アンダーグラウンド
監督:エミール・クストリッツァ
(この作品もドイツではない、ユーゴ作品であるが、中欧ードイツ圏という理屈から「ドイツ映画」として掲載する)
先日観た「パパは出張中」の監督である読んだエミール・クストリッツァの1995年の作品で、同様に、ユーゴスラヴィア(以下「ユーゴ」)現代史についての新書で紹介されていたフランス・ドイツ・ハンガリー3か国合作の映画である。その本によると、これは「人間臭いパルチザン」を描いた作品であるということであった。1941年のナチスによるサライエボ侵攻から始まる映画であるが、これが何と、複数のタイトルバックを経て、延々と続き、ⅮXⅮ2枚を観終わるのに2日かかってしまった。ネット解説によると、これは第48回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞し、また2017年に発表された「完全版」の上映時間は5時間14分ということであるので、今回観たのはこの「完全版」であろう。映画というよりは「連ドラ」といった作品である。
1941年4月6日のベオグラード。男たちが、楽団を引き連れて「皆殺しだ!」と騒ぎながら馬車で街に到着するところから映画が始まる。その中の二人の男マルコ(ミキ・マノイロビッチは)とクロ(ラザル・リトフスキー)がクロの家に到着し、マルコはクロの妻ベラに、「お前の亭主を共産党に入党させた」と告げている。ベラが、「あの女たらしの党に!」と返す中、マルコはそのまま売春宿に直行している。そこでナチスによる爆撃が始まり、マルコが相手をしていたデブ女も裸のまま逃げ出している。また市内の動物園も被害を受け、ライオンや虎、象等といった動物も傷ついたり、街に彷徨い出たりして、飼育係のイヴァン(彼はクロの実弟である)が必死で動物たちを追っている。またクロも、ベラとの朝食中に爆撃を受け、怒り狂って「ファシストの糞野郎」と叫んで家を出ている。しかし、ナチスが街に侵攻する中(ドイツ軍の様々な町への実際の侵攻映像が挿入される)、マルコとクロは、「カフェ・リトル・モスクワ」というバーで、市内の金持ちから賭博で金をせしめると共に、マルコと組んで「ファシストに渡すにはもったいない」と言いながら、女装して武器を満載した列車を乗っ取り、抵抗組織の下に届けている。実はマルコの家は、地下に秘密の武器工場を持っており、そこではライフルなどを製造していたのである。
町の破壊された建物の修復現場で、クロは若い女にプレゼントを渡している。その女ナタリア(ミリャナ・ヤコビッチ)は女優で、クロは彼女に言い寄っているようである。ナタリアが、クロに、「あなたは列車と武器を強奪した疑いで占領軍が指名手配しているわよ」と告げるが、そこで彼女は、近づいてきた占領軍のドイツ人将校フランツ(エルンスト・ストッツナー)の誘いを受けると、ドイツ語で返し、彼女の弟で車椅子に乗った障害者・精薄者のような弟を引き連れて彼と共に去っていく。
クロがナチに拘束され、危険を感じたマルコは、ベラを含めた関係者を彼の家の地下にある兵器工場に移す。そこでは臨月であったベラが息子のヨヴァンを出産した後亡くなっている。しかしクロは、収容所から逃げ出すことに成功している。
そして3年後のベオグラード。クロは、そこにはいないヨヴァンの誕生日を町のバーで祝っているが、そこにマルコが現れ、密告者が出たので危ないと告げられているが、クロは「いずれにしろ殺されるのだから」と危険を顧みない。ここで第一部が終わる。
