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映画日誌
ドイツ映画
アイヒマンを追え!
監督:ラーズ・クラウム 
 「アイヒマン・ショウ」、「ハンナ・アーレント」に続く、「アイヒマン」関連の三作目。2015年制作、2017年日本公開のドイツ映画(全編、基本はドイツ語)である。監督はラーズ・クラウム、主演のヘッセン州検事長(首席検事)フリッツ・バウアーをブルクハルト・クラウスナーが演じているが、もちろん両名やその他俳優を含め、私が知っている名前はない。主たる舞台は、懐かしいフランクフルト(但し、1950年代後半)であるが、残念ながら私の記憶にある街の景観は、ほとんど登場することはなかった。

 バウアーは、元社会民主党員(あるいはその支持者)で、戦中はナチ体制から亡命し、戦後ドイツに復帰、ナチの戦犯を摘発することに注力している。しかし、元ナチスの関係者が依然政権中枢に多く残っていることもあり、なかなか捜査が進まず苛々している。冒頭、一人暮らしのバウアーが、自宅の浴槽で、睡眠薬摂取が原因と思われる溺死から辛うじて生還するところから映画が始まるが、当初、これは物語の先取りをしたのかな、という印象であったが、そうではなく、自宅を含めて届けられる多くの脅迫状を含め、既に大きなストレスに晒されていることを示唆したもののようである。その後彼は、その老体に鞭打って、ナチ関連の犯罪捜査の進展を部下に強く要求するが、部下たちは余り乗り気でない。一方、ブエノスアイレスでは、アイヒマンがインタビューで、ユダヤ人の粛清が完遂できなかったのは残念、と語り、それがオープンリールに録音されている。

 そんな中で、彼の元に、ブエノスアイレス在住者から、アイヒマンがそこに潜伏しているという情報が手紙で届く。しかし、連邦検察庁や情報機関は、アルゼンチンへの逮捕・身柄引渡し請求に乗り気でない。それを受け、バウアーは、旧友であるヴィースバーデン州首相にだけ断り、あえて「国家反逆罪」にも問われかねない、モサドへの情報提供とアイヒマン拘束を依頼することになる。イスラエルで、目隠しをされ、モサド長官のいる砂漠の中の本部へ案内されるバウアー。モサド長官は、アイヒマンの拘束には、彼の提示した証拠に加え、第二の確証が必要と言う。帰国後、それを模索するバウアー。唯一信頼できると考えた部下カール・アンガーマンの伝手を辿り、危ない筋の情報提供を求めるが、彼を通じ、アイヒマンがかの地で偽名でナチのユダヤ人絶滅政策を称賛する、上記のインタビューを行っているテープを入手、それをもってモサドは、アイヒマンを特定し、バスから降りて夜道を一人歩くアイヒマンを拉致・誘拐するのである(この場面は、映画「ハンナ・アーレント」の冒頭にも挿入されていたが、そこではアイヒマンは小型トラックの荷台に押し込まれるように描かれていたが、ここでは通常のセダン車の後部席に押し込まれている)。またその過程で、ドイツ検察庁を通じて情報が洩れ、アイヒマンが逃亡することを避けるため、バウアー自身が記者会見で、「アイヒマンがクウェートにいることが確認できた」という偽情報を流したりするのである。

 それでもフランクフルトでは、バウアーの捜査を妨害するその他の様々な工作が画策されていた。その決定打は、バウアーがモサドと内通したことについて、「国家反逆罪」として摘発することで、そのため、バウアーに手を貸したアンガーマンを、彼の同性愛の現場写真で脅し、バウアーのモサドとの内通を証言させるという策略。しかしアンガーマンは、最終的にバウアーを守り、自ら同性愛疑惑について警察に自首するのである。バウアーは、アイヒマン逮捕の新聞報道を喜ぶが、しかし、彼の裁判をドイツで行う、という彼の計画は政権幹部に拒否され、結局裁判はイスラエルで行われることになる。結果に失望するバウアー。しかし、彼はその後も、アウシュヴィッツの実態を暴くなど、ナチスの犯罪を摘発することに邁進した、そして彼の死から10年後に、アイヒマンの逮捕に彼が関わったことが公表された、というテロップと共に映画は終了する。

 バウアーは、老境に差し掛かった、見るからに精彩の上がらない、妻とも別居中の男に描かれている(「アーレント」と同様、彼もヘビー・スモーカーで、常時煙草か葉巻をふかしている!)が、その彼が、政権上層部の妨害にも負けず、アイヒマン摘発に邁進したという、そのアンバランスがこの映画の見せどころである。結婚したてで、妻が初めての子供を妊娠したばかりの部下の若い検事アンガーマンが、バウアーの警告を無視し、同性愛にのめりこんでいく場面は、当初は、何だこれはという印象であったが、最後は彼が自首し逮捕されることで、バウアーを守ることになった、という落ちに繋がるということで、何とか納得。バウアーの熱意が、彼の行動を促したということになっている。

 西ドイツ政権内部のナチ残党実力者については、時の官房長官グロプケの名前などが出されているが、これは戦後60年以上が過ぎ、既に歴史となった時代であるが故にそうした実名を出すことができたのであろう。60年代末の学生運動も受けた、戦後ドイツによるナチスの過去の遺産総括の一端を表現した作品と言える。尚、バウアーの生い立ちから、デンマークやスウェーデン亡命を経て、戦後のドイツへの帰国、そして法律家としてのナチス追求の実際については、イルムトゥルード・ヴォヤークによる「フリッツ・バウアーと1945年以降のナチ犯罪の克服」という詳細な論文がネットでも公開されている。

(http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/11-3/hondapark.pdf)

 バウアーが、戦後のドイツでのナチス犯罪の法的追求に果たした役割は、確かに大きかったことが確認できる。

 ということで、取り合えず「アイヒマン」関係の映画は、これで一服することにする。

鑑賞日:2021年6月14日