ヒトラーに屈しなかった国王
監督:エリック・ポッペ
(この作品も、「ヒトラー関係」ということで、「ドイツ映画」欄に掲載する。)
ヒトラー関係の周辺国制作映画の続き、2016年制作のノルウェー映画。ノルウェー映画としては、先日「ソニア」を観た(別掲)が、それは、既にこの国がドイツ軍により占領されて以降の話であった。それに対し、こちらは、まさにこの国がドイツ軍に占領される数日間を、当時の国王の対応を中心に描いた作品である。冷たい雨の降りしきる週末のお籠りの暇潰しであったが、なかなか見応えのある作品であった。監督は、ノルウェー人のエリック・ポッペ。もちろん初めて聞く名前である。主人公の国王を演じるのは、イェスパー・クリステンセンというデンマーク人俳優である。彼は「007」シリーズの悪役、ミスターホワイト等を演じているというが、余り記憶はない。
冒頭に、1905年の、ノルウェーの立憲君主制への移行がルビで説明される。この年、ノルウェーはスウェーデンから独立したが、その際立憲君主制とすることが決まり、デンマーク王室関係者が国王として呼ばれ、同年11月、ホーコン7世として即位したという。全く知らなかった歴史的事実であるが、特段ノルウェー出身でもないデンマークの王室関係者(デンマーク王の弟)を、新たな国の君主として呼び寄せる、というあたりは、スカンジナビア諸国の関係の深さを物語っている。因みに、現在の同国の国王ハーラル5世は、ホーコン7世の孫にあたる。
そして話は1940年4月に跳ぶ。ノルウェー近海にドイツ軍の艦隊が接近し、英仏連合軍は、それを阻止するために機雷を設置している。しかし、一部の被害は出ながらも、ドイツ軍はフィヨルド内に侵入し、ノルウェー海岸にある要塞からの攻撃も、それを阻止することはできない。一方ドイツ軍が侵攻する中、在ノルウェーのドイツ総領事ブロイアーは、軍事力による侵攻に疑問を持ちながらも、何とか交渉で、ノルウェーからのドイツ協力を取り付けようと考え、「機雷設置で中立国ノルウェーの主権を侵害した英仏からノルウェーを守る」と主張するが、内閣は受け付けない。そしてドイツ軍の侵攻を止められないと認識した国王と内閣の北方への避難が始まる。デンマークでは、国王の兄が既にドイツに降伏している。
避難先の街で、首相と内閣が総辞職することを表明するが、国王はそれを認めず、こうした危機に国民に対する義務を果たすことが民主国家の内閣の責任であると諭している。また国王と内閣の逃亡を受け、親ナチス勢力のクヴィスリングという男がクーデターを起こし、国民に向けて新政権が樹立され、今後はドイツに協力するようラジオで演説を行っているが、この勢力は、国民に全く人気がないことは国王はよく分かっている。
ドイツ公使ブロイアーは、ドイツ占領軍の力による脅しではない、交渉による占領を模索する「平和主義者」として描かれているが、占領軍が、逃亡した国王たちを追跡することは阻止できず、またヒトラーから、国王と二人だけで交渉するよう直々に命令され、それを申し入れる。そして逃亡先の小さな町の高校で、面談が実現する。これが映画のクライマックスになるが、「国民を救うためにドイツに協力することを受け入れて欲しい」と懇請するブロイアーに対し、国王は「民主国家では、そうした判断は、内閣に諮らずに行うことはできない」と拒絶するのであった。
その後、ドイツ軍の支配地が拡大する中、国王たちの避難場所もドイツ軍の空爆を受けたりするが、何とかそれを逃れ、結局国王と皇太子は英国へ、その幼い子供を含む家族はスウェーデンを経て米国に亡命し、戦後ようやく再会をすることになる。国王は1957年に85歳で逝去し、その後皇太子が、オーラブ5世として国王を引き継ぐことになる。他方、ドイツ側では、ブロイアーが、国王を説得できなかった責任を取らされ東部戦線に送られ、終戦後ソ連での8年の抑留を経て、戦後まで生き延びたという。また逃亡する国王たちを追ってきたドイツ軍を、自らは傷つきながらも機転で追い返した少年兵の逸話と、彼のその後なども挿入されている。
映画の冒頭で、国王が雪の中の孫たちのかくれんぼを楽しんでいるところなど、国王の子・孫煩悩な様子が長閑に描かれるが、息子の皇太子との会話では、好戦的な彼を冷静に諫める等、そして何よりもドイツ軍の侵攻が進む中で、通常の君主としての形式的な役割を越えた大きな責任を背負う交渉を受け、それをブレずに果たしたことが彼の功績として描かれる。彼の決断の結果、ドイツ軍とのその後の戦闘で、多くの国民の犠牲者を出すと共に、国は最終的にドイツに占領されることになるが、そうした「外国人」の国王を、ノルウェー国民は尊敬し、また国王も「外国人の自分を受け入れてくれた国民」を想い、「すべては祖国のために」という信念で行動したと語られる。もちろん、それは映画的に美化された演出で、特に立憲君主制自体が過去の遺物という雰囲気が強まる現在から考えると、やや誇張された国王(=君主制)賛美であると言えなくもない。そうした古い時代意識を感じさせられながらも、こうした危機に際し、人間的且つ尊厳を失わずに行動した国王は、ノルウェー国民にとっては、それなりの誇りだったのだろう。恐らく日本では、天皇をこうした形で描くことは、右翼・左翼両側からの批判を受け金輪際できないだろうな、と感じたのであった。
鑑賞日:2022年2月13日