アジア・ドイツ読書日誌と
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映画日誌
ドイツ映画
ベニスに死す
監督:ルキノ・ヴィスコンティ 
(本作もイタリア映画であるが、ドイツ人が主人公ということで、ここに掲載させて頂く)

 1971年製作のイタリア映画で、8月に観た「地獄に堕ちた勇者ども」に続く、「ドイツ大好き」イタリア人監督であるルキノ・ヴィスコンティの「ドイツ3部作」の第二作である。言うまでもなく、トーマス・マンの原作を基にした作品である。

 原作者であるトーマス・マンについては、私は、彼のノーベル文学賞受賞や、ナチス批判から米国亡命を含めた彼の生涯を追った著作には多く目を通してきたが、小説そのものは、ほとんどまともに読んだことがないままこの年齢を迎えてしまった。若い頃、ヘッセ等のドイツ文学に触れる機会はあったが、マンの作品は、「ブッデンブローグ家の人々」や「魔の山」等長編が多く、雰囲気も暗いものが多かったというのが、若い頃彼の作品から距離を置いた理由であったように記憶している。その中ではこの「ベニスに死す」は短編であり、簡単に読める部類であったが、こちらはテーマが何となく面白くなく、結局手に取ることはなかった。そしてそれに基づくこのヴィスコンティの映画も、当時話題になったのは憶えているが、あえて観る機会はなかった。しかしこの年齢になり、時間的余裕もできたことから、暇に任せてこのヴィスコンティによる「ドイツ三部作」を観ておこうという気になり、今回「地獄・・・」に続いてレンタル屋で調達した次第である。しかし、結論的には、この映画は私の趣味ではないことを改めて感じると共に、その結果原作を読んでみようという気分にはならなかったのである。

 冒頭、夕闇が迫るベニスに蒸気船が到着し、それに載った中高年のひとり旅の男が街に入る。ダーク・ボガート演じるドイツ人音楽家グスタフ・アッシェンバッハである。小舟に乗換え、リド島にあると思われる高級ホテルに入るが、そこでグスタフは、ホテルに滞在している家族の中に美しい少年を見つけ、彼の虜になっていくことになるのである。その少年タージオを演じるのはスウェーデン人のビョルン・アンドレセンである。

 その高級ホテルは、とても観光地とは思えないような豪華に着飾った人々で溢れており、グスタフも、海岸の砂浜を歩く時も、常に(蝶)ネクタイなどをしたためた正装である。時代は20世紀初め頃を想定しているのであろうが非常に違和感がある。ただ見方を変えれば、ヴィスコンティが描きたかったのは、「地獄に堕ちた勇者ども」の主人公たちもそうであったが、この時代、庶民感覚とは全くの別世界を生きていた貴族たちの生活だったのだろうかと勘繰ってしまう。一旦急用での帰国を決めるが、荷物の誤送もあり、結局ホテルに戻るグスタフ。彼はまたタージオに会えると内心嬉しく感じているようである。そしてタージオを追いかけることになるが、折も折、この町には疫病が広がりつつあった。グスタフも体調の悪化を感じると共に、街を消毒している様子を見て、聞き取りを始める。「アジア・コレラ」が広がりつつある、しかし観光の町ベニスでそうした噂が広がると街の繫栄は失われる。取引銀行の支配人からそうしたコメントを聞いたグスタフは、タージオの家族にも「直ぐこの町を立ち去れ」と警告するが、彼らよりも前にグスタフがその病に倒れ、砂浜から彼の遺体が運ばれていくことになるのである。

 話はそれだけで、合間に、音楽家の友人との「芸術」や「美」、「真実」を巡る肝炎論的な議論や、グスタフの過去の家族関係、あるいは演奏会での彼の指揮の様子などが挿入される。しかし圧倒的に映されるのは、彼がベニスで追いかけるタージオの顔と姿である。最後に彼が海岸の砂浜で倒れる直前に見るのも、海に向かって佇むタージオの姿である。しかし、いい歳をしたした男がこれほどまでにタージオという美少年に入れ込むーそして彼と何か具体的な会話や行為をすることなく、ただ眺めるだけであるーというのは全く理解を絶する世界である。かつて学生時代に稲垣足穂の「少年愛」を読み興味本位で語ったことはあるが、ここでのグスタフの入れ込みは、全く私の理解を越えている。そして(原作者のマンのみならず)ヴィスコンティが描きたかったのはこうした世界だとすると、それは私にとってはどうでもよい世界である。もちろんベニスの町についてのヴィスコンティの美しい映像は、かつての欧州滞在時代に何度も訪れたこの町の景観を思い出させてくれたが、それは別に幾らでもあるこの町の映像を眺めていれば良い。そんなことで、半世紀前の記憶が残っている、グスタフが裏街の井戸で気を失う場面等を再び思い出したことくらいしか、映画についての印象は残ることはなかったのである。

 かつてこの映画が封切られた頃、このビョルン・アンドレセンの姿が頻繁に映されていたことは記憶している。しかし、当時彼がそれほどまでの「美少年」という感覚は持つこともできなかった。少なくともそれが出来ない限り、この映画を(そしてマンの原作も)楽しむことは出来ないだろう。尚、この「美少年」(1955年1月生まれであるので、私と略同年代である)が、この作品後どのような生涯を送ったかが気になりネットを検索してみたが、時々端役で映画出演をした以外は、どうも音楽教師として普通の生活を送ったようである。そして若い頃の、ヴィスコンティを含めたゲイによる性被害を後年告発したということもあったようである。この辺りは西欧版「ジャニーズ事件」と呼べるのかもしれない。

 そんなことで、大きな不満を持ちながら、続けて第三作の「ルードヴィッヒ」に移ることにする。

鑑賞日:2024年11月25日

(追記)

 本作について、映画隙の友人から、別の見方を教えてもらったので、追記しておく。

 この映画では、全編にわたりマーラーの「交響曲第3、5番」が使われているが、ネットでも解説されている通り、(トーマス・マンの原作がどうであったかはともかく)主人公の音楽家グスタフはマーラー(1860年―1911年。当時はオーストリア帝国のボヘミア、現在のチェコ生まれのユダヤ人)がモデルになっているとされている。そう言えば、マーラーの名前もグスタフであり、ヴィスコンティはそれを示唆していたことが伺われる。

 私はクラシック音楽にはあまり造詣がないが、その友人によると、この映画が公開された1970年初頭は、日本のみならず世界でマーラーの作品が再度ブームになっていたとのことで、この映画はそれに便乗すると共に、そのブームを更に高める効果があったようである。その辺り、「商売人」としてのヴィスコンティの本領が発揮されたということである。

 ただ彼の作品は、当時の音楽界では「革新的」と見做され、彼も一時冷遇されたこともあったようだが、この映画では、回想場面で、主人公が同僚の音楽家から、「あなたの音楽は保守的だ」と批判される場面があり、友人に言わせると、ここはマーラーの実際の評価とは逆に描かれているということであった。

 ということで、映画自体はつまらなかったが、こうした見方もできるのかと、妙に納得したのであった。

2024年12月2日 追記