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映画日誌
ドイツ映画
地下水道
監督:アンジェイ・ワイダ 
 友人から借り受けた、ワイダ監督による初期作品の2つ目は、彼の出世作となった「地下水道」。1956年の制作、1957年の公開で、第二次大戦末期のワルシャワ隆起を取上げた作品である。前作同様、白黒作品であるが、映像は再構成されており鮮明である。

 1944年9月、ドイツ軍の敗色が濃くなる中、ワルシャワでは反ドイツの武装隆起が発生するが、戦力的には依然有利なドイツ軍が、ほとんど廃墟と化した街の建物に火炎放射器を放つ場面から映画が始まる。そして映画は、それに対抗するポーランドのパルチザン中隊の闘いに移り、この部隊の隊員たちの過酷な運命が描かれていくことになる。

 冒頭はまだ長閑で、ある隊員は女と床を共にし、また若い男(コラブ)も、美しいデイジーの誘惑にデレデレになっている。パルチザンには芸術家も加わっており、戦闘下にも関わらず小部屋でピアノを奏でたりしている。しかし、ドイツ軍の攻勢が開始されると、その中隊は包囲されてることになり、それから逃れるため地下水道を通って、別の本部部隊との合流を目指すことになる。しかしそれは、過酷な出口のない旅となるのである。

 物語は、特段の展開がある訳ではなく、地下水道に逃げ込んだ人々の運命を淡々と描写していくだけである。ドイツ軍が投げ込んだ特ガスにパニックになり逃げ惑う人々。地上の戦闘で傷ついたコラブを抱えながら目的地を目指す気丈なデイジー。音楽家は、暗闇の中、ダンテの詩(恐らくは「神曲・地獄編」からの一節であろう)を口ずさむが、ある時から気がふれて、笛を吹きながらあてもなく彷徨い始めることになる。光が見えて地上に出た男は、そこに待ち構えていたドイツ軍兵士に武装解除され、既に処刑された者たちの前に倒れ込む。目的地の最後の斜面を登りくることができず、その後ヴィスワ河への出口に辿り着いたコラブとデイジーは、そこに鉄枠がはめられているいることを知る。外の美しい森の景観を眺めながら、コラブはそこで息を引き取ることになる。そして、出口の爆弾を兵士の一人の犠牲で除去し地上に出た中隊長は、彼についてきた従者が、その他の兵士を見捨てたことを知り、彼を銃殺し、再び地下に潜っていくところで映画が終わるのである。ただただ悲惨な映画であり、監督は、ひたすら地獄の地下水道で苦しむ人々の表情を描いていくだけである。そうした表情をこれまでかこれまでか、と描いたことで評価された映画ということであろう。しかし、正直観終わった時の気分は最悪である。

 ワルシャワ隆起は、歴史的には、その時既にワルシャワ近郊に迫っていたソ連軍が、敢えてパルチザンを支援せず見殺しにした、と評価されている事件である。しかし映画では、ソ連軍が迫っていることや、パルチザンがその支援を求めたといったことには一切触れられていない。ワイダが、この作品の制作時に、そうした歴史を意識していたかどうかは分からないが、まだ無名の若い監督であった彼は、それを知っていたとしても、ソ連寄りの当局の反応を考えると、それを映画に挿入するまでの自信はなかったであろう。その結果、映画は、ドイツ軍に追い詰められたパルチザン部隊の悲劇を克明に描くものとなり、当時のポーランド政権にとっても十分許容される作品となったと思われる。その後彼が取り上げた「カチンの森」事件(別掲)と同様、戦中・戦後ポーランド現代史の暗い断片を冷酷に描いた作品であった。

鑑賞日:2022年1月9日