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映画日誌
ドイツ映画
グッバイ、レーニン!
監督:ボルフガング・ベッカー 
 韓国映画は一段落させて、先般読んだドイツ関係本で紹介されていた映画の内、レンタル店に在庫のあった「グッバイ・レーニン」を、77回目の終戦記念日に観ることになった。2003年制作のドイツ映画で、地元ドイツのアカデミー賞では9部門を受賞。また2004年のゴールデングローブ賞で、最優秀外国語映画賞にノミネートされたという作品である。監督は、ボルフガング・ベッカー、主役の若者アレックスを、ダニエル・ブリュール、その母親クリスティアーネをカトリーン・ザース、アレックスの恋人ララをチュルパン・ハマートバといった俳優が演じているが、もちろん知った名前はない。

 1978年の東ドイツ。町の景観が聳え立つレーニン像等と共に映される中、ソユーズ31号で、初のドイツ人宇宙飛行士イェーンが宇宙に滞在し、それを誇らしく眺めている少年がいる。彼は、両親と姉の4人家族で、将来は自分も宇宙飛行士になる夢を抱いている。しかし、その頃、父親が、西独の女に誑かされ、西に亡命。それ以来母親のクリスティアーネは、ショックの余り口がきけなくなり8か月にわたり入院。退院後は、一転、東独政府に徹底的に奉仕する社会主義教育と社会運動に身を捧げることになる。

 そして1989年10月。東独政府が40周年の建国記念日を祝った頃、ゴルバチョフ改革の影響下、東独での反体制運動が盛り上がり、アレックスもそれに参加している。そして偶々警官に逮捕されるアレックスを目撃した母親が、心臓麻痺で倒れることになる。その知らせにより拘束された場所から解放されたアレックスが病院に向かうと、医者は彼に、母親は意識を失っており、助かっても記憶は失われる可能性が高いと通告している。病院で母親の世話をするララに想いを馳せながら、アレックスは医者や姉の反対を押し切って、母を自宅に引き取るが、結局彼女は8か月にわたって眠り続けることになる。そしてその間に東独ではホーネッカーは退陣、そして壁が崩れ、東独の社会主義政権は実質死滅することになる。西独資本主義が雪崩をうって東独地域に流入する中、子供を連れて離婚した姉は、大学での経済の勉強を止め、バーガーキングの売り子で生計を立て、売り場で父親らしき男が車で買いに来ているのを目撃している。そしてアレックスも衛星放送の契約売り込みの仕事をしながら、ララとの距離を縮め、二人でパンクロックのコンサートなどに参加している。

 そうこうしている内に母親が意識を回復する。医者から、再びショックが与えられると致命傷となる、と助言されていたアレックスは、母親が献身してきた東ドイツの社会主義政権が消滅したことを知られないよう、知恵を絞ることになる。部屋は、母が暮れしていた時と同じ仕様に変え、また母親が大好きなピクルスを、ゴミ箱から探した旧東独で出回っていた瓶に詰め替える。極めつけは、「テレビが見たい」という母親の希望に沿うため、映像制作者を志望する衛星放送販売の相棒に、旧独独時代のニュース映画を捏造してもらい、ビデオで母親に見せる。また母親の誕生日には、彼女のかつての学校教師時代の同僚で、新政権で失業し酒におぼれている様な校長や友人を集め、東独の旧政権が続いているように振る舞ってもらいながらお祝いの会を開いている。その時、彼女は窓の外に大きな「コカコーラ」の宣伝幕が垂れ下がっているのを見て疑問を感じるが、アレックスは、相棒に、「東独がコカコーラと提携した」というビデオ作らせてそれを収めている。そんな中ララは、アレックスに「こんなのはバカバカしいからやめるべき」と言っている。記憶を一部取り戻した母が、ヘソクリを隠した場所を思い出し、アレックスは2万東独マルクの現金を見つけるが、銀行では、2日前に東独マルクの交換は終わったと言われ、その紙幣を風に飛ばすことになる。

