ワレサ 連帯の男
監督:アンジェイ・ワイダ
(本作も、ドイツ映画ではないが、ワイダ作品は引続きドイツ映画欄に掲載させてもらう。)
年初、A.ワイダ監督の「カティンの森」を観た後、これからしばらくは彼の作品を集中的に観ようと決めた。しかし、レンタル店には彼の作品の在庫は少なく、結局取り寄せで入手可能だったのが、2013年制作のこの作品であった。
言うまでもなく、これは1970年代から1980年代にかけて、社会主義政権下のポーランドで、反体制的な労働組合連帯を率いたレフ・ワレサの物語である。個人的には、まさにこの同時代の大学生時代に、東欧社会主義政権のソ連衛星国下での戦後史と、そこでの反体制運動を追いかけていた私は、この監督と当時の作品、「大理石の男(1977年制作)」や「鉄の男(1981年)」を聞いていたが、当時岩波ホールで上映されたこれらの作品は、この時既に就職していたこともあったのだろう、きちんと観た記憶は残っていない。そんなこともあり、今回彼の関連する作品を観ておこうということで、最初に入手できたのがこの作品であったが、注文した時は、上記の「大理石の男」や「鉄の男」のいずれかと考えていた。しかし、今見終わってレビューを書く段階になって、今回の作品は、同じテーマを扱っているが、制作はその時代から半世紀近くを経た最近の作品であったことを認識することになった。その意味では、社会主義政権が崩壊し、民主化が行われたポーランドで、それ以前の時代をワイダが総括するという意味合いで制作されたものであると言える。実際の映像らしきものも数多く挿入されているが、ワレサは、「そっくりさん」俳優(ロベルト・ビェンツキェビチ)が、ダヌタは、本当はどうか分からないが、中々美形のポーランド女優(アグニェシュカ・グロホウスカ)が演じている。
映画は、1980年代初頭、連帯を結成、指揮するワレサを、イタリア人女性ジャーナリストがインタビューに訪れる場面から始まり、その後も、時折このインタビューに戻りながら進む。そしてソ連の支配下、生活物資の激しいインフレが進むポーランドで、1970年12月、グダンスクの造船所で労働者のストライキが発生し、それを弾圧する当局との騒乱(12月事件)から彼の闘いが始まる。ワレサは、造船所の電気技師であり、家庭的には妻のダヌタが、第一子の臨月を迎えている。現場で彼は当局に拘束、尋問されるが、むしろデモの過激化を止めるよう動いたということで、「法に従う」といった誓約書に署名させられ解放される。その間に妻は第一子の男の子を出産している。しかし、第一書記ギエレクは、造船所の労働環境の改善を約束するが、それは全くの空手形で、ワレサは、次第に御用組合に代わる組織を結成する仲間に加わっていく。その過程で、解雇や拘束が繰り返されている(一回は生まれたばかりの乳飲み子と一緒に投獄され、警察官の女性に授乳してもらうエピソードも挿入される)。また、公安当局による家宅捜索の最中、ローマ法王のミサを伝えるテレビの前で祈るダヌタの姿も描かれるが、これはカトリック信者が多数を占めるこの国の実像である。ワレサ自身も敬虔なカトリック信者である。
続けて時は1979年12月に跳ぶ。ワレサは、12月事件から10年を記念する造船所での集会に飛び入りで演説を行う。それは説得力のあるもので、彼に対する関係者の注目が高まり、そして再びストの気配が高まった1980年8月、ストの首謀者たちは、ワレサの参加を打診することになる。家庭では、既に6人の子持ちになっている彼は、ダヌクへの配慮から悩むが、結局これに参加し、直前に斬首された女性労働者の職場復帰や自由労組の結成等を要求し、造船所管理者との交渉を率いるのである。こうしてワレサの粘り強い交渉は勝利し、同年12月、自由労組「連帯」が誕生する。一躍時の人となったワレサの自宅には早朝から記者らが押し寄せるが、それにうんざりしたダヌタに、ワレサは、「チフス発生。部外者入室禁止」と書かれた紙をドアに張り付ける提案を行い、彼女を失笑させるのであった。
しかし、1981年12月、ヤルゼルスキーによる戒厳令が布告され、彼は直ちに拘束、そのまま翌年5月には東部の施設に移動、隔離が続けられることになる。そこでは、テレビを通じての「連帯」によるスト中止を行うことで解放されることを告げられるが、彼はそれを拒否し、拘束が続くことになる。また訪れたカトリックの司祭から、「ワレサは公安のスパイだ」といった「連帯」が作成したように見せかけるビラを公安が広めていることも知らされ、困惑する。しかし、1982年11月のブレジネフ逝去で一旦解放される。
翌1983年秋、厳しい監視体制が続く中、ノーベル平和賞受賞の電話が、ノルウェイから入る。一旦国から出ると帰国が出来ない、との判断から、同年12月の授賞式には、妻と子供の一人が出席することになるが、これは後年のミャンマー、アウンサンスーチー(あるいは昨年のロシアのジャーナリスト)のケースと全く同じであったことが、今改めて思い出される。授賞式からの帰国後時、ダヌタが空港での身体検査で全裸にされるところも描かれているが、これは当時のロンドンでも、日本から赴任してきた同僚女性が同様の仕打ちを受けたこともあったので、特別のことであった訳でもないのではないか。そして、ここでイタリア人ジャーナリストのインタビューが終わることになる。
その後、1989年4月、民主化機運が再度高まる中で、政府と「連帯」の間で円卓会議が設けられ、そこで「連帯」が最終的に「自由労組」として認められる(そのテレビ報道を観ながら公安担当者が、「またいつか捕まえてやる」と呟く場面は、妙に心に残る)と共に、6月の両院議会選挙で勝利する。そして11月、ベルリンの壁崩壊を受けた民主化で、ワレサは完全に復権、壁崩壊直後に米国を訪れ、議会で演説する場面で映画は終わることになる。もちろんその後、彼は1990年に、民主化ポーランドの第二代大統領に上り詰めることになるが、これは描かれていない。因みに、1943年9月生まれの彼は、現在も存命である。78−79歳というところだろうか?
上記のとおり、実際の歴史から約半世紀を経ての、ワレサを主人公としたポーランド現代史の再現であることから、話の展開は予想ができ、あまり緊張感を感じさせられない。また「カティンの森」では、まさにドイツ犯行説とソ連犯行説の間で振り回される人々の揺れる気持ちが描かれていたが、ここでは勧善懲悪が分かった上で、ワレサと妻を始めとするその家族の闘いが、ある意味平坦に描かれていることから、映画としてのトリックや緊張感を感じることができない(時には笑いを誘う場面もあるが・・)。その意味では、まさにその後の展開が予想できない中で制作されたかつての「大理石の男」や「鉄の男」の方が、そうした感覚に満ちたものになっているのではないか、という気がする。順序が逆になってしまったが、この2作を何とか観てみたいという気にさせられたのであった。
鑑賞日:2022年1月9日