バグダッド・カフェ〈完全版〉
監督:パージー・アドロン
友人がふと語った映画「バグダッド・カフェ」という1987年制作の作品が、西ドイツ映画であるということを知り、やはりドイツ関係者としては観ておかなければならないだろうと考えて、レンタルで借りて早速観ることになった。しかし舞台はドイツではなく、米国西部の砂漠。ラスベガスまで240キロという場所で、旅行中夫婦喧嘩をしたドイツ人女性が、砂漠の中にある、ガソリン・スタンドを兼ねた寂れたカフェ兼モーテルを訪れ、そこに住む癖のある人々と触れ合う中で、次第にカフェが賑わいをもたらすことになる、という話である。監督は、パージー・アドロンというミュンヘン出身のドイツ人である。
しかし、映画自体は、やや懸念していたが、あまり感情移入できないものである。そもそも、ドイツ人の夫妻が、米国の砂漠の中で喧嘩をして、その妻が怒って車を降り、大きなバッグを抱え砂漠を歩く、そしてそれを夫が無視して立ち去るということ、またその妻が、砂漠の真ん中の寂しいカフェ・モーテルにしばらく滞在する、というのが、あまりに不自然である。更にブレンダのカバンの中身が、ほとんど変わった男性用のドイツ民族衣装というのも、結局最後まで理由は明かされない。そして何よりも、カフェを訪れるドイツ人女性ジャスミンが超がつくようなデブで、またそのとんでもない裸体を晒すといった場面があり、それは正直眼をそむけたくなるようなものであった。
それを別にすれば、そのドイツ人デブ女(その女優の名前を書く気にもならない!)が、初めは奇妙な外国人としてカフェの女経営者ブレンダを始めとする、そこに生息している人々と何気ない接触をする内に彼ら、彼女らの共感を得ることになる。そして終盤では、ブレンダの手品技術がカフェの売りになり、多くの客が訪れるようになり、店が大繁盛するという展開は、それなりに面白い。そして冒頭では、粗暴でヒステリー持ちの女であったブレンダやその奔放な娘が、ジャスミンとの交流を通じて次第に洗練され、最後はジャスミンと共にカフェでの「ショウタイム」で正装して手品を披露することになる。そして一旦、労働許可やヴィザ切れによりカフェを去ったジャスミンが再びそこに戻り、彼女の(ヌードを含む)肖像画を描いたハリウッドから落ちてきた男ルディから、「米国に滞在し続ける良い方法がある」ということで、求婚されるが、ジャスミンは「(どう答えるかは)ブレンダと相談するは」と答えるところで映画は終わることになる。
この映画を観て最大の疑問は、ドイツ人の監督が、何故この米国西部の砂漠の中を舞台にした映画を撮ろうと思い、且つその主役にこのデブ女を選んだのかという点である。まず前者であるが、ドイツ人の米国に対する感覚は、第二次大戦後の占領期も必ずしも悪くなかった(1963年6月に、当時の米国大統領であったジョン・F・ケネディがベルリンで行った演説は、ドイツ人の心の支えとなった!)が、それ以上にこうした広大な砂漠という光景は、ドイツでは見られない。旅行好きのドイツ人の「エキゾチック」志向を刺激し、米国へのある種の憧憬を感じさせたということなのだろうか?すべてが整頓されたドイツから来た女が、雑然としたこのカフェやモーテルを整理整頓しようとするというのは、そのドイツ人の清潔志向とエキゾチズム好みが混在したものと言えなくもない。そして後者であるが、ジャスミンが若い女であれば雰囲気も全く変わっていたと思われるが、何故監督がこのデブ女を選んだのか?デブ女へのフェチ志向をもった人間もいると聞いているが、監督がこうした趣味をもっていたのかどうかは分からない。ただ敢えて言えば、ここで普通の若い美形の女優が出てくると、この映画は全く通俗的な作品になっていたであろう。監督はここでそうしたデブ女を主役に据えることで、敢えて違和感を捻出させようとしなのかもしれない。ただ個人的には、それは余り受け入れられるものではなかった。
この映画は1989年、日本のミニシアターで公開されたが、数か月のロングランとなり、日本でのミニシアター・ブームの先駆けになったということである。1989年というと、日本はバブル真っ盛りで、私自身は、前年にロンドン勤務から帰国し、バブルに浸りきった生活をしていた頃である。当時、それなりに評判になった映画は観ていたと思う(例えば、インド映画「サラーム・ボンベイ」は、この頃岩波ホールで観て感動していた)が、この映画は全く記憶になく、ジェヴェッタ・スティールが歌うテーマソング「コーリング・ユー」も同様に初めて聴くことになった。そんな時代に、こんな映画が日本でも評判になったということは興味深いが、当時はその後のドイツ勤務も知らなかった時期であることもあり、観ていてもたいした評価はしていなかっただろうと感じている。
鑑賞日:2023年3月29日