第二部は、ナタリアとの再婚を決意したクロが、ナタリアの舞台裏をマルコと訪れ、花束を渡いしながら「船で結婚式を挙げよう」と求婚しているが、ナタリアは取り合わない。舞台が始まり、占領軍であるナチスのフランツ等が観客席から見ている中、クロは、俳優を装って舞台に上がり、フランツらを射殺、そのままナタリアを背中に縛ったまま川に浮かぶ船に逃走する。そこでは盛大なパーティが行われており、そこでクロはナタリアと結婚式を挙げるつもりである。しかしマルコもナタリアをものにしたいと思っていることから、クロの隙を見て彼女に近づいているが、クロに気付かれ乱闘になるが、結局クロとナタリアの結婚式は牧師の出席もあり、チトーを讃える歌にも包まれて無事終わる。しかしそこにフランツ率いる(彼は劇場で撃たれたが防弾チョッキで助かったようである)ナチスの部隊が現れ戦闘となり、ナタリアはフランツの下に逃げ込み、またマルコはその船を出し逃れるが、クロは拘束され拷問されることになる。マルコは、そのクロが収容されている病院に単身乗り込み、フランツを絞殺し、瀕死状態にあるクロを鞄に入れて連れ出し、家の地下にある兵器工場に移送する。そこからクロの地下生活が始まることになるのである。
1944年、クロ不在の中、ナタリアを自分のものにしたマルコが彼女とダンスを踊る中、連合軍の爆撃が始まる。「それはナチスの爆撃よりも激しかった」というルビが流れる中、解放の実際の映像が、スターリンの肖像やユーゴの旗が掲載される様子などと共に挿入されている。マルコが大衆の前で演説を行う中、第二部が終わる。
第三部は1966年に跳ぶ。マルコはチトーの側近に出世し、「クロへの償いをした」というルビと共に、ナタリア同席の下、「英雄」クロの肖像除幕式に参列している。しかしそのクロは地下の兵器工場で生きていた。マルコはクロにチトーの人となりを説明しながら、「チトーが戦争を終わらせるまで地下から出るな」とクロに告げている。クロは、ナタリアの弟が伝える「モスクワ陥落」といった偽の情報に落胆しながらも、「これかあら外に出てファシスと闘う」と息巻くが、マルコは、「チトーが、君は最終決戦に必要なので、それまではここにいろと言っている」等と告げ、地下に留まらせている。その後、ナタリアの舞台を観ていたマルコは、その最中に党幹部から呼び出しを受け、武器の密輸について喚問されるが、彼はすっ呆け、その後、オーストリア大使なども参加しているパーティーで、ナタリアと共に踊り惚けている。マルコは、そこにいるフランツというドイツ人が、かつてのフランツの縁戚者かと疑ったり、地下のイヴァンが飼う猿に初めてのバナナを差し入れたりしている。そして、クロたちの船でのナチスとの戦いの映画が撮影される現場をナタリアと共に訪れ、「これは名作になる」と嘯くのである。
第四部.クロが地下を出る準備をしていると耳にしたマルコは、クロにチトーからの勲章と称するものを送り、「まだ地下から出ず、兵器製造に注力しろ」という「チトーからのメッセージ」を伝えている。そのマルコは、武器の密輸現場(「ゲンシャーに宜しく」と言っているので、ドイツに売っているようである)を党の監視団に見つかるが、隙を見て彼らを皆殺しにして焼き払い、ナチに殺された同胞の遺骸として地下のクロに届けている。テレビでは、ケネディとブレジネフの会談ニュースが流れている。
一方、マルコと暮らすナタリアは、障害者の弟が息を引き取ったこともあり酒浸りとなり、マルコに「何故地下の連中を生かしているの」と詰め寄っている。「お前は俳優だろう」というマルコに、彼女は「自分の満足できない演技は出来ない」と返し、マルコと乱闘になる。そしてマルコに傷つけられるが、最後は「クロが地上に出ないよう、彼を誘惑しろ」というマルコの脅迫を受け地下室に入ったナタリア。そこでクロと再会するが、マルコの真実を告げようとする彼女に、クロは、彼女との再会とついに夫婦となれたことを喜びながら、「俺は真実を隠してでもマルコを守る」と返すのである。そして同じく地下に籠っている息子ヨヴァンの結婚式の準備を進めている。
