灰とダイヤモンド
監督:アンジェイ・ワイダ
昨年初めに、アンジェイ・ワイダ監督の「カティンの森」を観た後、これからしばらくは彼の作品を集中的に観ようと決め、当時レンタル店にあった別の2作、「ワレサ 連帯の男」と「残像」(別掲)を観たが、特に観たかった「大理石の男(1977年制作)」や「鉄の男(1981年)」は、既に店には在庫がなかった。そんな話を友人にしたところ、ワイダのもっと古い1950年代の初期の作品2つを、個人的に録画したものを貸してくれた。これはその内の一作で1958年制作、1959年公開の作品である。
制作年から予想される通り「白黒映画」であるが、明らかにブルーレイ用に再編集されたと思われ、映像は鮮明で古さは感じられない。そして舞台は1945年のポーランドの郊外。日向ぼっこをしている様な男の二人組が、もう一人の男の「奴が来た」という声で突然起き上がり、近づいてきた車を銃で襲い、乗っていた二人を殺すところから映画が始まる。男たちが逃走して後にそこに現れた恰幅の良い男が、殺された者は自分と間違えられて撃たれたのだ、と村民に説明している。
暗殺を実行した男たち3人は街に戻るが、そこでは丁度ドイツが連合国側に降伏したとのアナウンスが街角のスピーカーから流れ、ホテルではその勝利のための市長主催の祝宴準備が行われており、暗殺を実行した男の一人が、その準備状況をチェックしている。彼は市長の秘書で、その他の二人に、「今回は情報を提供したが、今後は期待しないでくれ」と話している。そして銃を発砲した二人の内の一人(アンドレイ)が、公衆電話で司令官と思われる少佐に「任務完了」という報告をしているが、そこに恰幅の良い男が現れるのを目撃したもう一人の若い男(マチェック)が、公衆電話越しにそれを告げ、電話の男は「任務は失敗した」と言い直している。恰幅の良い男は、ロシアから帰国したばかりで、共産党の県委員会書記に就任し、将来は党中央の第一書記への昇進も予想されているシュチューカ。少佐に、今回の作戦で無実の犠牲者を出したことで、またシュチューカの暗殺をやるか、というアンドレイの問いに、少佐は「反独運動を続けてきた軍人として、これも実行しろ」と命令する。そしてその頃(彼らの息のかかった)「狼」部隊が共産党軍に包囲されて殲滅したことで、「苦境にある我々に必要な作戦だ」と念を押すのである。そして映画は、その後マチェックがホテルの隣室に宿泊しながら、シュチューシカの暗殺を実行する機会を伺うことを中心に展開していくことになる。一方、シュチューカは、彼が戦時にモスクワ遠征に出かけている間に息子を預けた女を訪問し、その17歳の息子の所在を聞いているが、女は惚けて、息子は家を出て消息は知れないと言っている。
ホテルでの祝宴を主宰する市長は、中央政界の閣僚への昇進が決まっているようである。また若い暗殺者マチェックは、ホテルのバーで知り合った給仕の女クリスチナ(美人である!)に惹かれ、一夜を一緒に過ごす内に、暗殺の指令を実行することに後ろめたさを覚え始めることになる。また市長の祝宴から戻ったシュチューカは、行方不明となっていた息子が「狼」部隊の一員として逮捕されていたことを知る。しかしこうした事態の顛末は、ここでは触れない。ただ、映画の題名が、マチェクとクリスチナが愛を交わした後の散歩で、雨宿りのため入り込んだ教会の墓標碑にあったノルヴィトという詩人(私は初めて聞く名前であるが、ポーランドでは著名な詩人、劇作家、画家であるという)の言葉に由来していることは記しておく。「わが身を焦がし自由の身となる時、持てる者は全てを失い、残るは、ただ灰とダイヤモンドのごとく深淵に落ち行く。灰の底深く眠る星のごとく輝くダイヤモンドの・・」というのが、その詩のメッセージとなる。
どうも、ドイツ占領から解放されたポーランドの新支配層の中での内紛がテーマになっているようであるが、その関係は、映画を観た限りでは良く理解できない。そこでネットの解説を見ることになったが、マチェックを含めた冒頭の暗殺グループは、ロンドンの息のかかったグループで、彼らがソ連の影響力を削ぐために、モスクワから帰国したシュチューカを暗殺する、という話のようである。ただ市長の秘書の男が、祝宴の前に「民主派」でそれから排除されている老年の新聞記者と飲んだくれた挙句、その記者を祝宴に連れていき顰蹙をかったり、挙句の果ては祝宴の場で消火器をまき散らし、そこから追い出される場面など、理解できない部分も多い。それを除くと、この解説で映画の背景がようやく理解できることになる。それは、ドイツ降伏直後のポーランドで繰り広げっれていたロンドン派とモスクワ派の権力抗争であるが、その中で、ロンドン派でモスクワ隆起にも加わったマチェクが、クリスチナとの出会いで心に迷いを生じていく様子や、モスクワ派のシュチューカの息子が、反モスクワ派の武装勢力に参加し、それについてのシュチューカの心の揺れが彼の死に連なっていく様子等を、運命の悪戯として描いた作品と言えるのである。そしてそうした個人的な悲劇にも関わらず、街では戦勝のバカ騒ぎが繰り広げられていくことになる。
監督のワイダは、1926年生まれ(2016年90歳で逝去)なので、この作品の制作時は30歳そこそこであったということになる。1958年のポーランドは既にソ連の実質支配下で、統一労働者党の一党独裁が成立していた時期である。もちろんその直前の1956年には、共産党政権を震撼させたポズナン事件や、隣国ハンガリーでのブダペスト暴動といった事件が発生していたが、それ故に政権側の引締めも強化されていたことが想像される。そうした中で30歳そこそこの監督が、ロンドン派によるモスクワ派要人の暗殺―そしてもっと言えば、その息子が反モスクワ派の武装勢力参加していたーという政治的に微妙な作品を制作・公開できたこと自体が驚くべきことの様に思われる。ネットの解説では、「体制側が主人公と捉えていたシュチューカではなく、彼の暗殺を遂行するマチェクに焦点が当てられているため、検閲の際にはその点が問題視されたが、マチェクがゴミ山の上で息絶えるラストシーンが反政府運動の無意味さを象徴したものだと統一労働者党から高く評価され、上映が許可された。しかし、ワイダはむしろ、ラストシーンを見た観客がマチェクに同情することを期待した」と説明されているが、それだけではない裏の駆け引きがあったのではないかと想像される。しかし、結果的にはこの作品は、これから観る「地下水道」等と共に「抵抗三部作」として国際的に評価され、1959年のヴェネチア映画祭でも国際映画批評家連盟賞を受賞する等、国際的に評価され、ワイダの名前を西欧社会にも知らしめたという。その後もワイダは多くの作品を制作したようであるが、1977年の「大理石の男」までは、「政治的」な作品は抑えていたようである。その辺りは、もしかしたら、この作品の公開時に当局との微妙な申し合わせがあったのではないかとも勘繰ってしまう。いずれにしろ、波乱に満ちたポーランド戦後史の断片を垣間見ることができる作品であることは間違いない。クリスチナを演じたエヴァ・クジイジェフスカヤという女優や、マチェクを演じたズビグニエフ・チブルスキーという俳優(彼は当初はサングラスをかけて気がつかなかったが、中々ハンサムな俳優である)も、今後のために記しておくことにする。
鑑賞日:2022年1月4日