ヒトラーに盗られたうさぎ
監督:カロリーヌ・リンク
5月に観た「名もなきアフリカの地で」のドイツ人女流監督のカロリーヌ・リンクによる2019年制作の、1930年代のユダヤ人家族の亡命体験を綴った作品である。ドイツ人絵本作家であるジュディス・カーの自伝的小説「ヒトラーにぬすまれたももいろうさぎ」の映画化で、9歳から始まる少女アンナをリーバ・クリマロフスキ、その父アルトゥアを「帰ってきたヒトラー」(この映画は以前に観ている)のオリバー・マスッチ、母を「ブレードランナー2049」のカーラ・ジュリ、3歳違いの兄をマリヌス・ホーマンといった俳優が演じているが、既に観ているオリバー・マスッチも余り記憶はなく、ほとんど皆初めて観る俳優たちである。
「名もなきアフリカの地で」と同様、ナチスが台頭する1933年2月のベルリンから映画が始まる。カーニバルの楽しい仮装パーティーから帰宅したアンナとマックスは、両親から住み慣れた家を出てプラハに向けて出発すると告げられる。父は演劇批評家であるが、ユダヤ人で、ヒトラーを公然と批判していたことから、親しい警察筋から、来る10月の選挙でナチスが政権を握った暁には逮捕される可能性があることを警告され、一足先にプラハに脱出、そしてそれを追って家族もスイスで父に合流する計画になっていたのである。出発までの時間は限られており、母と兄妹の3人は慌てて荷造りをし、家政婦であるハインピーに送られて車で出発するが、持ち物は限られるので、アンナはどの縫ぐるみを持っていくかに悩みながら、大好きな兎は残していくことになる。ライプチイヒから列車でシュトゥツガルトを経て、家族が向かったのはスイスはチューリッヒ。先にそこに入っていた父親と再会し、アンナは「いつベルリンに帰れるの?」と聞くが、彼は「分からない」というだけである。
そこで学校に通うアンナとマックス。先生は、「二人はスイスの方言が分からないから、ゆっくり話すように」と他の生徒に告げている。スイスの山に囲まれた美しい牧歌的な景観の中、アンナたちの学校生活が描かれ、彼女は10歳の誕生日を迎えているが、そこに訪ねてきた親戚のユリウス叔父は、選挙でナチスが多数派となり、直ちに家族の財産が没収されたことや、反体制派のトゥホルスキー(クルト・トゥホルスキー。実在のドイツのユダヤ人風刺作家・ジャーナリスト)が市民権を剥奪され、逮捕されたところで自殺した、といった知らせを告げている。ただスイスは中立国なので、そうした危険はない。そして父は、湖に浮かんだ船で、「演劇批評家も政治について黙っている訳にはいかない」と講演し、共感を得ているが、収入は少なく家族の生活は貧しくなっていく。そして父の論考がフランスの新聞に採用されたことから、家族は今度はパリに移ることになる。ドイツでは、ナチスが父に1000マルクの懸賞金をかけたということであるが、父は「私にたった1000マルクというのは安いので抗議したいくらいだ」と呟いている。
パリに移り、エッフェル塔を眺めながら、新しい住処に入るアンナとマックス。家は益々小さくなり、管理人の女や近隣の人々からは「ユダヤ人」としての偏見に満ちた視線を浴びることになるが、アンナとマックスは、学校でフランス語に苦労しながらも次第に成績を上げ、アンナはフランス語の作文コンテストで、自分の「旅」について書いた作品が最優秀賞を受けて10フランの賞金を手に入れたりしている。他方で、父がかつて批評でこき下ろしたシュタインというドイツ人家族とも再会し、母と兄妹はその家で、ピアノを連弾したり、美味しい食事を楽しんだりしているが、父はそれを非難し、夫婦仲が一時冷え込んだりもしている。しかし、家族は益々困窮し、家賃の支払いも滞る状態となり、家主に催促されている。そうした中で、父がナポレオンについて書いた脚本がロンドンで採用されることになったことから、今度は家族はロンドンに移ることになる。アンナとマックスは、再び住慣れたパリを離れることになり、エッフェル塔の展望台から、風船をベルリンに向けて飛ばした後、家族はドーバーを渡る船に乗る。そしてドーバーの有名な、私も何度も海峡の往復で眺めた記憶のあるホワイトクリフが映る中、映画が終わる。そして以下のルビが流れることになる。
1935年、ロンドンに移ったアリスこと、ジュディス・カーは、戦後美術を学び、絵本作家として有名になる。彼女の絵本、「ヒトラーにぬすまれたももいろうさぎ」は、20か国語に翻訳された。兄は、法律を学び、高等法院での初の外国生まれの裁判官となった。彼女は、2019年、ロンドンで95歳で死去した。彼女は長い間望んでいた”我が家”を見つけた。
そして最後に、1934年頃の父と娘の実際の写真が映されるのである。
「名もなきアフリカの地で」と同様、ナチスに迫害され、海外を流転することになったドイツ・ユダヤ人家族の旅を描いたものであるが、前作の家族と同様、彼らは戦中・戦後を生き延び、それなりの社会的地位も獲得した幸運な人々であった。監督は、この暗いナチス支配期のドイツで多くのユダヤ人が収容所等で虐殺される中で、何とか生き延びた人々を描くことで、観客にある種の安堵を感じさせる意図をもってこうした映画を制作したように思われる。同時に、海外に移住したユダヤ人たちの苦労と、それを乗り越え、新しい環境に適応していく人々―特に子供たちーに多大な感情移入をしている。それについては、「ナチスの犯罪についての批判的精神が緩い」という議論もあると思われるが、それは横に置いておこう。そして「名もなきアフリカの地で」の娘役と同様、アンナとマックスを演じた二人の子役の演技は素晴らしい。こうしたドイツ人子役たちが、今後どんな成長をしていくかも興味深いところである。
この二つの映画と同様、同じドイツ関連の本で紹介されていた同じ監督の別の作品「ビヨンド・サイレンス」は、現在のところレンタル店での取り寄せもなく観ることがができないが、何とか入手して観る機会を持ちたいと思わせる作品であった。
鑑賞日:2023年7月5日