アイヒマン・ショー
監督:ポール・アンドリュー・ウィリアムズ
2015年に制作された英国映画で、監督はポール・アンドリュー・ウィリアムズ。1961年にイスラエルで行われた、元ナチス親衛隊将校アイヒマンの裁判をテレビで撮影し、世界に放映した男たちの物語である。ドイツで制作された作品ではないが、ホロコーストを主題としているので、「ドイツ映画日誌」に掲載する。暇な週明けに、久し振りにナチス関係の映画でも観ようか、ということで、以前に耳にしていたがまだ観ていなかったこの映像を衝動的にレンタル店で借りることにした。主人公の二人、イスラエルの映画プロデューサー、ミルトンをマーティン・フリーマン(ネット解説によると、「シャーロック・ホームズ」のTVドラマで、ワトソン役を演じているそうである)、そして米国から呼ばれた映画監督レオ・フルヴィッツをアンソニー・ラバーリア(彼もFBI物のTVドラマで主演しているという)が演じているが、監督も俳優も私は知らない人々である。
モサドによる、アイヒマンのアルゼンチンでの逮捕、そして彼のイスラエルでの裁判自体は、H.アーレントの「イスラエルのアイヒマン」を待つまでもなく、歴史に残る事件であった。しかし、それが世界に広く知れ渡ったのは、この「ナチスのホロコーストを裁く歴史的な裁判」が、当時新たなメディアとして急速に広がっていたテレビ映像を通じて世界に配信されたからであり、その陰には、それに奔走した映画プロデューサーや監督の努力があった。
ミルトンに呼ばれた米国人映画監督のレオがイスラエルに到着し、二人が会う場面から映画が始まる。当然、当時の首相ペングリオンを始め、イスラエル政府は、この映像化を目論んでいるが、その時点では、まだ「司法権が独立している」イスラエルの裁判所から、この裁判を撮影する許可は得られていない。「法廷にTVカメラを持ち込むことは許されない」という裁判所の指示を受けて、ミルトンらは、壁に穴を開け、カメラを隠すことで許可を得て裁判の撮影が始まる。しかしその後も、彼らに対するナチス残党からの脅迫やテロの実行(イスラエル国内にもナチス・シンパがいた、ということは、やや意外である)、あるいは同時期に起こっていたガガーリンの宇宙飛行や米国のキューバ侵攻などにより、この裁判へのジャーナリストの関心低下、といった試練が課されるが、彼らは何とかこのプロジェクトを遂行していくのである。
アイヒマンについては、実際の裁判での映像と、この映画の映像の二つが使われるが、私は、実際の裁判でのアイヒマンの映像を観るのは初めてである。彼が、裁判で、ほとんど表情を変えず、淡々とそれが進んだ、というのは良く知られたところであるが、実際の映像は確かにそれを物語っている。映画でも、レオが、ひたすらアイヒマンの表情の変化を追うようにカメラマンに指示するが、映画の後半、ホロコースト生き残りの人々の証言が始まっても、そしてついにはホロコーストの悲惨な映像が映し出されても、それを観るアイヒマンの表情には大きな変化が現れることはない。歴史的には、この裁判でのアイヒマンを通して、「どこにでもいる平凡な人間でも、こうした悲惨な事件を引き起こす」という議論が主流であるが、これだけの証言や映像を見せられて全く動揺しない、というのは、それこそ彼が特別の精神力を持っていたのであり、それこそがこうした虐殺実行の原動力であったという見方もできるだろう。裁判は、ヘスとの関係を含め、事件への関与をひたすら否認するアイヒマンが、最後にブダペストからオーストリアへの「死の行進」を、「命令してはいないが、提案した」と認めることで、彼は有罪となり、そして死刑判決が下され、処刑されることで終わることになる。
上記のホロコーストの本物の映像は、映画では、撮影側の技師たちの中にさえ、これらにショックを受けて仕事を進めることができなくなった者がいたように描かれているが、それはこの映画を観ている観客にとっても同様である。私自身、こうした写真や映像は部分的には過去に見た記憶はあるし、実際アウシュヴィッツを訪れた際に、収容所の現場で、多くの写真を見ている。しかし、この映画で、これでもかこれでもか、と見せられると、その悲惨さに改めて陰鬱になる。恐らく重要なことは、このころまで、ホロコーストは、一般的には知られていたが、その認識が世界的に広まるまでには至っていなかったという点であろう。映画でも、その犠牲者たちは、この裁判で証言を促されるまでは、自らの体験を語ることを躊躇っていたということである。しかし、この裁判でそうした機会を与えられ、そしてそれが主人公たちの努力で、テレビというメディアを通じて世界に広がったことで、ホロコーストに対する議論が真剣に取り上げられることになったのだろう。そうした映画の性格上、これは決して「楽しい」映画ではないが、ホロコーストを語る上での、ある重要な歴史を記録した貴重な作品と言える。
なお、ネットを見ていると、この前後に、映画界で「アイヒマン・ブーム」が起こり、彼のアルゼンチンでの逮捕に至るモサドやドイツの検察官の執念を描いた作品等も制作されているようである。次にこうした作品も追いかけてみたい。
鑑賞日:2021年5月24日