 母は徐々に快方向かい、かつて社会運動を行っていたように、秘書の女性に、社会問題を指摘する嘆願書をタイプさせたりしているが、ある日、姉の小さな子供が初めて歩いたのを見て、自分も歩けるとベッドから起き出し、アレックスが横でうたた寝している隙に、部屋から外に出ていく。そこで見たのは多くの西独の車と、そしてヘリコプターで運ばれていくレーニン像であった。母がいないのに気が付いたアレックスと偶々訪問途上であった姉に保護されるが、そこで母は変化に気が付くことになる。アレックスは、街に西独の車と人間が多いのは、西独が危機になり、多くの西独の人々が東独に逃げてきているからだと言い、そのように作ったビデオを見せている。

 母は、別荘の存在も思い出し、そこに皆でピクニックに行く。森の中の静かな別荘で、母は「私の寝ていた8か月に何があったの?」と言うと共に、実は父の亡命で自分は嘘をついていたという。真実は、先に西独に亡命した父を追いかけるつもりであったが、怖くなり自分は逃げられなかった。そして、それを埋め合わせるべく政権への奉仕に奔走したが、それは真意ではなく、その後父とも秘密の手紙を交換していたという。「父と死ぬ前にもう一度会いたい」と言った後、彼女の容態は再び悪化し、入院することになる。

 父からの手紙を見つけたアレックスは、そこに記載された住所を基に、ヴァンゼー(ベルリン郊外の高級住宅地)にある父の家を訪れる。そこに行くのに乗ったタクシー運転手は、アレックスの子供時代の英雄、ドイツ人初の宇宙飛行士イェーンである。豪邸でパーティー開催中の父親ローベルトと再会したアレックスは、母の危篤を告げる。そして病院を訪れた父との再会を果たした後、母の容態は再び悪化する。アレックスの相棒が、母親に見せる最後のビデオを持ってくる。彼が「最高傑作」というそのビデオでは、ホーネッカーの退陣が映され、その後継書記長として宇宙飛行士イェーンが指名されている。そしてその新書記長イェーンが、「宇宙から見れば地球での人間などちっぽけな存在だ。そこでは人々は敵対するのではなく助け合わねばならない。そのために自分は東西ドイツの国境を開放し、出世や競争、そして車やテレビなどよりも重要なものがあることを知らせるために、彼らを東独社会に受け入れる」と演説している。そのビデオを眺めた後、母は、東ドイツよりも3日生き延びたが、統一自体は知ることがないまま逝去する。違法であることを知りながら、彼女の意志に従い、遺灰の一部はロケットで空中に打ち上げられ、そこで散布された。母は、私たちを空から見ている、とアレックスが呟く。母は最期まで愛した国で生きた。その国は、最後まで私たちが生かした、現実には存在しえなかった国であったが・・。その国で僕はいつでも母の思い出に出会えると。

 先日読んだドイツ本では、この作品は「旧東独への郷愁(オスタルギー)を主題としている」と説明されている。確かに、壁が崩れ、西独の消費社会が一気に旧東独地域に雪崩れ込む中、アレックスは、母親にショックを与えないためにということではあるが、旧東独がそのまま続き、その時代の人々との交流が続いているように見せかけると共に、既に無くなった旧東独時代の食品なども偽装して母に提供している。また最後の偽造された「イェーン書記長」のビデオ演説でも、「西独の物質文明にはない価値が、旧東独にはあった」、と言わせ、その時代を懐かしんでいるように思える。

 しかし、この映画の真意は、表向きの厳格な規律に包まれた東独社会が、実は偽善と虚飾に満ちていたことを皮肉ったところにあるのではないか、そしてそれを半分喜劇的に表現したのではないかという気もする。母親が、実は自分も亡命を考えていたができなかったので、体制に懸命に奉仕をしている振りをした、と告白することで、アレックスが必死に取り繕ってきた旧東欧を再現しようという試みは無駄であったことが明らかになる。しかし、その後も母親はそれについては特段のコメントをすることなく、そして最後は最大の偽作で東独による逆の国境開放ビデオを見て感動した後に亡くなるというのは、一応アレックスの努力を評価していたことを物語っている。

 それでも、この映画がドイツで評判になったということは、そこにはやはりそれなりの「オスタルギー」が残っており、それを懐かしむ人々も多いことを示唆している。この映画で皮肉っぽく描かれている、統一後に没落した旧東独エリート層の気持ちはその最たるものであろう。現在もなお分断されていると言われる東西ドイツの現状を、ドイツ人らしからぬ諧謔と皮肉で満たしながら、しかし他方ではドイツ人らしく生真面目に取り扱った作品であると言える。

鑑賞日:2022年8月15日