忠実な将校として、体制の敵に対する尋問手法を大学で講義している。その彼に、学友であり、また大臣の片腕として出世街道を進んでいるシュタージの上官アントン・グルヴィッツ(ウルリッヒ・トゥクールUlrich Tukur)から、有名劇作家であるゲオルグ・ドレイマン(セバシュチャン・コッホSebastian Koch)を盗聴により監視し、報告するように指示を受ける。ドレイマンは、記録上はなんら傷がなく、体制に忠実な人気作家であるが、反体制の要注意人物と付き合いがある。彼らの動静を確認し、報告しろというのが、ブルーン・ヘンプフ大臣(トーマス・チーメThomas Thieme)自らのからの指示であった。しかし、この監視は、実は、ドレイマンと同棲する愛人の人気女優クリスタ=マリア・ジーランド(マルティナ・ゲデッケMartina Gedeck)に横恋慕するヘンプフ大臣の個人的感情からの作戦だったのである。
ヴィースラーは淡々と盗聴の準備を進め、部下と共に昼夜二交代で監視にあたりレポートを綴っていく。愛人とのセックスを含め、個人の生活が、赤裸々にレポートに落とされていく。ドレイマンの誕生日会に、反体制運動で権利剥奪され、作品発表に機会を奪われている老人のイェルスカが参加する。彼は自分の不遇を語り皆は慰めようとするが、結局彼は後日首をつって自殺する。ショックを受けたドレイマンは、「東独における自殺の真相」を暴露した原稿を、西独のシュピーゲルに発表する。
その記事を巡り、ドレイマンに嫌疑がかかり、薬物中毒であったクリスタが犠牲になる。彼女は薬物受け渡しの現行犯で逮捕され、ドレイマンの情報と引き換えに自由を提案される。最初は偽りの証言で逃げるが、最後にヴィースラーの尋問に対し、証拠品であるタイプライターの隠し場所を告白するのである。しかし、再度ドレイマン宅に踏み込んだシュタージが隠し場所を空けると、中には何も残っていなかった。それにもかかわらず家宅捜索の最中、ドレイマンを裏切ったクリスタは車に身を投げ自殺してしまう。実は、ヴィースラーが一足先にドレイマン宅に戻り、タイプを移動しておいたのである。ヴィースラーの動きを察知した上官であるグルヴィッツにより、結局ヴィースラーは、手紙の検閲という閑職に左遷されることになり、ドレイマンの盗聴は、そこで終わる。ソ連でゴルバチョフが指導者になったというニュースがさりげなく挿入される。
1989年11月、地下室で黙々と手紙検閲の単純作業を行うヴィースラーに壁の崩壊の知らせが届く。またそこから2年後、ドレイマンはヘンプフと邂逅し、そこで自分が盗聴により監視されていた事実を知る。シュタージ文書を閲覧したドレイマンは、そこで「HGW ]]/7」なる人物が自分の監視レポートを書いていることを知る。HGWは「Hauptman Gerd Wiesler」の略号である。彼は、しがない生活を送るHGWの姿を町に探す。そして2年後、ドレイマンの新作「善き人のためのソナタ」が書店に並び、ヴィースラーは「自分のために」それを購入するのである。そこには、「HGWに捧げる」との献辞が記載されていた。
映画の原題は「他人の生活(Das Leben der Anderen)」であるが、自殺する直前の誕生日会で、ドレイマンがイェースラーから贈られた楽譜で、自殺の報に接した彼が悲しみの中ピアノで奏でる「善き人のためのソナタ」が日本でのタイトルとなっている。冒頭、逮捕した市民を冷徹に自白に追い込んでいたヴィースラーが、ドレイマンの盗聴を行う間に、何で彼らに同情し、彼らの企みを握りつぶすようになっていったのか、というのが、この映画の最大の弱点で、その動機が十分に描けているとは思えないが、強いて言えば、ドレイマンの悲しみを表現したこのピアノ曲の物悲しい調べに、上官の個人的な感情に基づき他人の生活を覗き見るという退屈な任務を遂行する、一人暮らしの寂しい自分の境遇からの精神的脱却を求めた、ということになるのかもしれない。その意味で、この小曲が、この映画のキーになっていることは間違いない。そしてシュタージの高官であるヘンプフ大臣やグルヴィッツの、悪役として余りに単純な造形にもかかわらず、ヴィースラーが淡々とその後の人生を受け入れ、そして最後にドレイマンの本を書店で誇らしげに購入する時、確かに暗い東独の監視社会の中にも、そうした無名の「善き人」がいたということに感銘を覚えざるを得ないのである。
しかし、やはり東独の監視社会が、壁の崩壊後に幾多の人間ドラマをもたらし、その多くはこうした美談ではなく、むしろ人間不信を増幅させるものの方が多かったことは、いくつかのドイツ統一本が報告しているとおりである。そして映画の最後、ドレイマンが自分のシュタージ文書を閲覧する場面で、一方で完璧に整理された資料にドイツ的几帳面さを感じ、思わずニタっとしてしまうと共に、他方で、この閲覧室で、自分の親友や家族が密告者であることを知り、絶望した多くの人々がいたことを想像してしまった。その意味では、この映画に描かれているシュタージの側面は、壁簿崩壊前後を通じ、数多あった悲劇の隅に僅かに花開いた美談であったのではないかと思われるのである。丁度、そもそも救いようのないほど暗く悲惨な戦争映画にも小さな美談が描かれるように、この映画においても、むしろ本来の主題はシュタージに翻弄され破滅していくイェースラーやクリスタであったのではないか。そして壁の崩壊後にあって本当に総括されなければならないのは、むしろ体制に順応し、自分の友人や家族を裏切り、そしてそれが公に知られた人間たちのその後の人生なのではなかったのだろうか。その意味で、この映画でもむしろ登場人物たちの壁崩壊後の生き方をもっと詳細に見つめて欲しかったと思うのは私だけであろうか。
そうは言っても、冒頭に書いたとおり、一見暗く、映画としての面白さを期待できないシュタージをテーマに、これだけ面白いものを作り上げたフォン・ドナーズマルク監督の手腕は見事である。また主演のヴィースラーを演じたウルリッヒ・ミューヘは、最近他界したと聞く。俳優個人は、実生活ではシュタージとの接点はなかったのではないかと思われるが、この事実は何かシュタージ問題が過去の問題として次第に忘却されつつあるのではないかという漠然たる思いを抱かせる。歴史の総括はまだまだ終わっていないにもかかわらず。
鑑賞日:2007年8月25日