第五部.ヨヴァンとエレナの結婚式が、「戦時中なのでこんな形でしかできないが」というクロの挨拶と共に盛大に繰り広げられる。そしてクロは、ナタリアと共に同席しているマルコに感謝の言葉を述べながら、新しい製品としての戦車の完成を誇るのである。クロを騙し続けることに耐えられず、酔っ払って暴れるナタリア。そのナタリアが、マルコと戯れている姿を目撃したクロは、マルコに「友は殺せない。お前は自分で自分を始末しろ」と言いピストルを渡すが、彼は自分の足を撃っただけで死ぬことは出来ない(ただその後彼は車椅子生活となる)。混乱の中で猿のソニが戦車に入り砲弾を発射。会場は大混乱になるが、その最中にクロは「外に出てファシストと闘え」と叫び、息子のヨヴァンと引き連れて地上に出る。「ドナウの香りを感じる」と呟きながら通りに出たクロは、ナチスの兵隊を乗せた電車の後部に飛び乗り後をつけると、それが到着した海岸では、ナチスの兵隊が船に集結。そこにはあの憎きフランツもいた。しかし、それはマルコも視察した、クロの生涯を讃える映画の撮影現場―しかもクロ自身が処刑される最期を撮影している現場であった。ファシストとの戦争が続いていると確認しているクロは、そこでフランツ(役の俳優)を射殺し、小舟で逃げていくのである。一方、破壊された地下室から逃げ出した猿のソニを追うイヴァンは、地下トンネルで出会った車に乗せられベルリンに向かうのである(その前のどこかで、この地下室はトンネルで、欧州の多くの地域と繋がっている、ということが示唆されていた)。
そして最後の第六部。翌朝の海岸、クロとヨヴァンは、清々しい朝日が降り注ぐ中、海を満喫している。海は初めてで泳げないヨヴァンを促して水に引き入れるクロであったが、そのヨヴァンは、クロが目を離した隙に海中に消えていく。それは新妻であるエレナ(地下室の混乱で亡くなっていた、ということであろう)が導いたようである。そして見えなくなったヨヴァンを海中で探すクロはヘリに襲われ、彼らに拘束される。彼らは前日の俳優射殺犯としてクロを逮捕したのである。映画スタッフが、犯人が捕まったと話す中、クロ役の俳優は実際のクロを見て「信じられない」と呟いている。
マルコとナタリアは、破壊された地下室で、「もうこの国には正しい人間は暮らせない」と言いながら、全てを爆弾で破壊し、車でそこを出る。そして「マルコの失踪に続いてチトーが逝去。ユーゴは指導者を失いチトーと共に無くなった」というルビ。リブリアナ、ザグレブ、そしてベオグラードといった各主要都市でのチトー葬儀の実写フィルムが挿入され、特にベオグラードの葬儀では、それに参列しているブレジネフ、アラファト、エリザベス女王、ドイツのシュミット首相などの姿が映されている。
1991年、ベルリンで猿のソニを探すイヴァン。彼はそこで拘束され、診断の結果神経症を患っているとして、医者の症例として学生の前に引き出されている。「戦争終了が20年に渡って地下で、まだ戦争が続いていると信じて暮らしている(「日本人にもそうした軍人がいた」とのコメント)とこうした精神症になる。自分の仲間以外は信じられなくなるのだ」という研究者のドイツ語での講義。イヴァンは木によじ登り猿のソニを探しているが、警察は、この飼育係の男は1941年に爆撃で死亡している、という記録を見ながら、「共産主義は今や地下生活だ。国そのものも最早地下だ」と囁いている。そして「ユーゴに帰りたい」と言うイヴァンに、「ユーゴはもうない。そこではまた別の戦争が行われているぞ」と返す。またマルコとナタリアが、武器商人として国際手配されていることも知る。マルコに騙されていたことを知ったイヴァンは、ソニと再会した後、またトンネルに潜り「もうユーゴはない」と言われたことでボスニアに向かうのである。
