アジア・ドイツ読書日誌と
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映画日誌
ドイツ映画
名もなきアフリカの地で
監督:カロリーヌ・リンク 
 雨でテニスが中止になった午後、最近読んだドイツ関連本で紹介されていたドイツ映画の内、レンタルショップに在庫があったこの作品を観ることになった。2001年制作のドイツ映画で、第二次大戦中、ヒトラーの迫害からケニアに逃れたユダヤ人家族の日々を描いている。監督はドイツ人女流監督のカロリーヌ・リンクで、同じ本で紹介されていた別の作品「ビヨンド・サイレンス」もその監督の作品ということである。

 1937年12月のドイツ。ナチス支配が強まる中、ユダヤ人の家族の姿が、幼い女の子レギーナの視点で語られる。雪山での楽しい橇遊び、しかし町では近所の人々からユダヤ人は迫害され、父親は弁護士の仕事を、祖父は経営しているホテルをナチスに取り上げられている。その父親ヴァルターは、一足早くケニアに逃れているが、マラリアで黒人召使いのオウナに看病されて一命を取りとめている。そのヴァルターから、ドイツに残っている妻のイエッテルに、ナイロビ・ユダヤ人会の支援で、ケニアへの旅費が出るので、レギーナと一緒にケニアに来て欲しいとの手紙が届く。健康上の問題で動けない祖父らを残し、イエッテルとレギーナは6週間の船旅を経て、僅かな荷物と共にケニア、ナイロビ郊外のロンガイという地にあるヴァルターが働く農場に到着する。1938年4月30日、ヒトラーの誕生日のことである。

 こうして家族3人と料理人であるオウナの農場での生活が始まるが、妻のイエッテルは、ドイツでの暮らしが忘れられず、また「水運びは女の仕事」と言われ重たいバケツを運ばされたり、野菜だけで肉のない料理に対して、「こんな生活は耐えられない」と不満を爆発させているが、ヴェルターは、ドイツでのユダヤ人を取り巻く環境が日々厳しくなっていることを伝え、「我慢しろ」と告げている。他方で、5-6歳くらいのレギーナは、直ちにそこでの生活に適応し、オウナからケニア語を教わったり現地の子供たちとも遊び始めるのである。1938年10月、戦争の予感が広がる中、ヴァルターは、ドイツに残る祖父らも呼び寄せられないかと考えている。

 イエッテルは、レギーナに誘われて現地人の雨乞いの儀式を覗き見に行ったり、またワルターも、イエッテルに肉を食べさせようと、不慣れな猟で鹿を撃ったりしているが、夫婦仲は厳しくなり、ヴァルターはイエッテルに、「弁護士ではなく只の農場労働者となった俺を軽蔑しているだろう」と毒づいたりしている。しかし、レギーナが拾ってきた野良犬に、ナチスの大物と同じ「ルムラー」と名付けたりして、家族の生活も少しずつ落ち着きを取り戻している。

 1939年、第二次大戦が勃発し、英国領のケニアにいるドイツ人は、ユダヤ人も含め「敵性外国人」として、まずヴァルターが、続いてイエッテルとレギーナも拘束され、別々の収容所に入れられる。しかし、女性用の収容所のホテルは、むしろ豪華な食事が揃ったブッフェなどもある破格な待遇で、英国軍人が「良すぎる」と文句を言うが、ホテル側は「通常のもてなしをしているだけ」と反論する等、小さな笑いも取ることになる。

 「ユダヤ人はナチスではない」という、ナイロビ・ユダヤ人会の説得で、ヴァルターとイエッテル、レギーナの3人は会うことができ、レギーナは、牧場に帰り「オウナやルムラーと会いたい」と言っているが、ヴァルターは、英国人の所有者に解雇され、同じ農場では働くことが出来ない。イエッテルは、ユダヤ人会の会長に面談し、特別の計らいを依頼するが、彼からは「人を頼らず、自分で何とかしろ」と拒絶されている。それもあり、イエッテルは、収容所でドイツ語の通訳をしてもらった英国軍人の誘惑を受入れ、その結果としてヴァルターが別の農場で働くことが出来るようになる。しかし英国兵との情事はレギーナに目撃されている。3人は収容所を出て新しい農場に移るが、戦争が始まったことで、ドイツにいる祖父からの手紙では、ナチスによる国境封鎖で、祖父らが出国する機会がなくなったことが伝えられている。そんな中、オウナがルムラーと、3人のいる農場を訪ね、再び一緒に生活することになる。「ルムラーは鼻が利くんだ」とオスナは呟いている。レギーナは、新しい環境にもすぐ慣れて地元の子供たちにドイツの絵本をケニア語で読んであげたり、地元の魔女の振りをして彼らを驚かしたりしているが、両親は彼女を学校に通わせることを考えている。

 レギーナは、ナイロビにある英国の学校に入学し、両親のもとを離れる。しかし英国の学校でも、ユダヤ人は礼拝から退出するよう言われるなど、「よそ者扱い」を受けている。クリケット等の英国のスポーツも体験するが、レギーナは「くだらない」と呟く。しかし成績は秀でており、学期の終わりに面談した校長からは、「なんで君はそんなに優秀なんだ?」と言われ、「父の農場での給与が6ポンドだが、学校に5ポンド払わなければならないので家が貧乏。だから勉強してお金を稼ぎたい」とレギーナが言うと、「ユダヤ人は金が全てだな」と返されている。しかし、校長は別れ際に、成績優秀の褒美として、ディケンズの「子供たちの物語」をレギーナに渡すのであった。

