手紙は憶えている
監督:アトム・エゴヤン
友人から薦められた、「アイヒマン」関連とはまた趣が異なる、しかしアウシュヴィッツを素材にした作品である。2015年制作のカナダ・ドイツの合作映画で、監督はアトム・エゴヤン、主演の老人セブ・グッドマンをクリストファー・プラマーという俳優が演じているが、当然ながら監督も俳優も、私は初めて聞く名前である。英語の原題は「Remember」。
90歳で認知症が進んでいるユダヤ人で、アウシュヴィッツの生き残りである老人セブ・グッドマンは、老人ホームで出会ったマックスというユダヤ人から、そこで彼らの家族を殺したナチの収容所ブロック責任者が、ルディ・コランダーという名前で米国に逃亡し、そこで生きながらえていると告げられる。車椅子から離れられないマックスに替わり、セブは、そのルディを見つけ、自分の手で殺す決意をする。但し、ルディ・コランダーという名前の老人は何人かおり、またセブは認知症の進行から、マックスが書いた何人かのルディの所在地と彼を始末するための手順が書かれた手紙を何度も読み返しながら、候補の男たちを訪ねて回ることになる。老人ホームから「失踪した」セブを息子のチャールズが追跡している。
老体に鞭打ちながら、銃を買い込み、米国内からカナダまでルディを追うセブであるが、初めに辿り着いた何人かは、目的とする男ではなく、またその内の一人は、熱狂的なナチ崇拝者ではあったが既に死亡。そして同じくナチの崇拝者で反ユダヤ主義者であるその息子から、父親のナチ関連のコレクションを見せられたところで、セブがユダヤ人であることを知られ暴行されかけたことから、その息子を銃で殺害までしてしまう。そして最後に尋ねた男の声から、セブは彼がルディであることを確信する。丁度、セブを追跡する息子がそこに到着したところで、セブは男の娘や孫娘の前で、その男に自白を迫り、そして彼を殺し、自分も自殺するのでる。しかし、その最後には、全く予想もつかなかったどんでん返しが仕組まれていたのである。
90歳の認知症の老人が主人公であることから、映画はゆったりと進んでいく。認知症で、直前の妻の死去も認知できないが、人生の最後にアウシュヴィッツで家族を殺し逃亡したナチの戦犯への復讐だけに賭ける老人を演じた主演俳優はたいへんだったと思うが、観る方からすると、美男美女が登場することもなく、正直途中で散漫になることもあった。ただ最後のどんでん返し(それは決定的な「ネタバレ」になるので、ここでは明かさないが・・)で、「なるほど、この映画は、これを見せるために、認知症老人の復讐の旅を描いてきたのだな」と妙に納得することになった。あえて言うならば、この復讐劇は、身体が動かなくなったマックスによる、セブを含めたナチ戦犯への復讐劇であったということになる。ただ、改めて考えてみると、この私の理解にはいくつかの疑問点もあり、それで正しいかどうかについては、やや自信がなくなってしまった。この点については、改めて、この映画を薦めてもらった友人の意見なども聞いてみたい。
米国とカナダが舞台であることから、言葉は英語が主体であるが、最後にセブとルディが対峙する場面だけはドイツ語になる。ルディに向かい「お前の声を覚えている」というセブの言葉通り、若き頃の記憶と言葉は、認知症の進む老人の中にも生き続けていたということを監督は言いたいのだろう。アウシュヴィッツで殺した側、殺された側双方の最後の残り火といった趣の作品であった。
鑑賞日:2021年6月26日
(追記)
この映画を薦めてくれた友人に、私の理解について確認を取ったところ、彼も同様であることが分かり、取り合えず安心した。囚人番号:98814、本名:オットー・ヴァリッシュ、囚人番号:98813、本名:クニベルト・シュトルムというのが、この経緯の鍵である。
そうは言いながらも、やはり疑問点は残る。特にマックスが、セブに復讐を持ちかけた際に、「オット・ヴァリッシュを探せ」と言っているが、セブは、その時既に、その名前の意味することが分からない程認知症が進行していた、ということだったのだろうか?また彼は、最後まで自分がアウシュヴィッツの囚人であったと信じていたが、それも認知症のせいなのだろうか?更に、彼は全編を通じ「ユダヤ人」ということになっているが、それを考えると彼は、ハンナ・アーレントがアイヒマン裁判でも指摘した、アウシュヴィッツでの「ユダヤ人協力者」ということになるが、映画の最後に映し出される若きオットーの写真は、どう見てもナチスの正規兵である。このあたりは引続き、機会があれば確認しておきたいものである。
2021年6月28日 追記