そのユーゴでは「別の戦争」が行われていた。そこではクロが、クロアチア軍の前線で、「ファシストの糞野郎」「息子はどこにいる」と叫びながら闘っていた。また車椅子に乗ったマルコが、その戦争で武器を売りさばこうとしているが、そこに戻って来たイヴァンは、マルコを見て「俺を騙していた」言いながら彼を殴り殺す。そしてナタリアも、クロの指示で、拘束されていたセルビア兵と共に銃殺され、マルコと共に焼かれるのである。そこに来たクロは、殺された二人のパスポートでそれが誰かを知り、十字架に跪く。そしてイヴァンも、焼け落ちた教会で首を釣って自死することになる。残された猿のソニと共に地下室の廃墟に戻るクロ。そこでヨヴァンの声を聴いたように感じたクロは井戸に飛び込み、底の水の中でイヴァンやエレナ、そしてナタリアらと再会するのである。
画面は変わり、海岸でのパーティ。そこではクロとベラ、そしてヨヴァンとエレナたちが着席している。そこにマルコとナタリアが訪れ、クロがベラに、ナタリアを「親友の奥さんだ。昔は忘れろ。」と紹介している。初めはうさん臭げにナタリアを見ていたベラもそれを受け、皆で一緒に踊り続ける。その時、その地面の一角が陸から離れ、海に向かって流れ出ている。そして「昔、そこに国があった」というルビが流れ、この長い作品が終わるのである。
いやいやこれほどまでの作品とは正直思っていなかった。冒頭第一部の終わりに、終幕のルビが流れた時、「えっ、これで終わりなの?」と思い、またマルコなどのいい加減且つややコミカルな演技に、「いったいこれは何なのだ」と感じていたが、話が進むにつれて、時間の経過が気にならず、その世界に引き入れられることになった。
ユーゴ本で触れられていたとおり、これは「人間臭い」パルチザンを描いた映画であるという解釈もできよう。確かに、主人公の一人マルコは、出世、金、女を手に入れるのに手段を択ばない、しかしやや滑稽なところがあり憎めない「人間臭い」タイプである。しかしもう一人の主人公クロは、正義感の塊で友人思い、しかし大きな情勢は見えないという単細胞で、マルコとは対照的である。そして何よりもマリアンは、権力になびく性格であるが、最後はマルコと実質心中する等、大情況に振り回される役どころである。それ以外の人々の動きとも合わせると、結局この映画は、やはり「ユーゴスラビア」という「かつて存在した、しかし今は地下室に押し込められた」国を巡る壮大な叙事詩を、そこで蠢く様々なタイプの人間を通して描いたものであると理解するべきなのだろう。その意味でも、この前に観た「パパは出張中」よりも圧倒的に説得力がある。夫々の俳優は、皆時折そうした滑稽さも示しながら渾身の演技を披露しているが、特に、それなりに美人であるナタリアが、次第に追い詰められ、マルコに脅され犯されながらも、結局彼についていくという難しい役どころを頑張って演じていた。
また監督による撮影も、結構面白い。冒頭の動物園への爆撃で、傷ついた虎が倒れたり、象が窓際の靴を取っていく場面などは、動物たちをどのように手なずけたのかな?あるいは猿のソニも、人間っぽい動作をするのであるが、これも縫ぐるみを使っているのか?といった興味をそそらせる。もちろん戦争で破壊された町などの光景は、こうした戦争映画であれば特別変わったものではないが、それでも相当の金をかけていることは間違いない。いずれにしろ、これは旧ユーゴ出身のこの監督にとってのライフワークとなる作品であることは間違いないだろう。
正月の暇な日々がなければ決して観ることのできない作品であった。
鑑賞日:2023年12月29−30日