アジア・ドイツ読書日誌と
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映画日誌
ドイツ映画
さらばベルリンの灯
監督:マイケル・アンダーソン 
 ベルリンを舞台にしたアメリカ映画で、1966年の制作である。監督は、マイケル・アンダーソンということで、初めて聞く名前であるが、俳優は、ジュージ・シーガルとかアレック・ギネスという、名前だけは聞いたことのある往年の名優が出演している。ドイツ映画ではないが、ベルリンが舞台ということで、「ドイツ映画」に掲載する。冒頭、アダム・ホシールという作家の原作小説に基づいた作品であることが紹介されている。音楽は、当時この世界では結構重宝されていたジョン・バリーである。

 夜の人通りのないベルリンの通り。そこにある公衆電話ボックスに入って受話器をとった男が狙撃されて殺されるところから映画が始まる。そして画面はバッキンガム宮殿の衛兵交替パレードが映され、そこで男二人が食事をしながら、ベルリンで射殺された男の話をしている。殺されたのは二人目で、どうも彼らは英国情報部のスパイであったようである。そしてベルリンの広大なオリンピック・スタジアム。ここで二人の男が、煙草に関する暗号で始まる会話をしている。男の一人が、「1936年に建設されたこのスタジアムは、T0万人を収容できる。あの位置で、あの男がかつて演説を行っていた」と、もう一人の男に話しかけている。その男は、英国情報部のトップ、ポール(アレック・ギネス)、もう一人は、休暇中に呼び出され、殺された情報部員の後釜を要請されているクィラー(ジョージ・シーガル)である。ポールは、「西独は協力的だが、ベルリンは少し違う。ここではナチスの残党が蠢いている(ネットの解説によると、彼らはクーデターによる政権奪取を考えているということであるが、実際の会話ではそこまで触れられていない)。その組織のアジトを突き止め、トップを狙うのだ」と述べ、クィラーはその指令を受諾、作戦行動を開始する。どうも、戦後の西独でのナチス勢力と英国情報部の戦いが主題の映画の様である。

 ベルリンの街を歩くクィラーを、男が尾行している。それに気がついたクィラーは、一旦男をまいた上で、バーで話しかけるが、男は同じ組織の護衛であった。彼の援護を断るクィラーであるが、彼から相手組織の情報を得る。特にシュタイナー教授という、戦後ナチス戦犯として告発され自殺した人物が鍵の一つと考え、彼が出入りしていたとされるボーリング場や室内プールなどを巡っているが、最後にアメリカ人記者を装って、彼が勤務していた学校の校長らしき女と接触し、彼女から「シュタイナーを知る人物」として同じ学校の女教師インゲ・リンツを紹介される。インゲ役のセンタ・バーガーは、ドイツ人らしい太めの身体であるが、なかなかの美人で、クィラーは彼女に一目惚れすることになり、その後の展開の鍵を逃げる人物として描かれることになる。

 高速道路でのカーチェース。護衛をまいたと思ったところで、別のベンツに接近され、クィラーは注射を打たれ、気がつくとナチス残党集団のアジトに連れ去られている。そこでのナチス組織のヘッド、オクトーバーによる尋問。クィラーのアジトの場所を吐け、という詰問を受け、口を割らなかったクィラーについて、オクトーバーは部下に「こいつを殺せ」と指示しているが、クィラーは生き延び、河原で目を覚ます。「あれ何で生き延びたの?」という疑問が残る展開である。ロンドンでは、晩餐会に向かうボスが、部下に「クィラーからの連絡はないのか?」と聞いている。

 よれよれになって、深夜小さなホテルに入ったクィラーは、インゲに電話して、翌日会う約束を取り付けると共に、ポールと会い、今後の対応を協議している。そして再会したインゲに、自分は記者ではなく捜査員だと告げ、愛を交換した後、彼女からナチス組織を抜けたとされる男を紹介され、次に彼から別の関係者を紹介されるが、それは学校の女校長であり、彼女からナチス組織のアジトを教えられることになる。女校長は、「シュタイナーを逮捕させたのも私」と呟いている。どうも彼らは反ナチスのグループであったようだ。インゲらと共に、そのアジトに向かうクィラー。入口にインゲを残し、彼は一人でアジトに侵入するが、直ぐに拘束される。そこにはインゲも拘束されていた。インゲの解放を条件に、英国側のアジトを教えろと脅迫するオクトーバー。回答期限は翌日の夜明けである。深夜の町を彷徨うクィラーとそれを監視するナチスの組織員たち。しかしクィラーは彼ら従えたまま、夜明け前にホテルに戻り、車庫にあった彼の車での逃走を考えるが、そこには爆弾が仕掛けられていることに気がつく。それを操作し、逆に避難した上で爆弾を破裂させることで、ナチス側の人間に、彼が死んだと思わせることに成功する。そして自分のアジトの、高層ビル(当時、ベルリン唯一の高層ビルであったベンツ社の社屋が使われている)最上階の事務所に戻ったクィラーは、ポールに、ティアガルテン6番地にあるナチス残党のアジトを告げ、それを受けて彼らは一網打尽に逮捕されたということになる。しかし、そこで逮捕された者たちの中に女はいなかったと聞き、再び彼女の学校を訪れると、そこでは彼女が普段通りの教師生活を送っていた。インゲは、そしてそこでクィラーがすれ違った女校長は、味方なのか、敵なのか?インゲに鎌をかけるクィラーであるが、それは分からないまま彼は学校を後にし、インゲは彼の後姿をじっと見送るところでこの映画が終わることになる。

 半世紀以上前に制作された作品ということで、街の様子や車など、如何にも時代を感じさせる。また話の展開も、オクトーバーによるクィラーの扱い方(殺せ、と指示しながら、彼を泳がせて英国側のアジトを確認しようとしたとされている)等、やや詰めが甘く、あまり緊張感を覚えることはない。唯一、最後にインゲとその学校の女校長が、味方か敵か、という疑問を残したことだけが、この映画の味付けであったと思われる。戦後ドイツはベルリンでの、ナチス残党と英国情報部の対決、というテーマは当時とすればそれなりに時代にはまるもので、また往年の名優たちの演技も、それなりだったのだろうが、やはり古臭さは感じざるを得なかった作品であった。

鑑賞日:2023年6月15日