 農場に帰ったレギーナは、黒人のボーイフレンドもできて、上半身裸になって木に登ったりしている。ドイツからは、イエッテルの母らがアウシュヴィッツに移送される、との連絡が入り、彼女は錯乱しているが、ヴァルターは「私の父や妹は消息も分からない」と慰めている。

 ラジオからは、「東部戦線でソ連が攻勢に転じ、ドイツ兵40万人が死亡した」といったニュースが流れている。ナイロビの英軍部隊を再編するという話が持ち上がり、ヴァルターはそれに志願する。牧場や収容所で一緒だったヴァルターの旧友ジェスギントは、「この戦争は俺の戦争ではない。俺はドイツとは縁を切った」と言い、それには加わらず、イエッテルは、「ビルマに送られるかもしれない」と反対している中、ワルターは軍に参加する。ナイロビに一緒に移ろうというヴァルターの提案を断り農場に残ったイエッテルは、ジェスギントとドライブで、フラミンゴが集まるホゴリア湖を訪れた後に農場に帰ると、そこで待っていたレギーナに、「英国兵と浮気した後、ジェスキントから何を貰えるの」と問われて、イエッテルは彼女の頬を平手打ちするのである。レギーナは失踪するが、オスナの小屋にいるのが分かる。そして再び関係を回復した娘は母に、「なんでユダヤ人は嫌われるの?」と問うが、母は「違いこそ重要であることをここケニアで学んだ」と答え、二人で現地人が牛の生贄を捧げる儀式に参加したりしている。当初はあれほど嫌悪していたケニアでの生活とケニア人に対するイエッテルの意識が決定的に変わったことが示唆されるのである。

 1945年、ラジオからチャーチルの勝利演説が流れる中、ヴァルターが軍から帰還。彼の父や妹の最期が語られ、二人は久々に濃厚な夫婦の交わりをしている。そして1946年9月、ヴァルターには、ドイツはヴィースバーデンから、フランクフルトの裁判所の判事に任命したいとの手紙が届き、映画館ではニュールンベルグ裁判でゲーリングに絞首刑判決が言い渡される場面が映されている。学校にいるレギーナに初めに、続いてイエッテルにその話を伝えるが、二人ともドイツに帰るつもりはないと答えている。ジェスキントは、イエッテルに、「ヴァルターがドイツに帰り、一人で残るのであれば、一緒に暮らそう」と、事実上のプロポーズをしている。1947年、オウナの作ったミートボールで新年を祝う家族とジェスキントの4人。そしてヴァルターは、家族に別れを告げ一人でドイツに帰る車に乗り出発する。しかし直後にイナゴの大群が農場を襲い、農場がパニックとなりイナゴと闘う中、引き返してきたヴァルターもそれに加わり危機が回避される。ヴァルターに「戻ってくれて有難う」と呟くイエッテル。そして二人は激しく交わるが、イエッテルは「気を付けて、妊娠しているの」と告げている。その後、「ドイツ法務局からの手紙は破くよ」と告げるヴァルターに、イエッテルは、「フランクフルトは、両親が新婚旅行で行った町。そこで初めての夜、父はアプフェル・ヴァインをしこたま飲んで酔っ払い母に呆れられたの」と話し、「ドイツへの帰還はあなたに任せる」と言う。そして結局3人の家族は一緒にドイツに帰還することを決めて、英軍の関係者からモンバサからサウザンプトンへの船のチケットを入手する。オウナとの別れ。そして3人はナイロビ発の列車に乗り込むのである。列車は、途中バナナ売りのために停車しながら、ケニアの広大な平原を抜けていく。そして1947年6月、レギーナには弟が生まれ、祖父と同じマックスという名前が付けられた、というレギーナの語りと共に、この141分の大作が終わることになる。

 第二次大戦中のユダヤ人の姿をケニアへの移住者という視点から描いた作品で、たいへん見応えがある。多くの評に書かれているように、ケニアのサバンナやケニア山等、自然の風景は、大昔ここで過ごした二週間の休暇を思い出す。またフラミンゴに溢れた湖は、これも大昔、R.レッドフォードとM.ストリーブが共演したシドニー・ポラック監督の「愛と哀しみの果て(Out Of Africa)」でも使われていた、この国の印象的な景観である。更に、ふんだんに取り入れられている現地の人々の生活や儀式なども印象的である。

 しかし、そうした自然や風俗よりも、やはりそうした原初的な世界に放り込まれたドイツ系ユダヤ人の苦悩と、それを克服していった姿が力強く描かれていることが何よりも心を揺さぶることになる。妻のイエッテルは、一般的なドイツ人女性という感じで取り立てて美人という訳ではないが、そうした環境を当初は忌避しながら次第に適応していく様子を好演している。そして何よりもレギーナ役(それは当初の5−6歳児から後半の10代になるところで配役が変わっていると思われる)の少女が、オウナや現地の子供たちとのケニア語での会話を含め、いち早くそこでの生活に適応していく子供を頑張って演じていた。もちろん、イエッテルの何度かの浮気にも関わらずヴァルターの気持ちが変わらず、最後はハッピーエンドになるという展開はやや通俗的であるとも言えるが、それを上回るこの時期のケニアを舞台にした壮大な叙事詩であった。冒頭に紹介した同じ監督の「ビヨンド・サイレンス」はまた全く異なったテーマの作品であるようだが、こちらも機会があれば是非観てみたいと思わせる秀作である。

鑑賞日:2023年5月15日