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映画日誌
ドイツ映画
ライフ・イズ・ビューティフル
監督:ロベルト・ベニーニ 
(この作品もイタリア映画であるが、「ナチスと強制収容所」を描いた映画という理屈から「ドイツ映画」として掲載する)

 この前に観た「縞模様のパジャマの少年」の関連映画としてネットで紹介されていた。この作品名は以前から聞いていたが、今まで見逃していたこともあり、続けて観ることになった。確かに、こちらも少年を主人公に一人としていることで、「縞模様・・」と類似していなくもないが、描き方は、流石にイタリア映画であることもあり、相当異なっている。1997年制作で、監督・主演は、ロベルト・ベニーニで、1999年、第71回アカデミー賞で、主演男優賞、外国語映画賞、作曲賞、第51回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞したとのことである。

 1939年のイタリア、アレッソ地方という、山と草原が美しい田舎町に、二人の男が車で騒ぎながら乗り付ける。男たちはグイド(ロベルト・ベニーニ)とフレッチュというコンビで、特にグイドは、如何にもイタリア人らしい陽気で、突拍子もない行動に出るタイプの様である。その街にいる金持ちの叔父を頼り書店の開業を考えているグイドは、そこでドーラ(ニコレッタ・ブラスキ)という女教師に一目惚れをし、既に市役所の役人と婚約していた彼女を、自分が給仕を務めていたその婚約発表パーティで略奪し、結婚するまでが前半の展開であるが、ここまではほとんどコメディーである。そして同じ場面で映画は突然数年跳ぶことになる。

 グイドや叔父はユダヤ人であるようで、既に映画の前半から、叔父の馬が「ユダヤの馬」と落書きされるなどの嫌がらせを受けていたが、ドーラと結婚し、一人息子のジョズエ(1939年以降に生まれた子供なので、4−5歳という想定だろうか?)を授かっている。しかし、ある日、ナチス軍が店を訪れ、県庁に出頭するよう命じられる。グイドの書店には「ユダヤ人の店」と大きな落書きが書かれている。そして、ジョズエの誕生日、久し振りにドーラの母親が家族の下を訪れたその日に、グイドとジョズエは徴集され、トラックと汽車で移送させられるが、それを助けようとしたドーラも、それができないと分かると「私も一緒に行く」といって汽車に乗り込み、彼らはそのまま強制収容所に到着するのである。

 以降は強制収容所での暮らしが描かれる。グイドはジョズエに「これはゲームで1000点取れればご褒美の本物の戦車がもらえるから、得点を稼げるように自分の言うことを聞け」と諭す。収容所の決まりをドイツ語で説明するナチス将校に対し、「翻訳ができる」と志願し、ジョズエを意識しながら全く違うゲームの話をイタリア語で説明するグイド(ここでの将校の話を含め、この映画のドイツ語については、全くサブタイトルが表示されず、グイドが如何にいい加減な訳をしているかは明確には分からない。日本語版作成としてはやや不親切である!)。労働できない子供や老人はガス室送りという噂もあることから、宿舎に隠れるジョズエ。男女が分かれて収容されていることからドーラとは会えないが、収容所の放送所に誰もいないところを見計らって、ドーラへの二人のメッセージを放送したり、かつて給仕時代に知り合った大学教授が軍医として訪れた際に、給仕として使え、隙を見て、ドーラと知り合った時期に観たイタリア・オペラの曲を収容所内に流したりと、家族の絆を確かめる努力に余念がない。そしてそうこうしている内に、収容所内でナチス軍の撤収の動きが始まる。戦争が終わりに近くなっている、と悟ったグイドは、監視の弱まった収容所内でドーラを探しまわるが、結局ナチスに捕まり銃殺される。他方、グイドに言われたとおり、静まるまで広場におかれた小さな箱に隠れていたジョズエは、連合軍の戦車に助けられ、ご褒美をもらえたことを喜んでいる。そして戦車の上から、収容所から出て歩いていた女囚の列の中にドーラを見つけ再会することになるのである。

 前半では、グイドのイタリア人的な陽気で突拍子もない行動が、いったいこの映画は何を言いたいんだという感じにさせられ、ややうんざりしていた。監督自身が主演俳優(しかもコメンディアン)ということで、ことさらその常軌を逸した行動を強調した、ということであろうが、何でこんな男にドーラが惚れるの、そして何でドーラは金持ちの「エリート」を捨てて彼と一緒になるの、ドーラの家族は何も言わなかったの等々、常識的には考えられない筋書きである。

 しかし、後半になると、確かにグイドの依然コメディータッチではあるが、決して悲観的にならずに、前向きに事態や子供と向け合おうという姿勢はそれなりに説得力を帯びてきて、この辺りが、映画祭で評価された故なのかな、と想像される。そして結局グイドは銃殺されるが、ドーラとジョズエは助かって再会するという結末は、観客を少しほっとさせることになるのである。この点が、前に観た英米合作である「縞模様・・」と、イタリア映画である本作との大きな相違ということになるが、それは双方の国民性に由来するものなのだろうか?その意味で、同じ強制収容所を舞台にした、少年が主人公の一人という同種の作品でも、作り方により雰囲気が大きく異なることを認識させられたのであった。グイドやドーラ、あるいは大学教授等の大人陣はもちろんであるが、ジョズエ役の子役もなかなか頑張っていたのは、「縞模様・・」と同様であった。

 イタリア人監督ということであると、今までは、フェリーニ、ベルトリッチ等ややエロチック系の映像や、比類なきドイツ好きであるヴィスコンティの大袈裟な映像等が記憶に残っているが、ベニーニは、彼らとはまた異なるタイプの監督である。

鑑賞日:2024年1月27日