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ベルリン 天使の詩
監督:ビム・ベンダース 
 役所広司が、昨年(2023年)の第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で、日本人俳優としては「誰も知らない」の柳楽優弥以来19年ぶり2人目となる男優賞を受賞したことで、再び名前が出ているドイツ人監督ビム・ベンダースの1987年の作品である。原題は「Wings of Desire」で、こちらも、1987年の第40回カンヌ国際映画祭でベンダースが監督賞を受賞した作品である。私も恐らくはロンドンから帰国した後のバブルの時代に観た記憶があるが、当時はこうした映画の感想文も書いていなかったこともあり、尖塔の上にある天使像の横に男が佇む場面くらいしか記憶がなく、映画の内容はほとんど覚えていない。役所の主演映画は、清掃員の日常を淡々と描いた作品ということで、とても映画館に観に行く気にならなかったが、この機会に、同じ監督の超有名作をもう一度観ておいても良い、と考え、私としては大変珍しいことであるが、再度この作品を観ることになった。しかし、結論的には、その後のベルリンの変貌も踏まえた興味にも関わらず、ほとんどピンとくるところがないまま終わることになった。

 教会の尖塔の上に佇む男二人の白黒映像。彼らの上空を飛ぶ飛行機には、刑事コロンボで有名なP.フォークが乗っている。その飛行機から眺めるベルリンのテレビ塔や高速道路、ビル群といった景観が映される。そしてその視点は、その街に暮らす様々な人々の生活に移っていく。男二人は、時折背中に羽がついていることから、天使ダニエル(ブルーノ・ガンツ)と天使カシエル(オットー・ザンダー)のようで、自分たちの子供の頃の記憶や、私は誰?、前世は何だのか?といった禅問答を唱えながら、図書館を訪れた後、電車に乗り、ポツダム広場で興行をやっているサーカス小屋にやってくる。そこではマリオン(ソルベーグ・ドマルタン)という空中ブランコ・サーカスを行う女性が練習している。一方、ベルリンに到着したP.フォークは、ナチス関係の映画の撮影に、「刑事コロンボ」として出演しているようである。こうして、以降は天使二人と、マリオン、そして刑事コロンボの4人の交流を中心に描かれているが、天使二人は、マリオンやコロンボには見えていない。しかし彼らは、天使二人の存在を感じているような独り言などが挿入されることになる。画面は、基本は白黒だが、時折カラーになったりする。セリフは、ドイツ語だが、コロンボの語りは英語である。そして時折、連合軍の空爆やそれにより破壊され尽くされたベルリンの実写映像等も挿入されている。そしてマリオンによる空中ブランコやロープ・ダンス等のサーカス小屋での演技。マリオンにとっては、これが最後のサーカス公演であり、終了後に一座はそこを撤収、マリオンも一人で何もなくなった興行後の広場に残されることになる。そして夜にはマリオンは一人でライブハウスを訪ね、そこでのパンクロックの演奏(当時、結構人気を博していたニック・ケーブ&ザ・バッド・シーズのライブであるが、私の趣味の音楽ではない)に身を委ねる。そして以降、それまではほとんど映ることのなかった「壁」の風景が延々と続くことになる。映画撮影の合間にそこに散歩に出てきたコロンボとマリエンの接触。二人には天使ダニエルが立ち会っていることが多い。町を一人で彷徨うマリエン。見失ったマリエンを追いかける天使ダニエル。二人は再びニック・ケーブのパンクが演奏されるライブハウスで再会し、そこのバーで静かに交流し、最後はキスを交わし抱き合う。二人は、「いつか一度だけ真剣に決断をしなければならない」と語りながら、再びロープ演技の練習を開始したマリエンを天使ダニエルが助けるところで、「乗船完了」というルビが出て、映画が終わる。「To be continued」ということで、続編が示唆される。そしてそれは1993年制作の「時の翼にのって ファラウェイ・ソー・クロース!」であるということである。

 何とも分かりにくい映画である。当初、この映像を眺めながら考えていたのは、ベンダースは、「天使」という視点から見た、「壁」という宿命を負ったこのベルリンという町の戦後史を描きたかったのだろうということ。私自身は、1980年代のロンドン時代に、ゴルバチョフの登場以降の旧ソ連と旧東独を含めたその東側「衛星諸国」の変動をつぶさに追いかけていたが、その頃この町を訪れる機会を持つことはなく、その後のフランクフルト勤務時の後半に、ただ一回だけ短時間ここには滞在しただけである。もちろんその時この町は、既に西側の多くの町と同様の、普通の都会になっており、その際訪れた「チェック・ポイント・チャーリー」を含めた壁の名残りも、町はずれにあるただの何の変哲もない寂しい一角であったという印象しか残っていない。そして1987年といえば、依然「壁」は存在していたが、西側では同様に町は復興し多くの現代的な街並みが復活していたと思われる。しかし監督はそうした景観には一切触れることがなく、戦後間もなくと変わらない頃の街並みや「壁」付近の荒涼とした雰囲気だけを意識的に撮影し、それにより、マリエンを始めとする町の人々の孤独感、寂寥感を重ね合わせているかの様であった。それは、「壁」により分断されたこの町を象徴するイメージである。

 しかし、映画を観た後、ネットの解説を見ると、これは「人間(マリエン)に恋してしまった天使ダニエルが天界から地上界に降りることを決意した物語」であると書かれている。確かにダニエルがマリエンを追いかけており、彼が彼女に惹かれている様子を示しているが、私はそれはほとんど飾り程度としてしか見ていなかった。そもそも二人の中年男の「天使」は、「天使」というにはあまりに夢がないし、また彼らと交流するコロンボも、何でここに登場しているのか、ほとんど理解不可能である。そうした物語の展開が不自然であるのであれば、映画の理解としては「町」を主人公とした方が良いのではないか、というのが個人的な印象である。しかし、この映画の制作時点で存在していた「壁」は、その約2年後に、多くの人々の予想に反して突然崩壊した。それは監督もほとんど意識していなかったであろうことから、殊更ここでは永遠に続くと思われたこの町の寂寥感を前面に出すことにしたのではないか?そして、この時点では続編を計画していたということであるが、実際に壁が崩れた後に制作されたその続編は、当初の目論見とは全く異なったものになったのではないか。しかし、その1993年制作の「時の翼にのって ファラウェイ・ソー・クロース!」は、私も今回初めてその存在を知ったくらいで、それほど評判になったという話は聞いていない。壁の崩壊についてのこの監督の感慨を確認するために、恐らくはまた多くの「禅問答」に満ちているであろうこの続編を観るかどうか、悩ましいところである。

鑑賞日:2024年1月31日