アジア・ドイツ読書日誌と
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映画日誌
ドイツ映画
カティンの森
監督:アンジェイ・ワイダ 
(本作は、もちろんドイツ映画ではないが、関連する作品ということで、ドイツ映画欄に掲載させてもらう。)

 年末にナチス関係の著作を読んだ際、その一つで紹介されていたA.ワイダ監督の「コルチャック先生」を探しにレンタル店に行ったところ、その作品の在庫がなかったことから、他のワイダ作品として在庫のあった本作を借りて観ることになった。言うまでもなく、ワイダは、戦後ポーランド、のみならず世界が生んだ偉大な映画監督の一人で、私も学生時代に、戦後ポーランドの親ソ傀儡政権に対する反体制運動を追いかける中で、連帯のワレサを主人公とする連作映画に触れることもあった。しかし、それから数十年、彼の作品に触れる機会がないまま過ぎていたが、今回、上記の敬意で、改めて彼の作品を、入手可能な範囲で観てみようという気になったのである。

 この映画の素材は、1939年8月の独ソによるポーランド分割の際に、多くのポーランド将校が捕虜となり、その内約12000人がカティンの森で処刑された事件である。冷戦時は、ソ連の支配下、この事件はナチスが実行したものとの宣伝がポーランドでの通説であったが、実はそれはソ連軍により行われたものである、という説は、西欧諸国を含め常に存在した。そして冷戦終了後、そのソ連実行説が歴史的に検証されることになったものである。この事件をワイダはどのような視点から描くのだろうか?映画は2007年の制作である。因みに、ワイダ自身は、2016年10月に90歳で逝去、2016年制作の「残像」が遺作となっている。

 冒頭、独ソによる分割でソ連軍の捕虜となったポーランド将校アンジェイ大尉の許に、妻のアンナと娘が訪れるところから映画が始まる。アンジェイは、妻に対し、「自分は軍に忠誠を誓った」として、逃亡を願う妻の言葉を聞かず、汽車で収容所に送られていく。彼は手帳に、日々の出来事を熱心に記載している。他方妻は、苦労しながらクラコフの夫の親元に辿り着くが、その義父であるクラコフ大学教授も、ナチスにより連行され、その後収容所で病死したとの知らせが届くことになる。そして1943年、ドイツ支配下にあるクラコフで、カティンでのポーランド将校処刑の知らせが公表されるが、アンジェイの名前が死者に含まれていないことに、アンナと義母は安堵している。

 次に焦点が当たるのは、大尉と共に拘束されたポーランド軍大将とその妻。1943年、そのカティンでのポーランド将校の大量処刑につき、ナチスは、ソ連によるものと公表する。そしてそこで確認された死体にその大将が含まれていたとして、その妻に、夫はソ連軍に処刑されたとして、それを確認する公式文書への署名を求めるが、妻はそれを拒絶する。彼女は別室で、1940年春に実行されたというその大量殺人現場のフィルムを見せられ(そして恐らく最終的に文書に署名して解放されたのだろうが)、その後、街に出たところで失神する。

 そして戦後の1945年、クラコフはソ連軍により「解放」されている。そこに暮らすアンナのもとに、ソ連拘束時にアンジェイ大尉と共に拘束されたが、その後、親ソパルチザンに参加し生き残ったイェジが訪れている。彼はアンナに、自分のイニシャルの入ったセーターアンジェイに贈ったことで、自分が死者として発表されたが、実は殺されたのはアンジェイであったことを告げる。希望を失ったアンナは倒れ込む。他方、イェジは、カティンの虐殺がソ連の犯行であることを検証した法医学研究所を訪れ、そこの所長に、イェジの名前で保管されている遺品は、アンジェイの遺品であることから、個人的なお願いとしてアンナに返還して欲しいと依頼している。

 クラコフを占領したソ連は、カティンの虐殺は、ゲシュタポにより(ドイツ占領後の)1941年秋に行われたと街頭宣伝している。しかし、かつてドイツ軍に、その実写フィルムを見せられた大将夫人が、「(ドイツが実行したのは)嘘」と警察に詰め寄った現場にいたイェジは大将夫人に、「これは嘘ではあるが、それを主張することなく生き延びて欲しい」と説得する。しかし、逆に大将の妻から、嘘に生きることを非難され、イェジは、酒場でソ連の嘘を叫んだ後、自らピストルで命を絶つことになるのである。

 同じ頃、アンナの甥のタデウシュ。美男の彼は、レジスタンス活動で大戦を生き残るが、戦後美術学校に入り直そうとした際に、その履歴書に「父は1940年に、カティンでソ連軍に虐殺された」と記載したことを、校長の女から咎められる。書き直しを拒否し、街の親ソ宣伝ポスターを破ったことで、警察に追われ、最後は警察の車に跳ねられて死亡する。

 そしてそれと並行して挿入されるのは、その校長の妹で、ポーランド蜂起にも参加し生き残ったアグニェシュカ。彼女は、カチンで殺された兄ピョートルのロザリオを受け取ったことから、彼の遺影を入れた墓碑を作り、そこに「1940年4月、カチンで非業の死を遂げる」と記す。共産党に入党した校長の姉の説得を無視し、それを設置しようとした彼女は、「偽りの死亡時期を石碑に記した反ソ分子」として逮捕され、墓碑は破壊される。一方、イェジが自死したことで、彼の良心を理解した法医学研究所の使者が、イェジの遺品として保管されていたアンジェイの遺品をアンナに届けている。そこには、遺体から発見されたアンジェイ大尉の汚れた手記が入っており、それが、この悲劇の真実を語る証拠として残されるのである。その手記は、「1940年4月」で終わっている。

 こうして最後に、支配者により、首謀者が変転したこのカティンでのポーランド将校大量殺害事件の実行現場が赤裸々に描かれることになる。大将ら上級者は、一人一人呼び出され確認された上で、また下級将校は、掘られた穴の縁で、次々に銃殺され、そしてその穴がブルドーザーにより埋められていく。

 ネットにある評でも触れられていたが、ワイダ自身、大尉だった父親がカティンで殺されている(それを知ると、アンジェイ大尉に、監督の父の姿が投影されていると考えられなくもない!)というので、この作品は監督にとっても、個人的な思い入れの深いものであったことは容易に想像される。その点では、この虐殺がソ連によるものであるという側面をより強調することもできたと思うが、彼は敢えてそうした勧善懲悪型の演出を排し、むしろ支配者が変転することで振り回される人々、あるいはそれにも関わらず、支配者に敢然と立ち向かった人々の視点からこの事件を描いているように思われる。掘り起こされた死体や、処刑場面等、実写フィルムを含め、当然ながら暗い描写が至る所にある作品であるが、やはりそうした支配者に敢然と挑戦した人々の希望は残る作品である。やはりワイダの力量は凄い!これからしばらくは、彼の作品を入手できる範囲で探していこうと考えている。

鑑賞日:2022年1月1日