若者のすべて
監督:ルキノ・ヴィスコンティ
(本作もイタリア・フランス合作映画であるが、監督がヴィスコンティということで、ドイツ三部作に続けて、ここに掲載させて頂く)
ヴィスコンティによるドイツ三部作を観終わったので、続けてかつて観た記憶のある同じ監督による「山猫」をレンタル屋で探したが、これが見つからなかった。その替わりということで、映画通の友人から聞いていた、同じ監督の初期の作品であるこれを借りてきた。1960年製作のイタリア・フランス合作による白黒映画で、「山猫」と同様、先般逝去したA.ドロンが主演者の一人として登場している作品である。因みに、その後ネットで「山猫」を検索したが、これは現在VHSしかないようで、当面観ることは難しそうなことが分かった。
そしてこの映画であるが、冒頭、冬のミラノ駅に、中年女性の母親に率いられた男性若者中心 の大家族を乗せた列車が到着するところから始まる。その家族は、父親が急逝した後、ミラノに暮らしている長男を頼って南部イタリアから出てきたようである。しかし駅への出迎えを期待していた長男は、婚約相手女性(俳優は若きC.カルディナーレ)の家でのお祝いの真っ最中で、そこを訪れた母親は、いきなり相手家族と喧嘩になり、その大家族が滞在する安宿を探すはめになっている。まずは初対面の家族、しかも自分の長男の婚約お祝いで何故いきなり喧嘩なの?という違和感に襲われることになる。そしてそれからは、その大家族のミラノでの生活が、夫々の子供たちを中心に描かれていくことになる。
中心は次男のシモーネであるが、長男に誘われてボクシング・ジムを訪ねた彼は才能を見込まれトレーニングに励み、試合でも勝利するが、ある日家族の住まいに飛び込んできた若い奔放な女ナディアに入れ込み、次第に生活が荒れ、軽い犯罪まで犯すようになる。クリーニング屋で働いていた三男のロッコ(A.ドロン)は、シモーネが店から客の宝石を盗んだことで解雇され、軍隊に入るが、退役時にシモーネと別れたナディアと出会い、ロッコ自身が良い仲になる。しかし、それを知ったシモーネは街のごろつきを雇い、ロッコを襲ったのみならず一緒にいたナディアを強姦するのである。しかし、兄を思うロッシは、シモーネとナディアがよりを戻すために身を引き、そしてシモーネの借金を肩代わりするために、軍隊時代に鍛えたボクシングで一躍チャンッピオンになっていく。しかし、結局ナディアとの関係が破綻したシモーネは、彼女を殺すことになり、それを知った母親やロッシはシモーネを逃がそうとするが、四男で勉学に励んだ後工場勤めをしているチーロが警察に通報し、シモーネは逮捕されることになる。そして映画の最後に、まだ少年の五男ルーカに対し、チーロが、都会がチモーネを堕落させてしまったこと、そして母やロッシの温情がそれを助長してしまったことを諭すのである。
三時間に及ぶこの作品が、これだけの話であったことにたいへんがっかりすることになった。既にこの作品の直前に公開された「太陽がいっぱい」等で世界的なスターになっていたA.ドロン出演作品ということが売りであるが、そもそもそれ以外の田舎の兄弟が皆普通の外見である中、彼だけとんでもない美男子であるのも不自然であるし、その彼が冒頭ではほとんど目立たず、また中盤以降、兄の借金返済のためボクサーとなり奮闘してチャンピオンになっていく、しかし勝利の後も心にわだかまりを抱えて自分の勝利を率直に喜べないという役処も何かしっくり受け止められない。そしてネットでは、この映画でヴィコンティが描いたのは、当時のイタリアの南北経済格差であったとされているが、そもそも都会に暮らす長男ときちんとアレンジもしないまま、着の身着のままで都会に出てくる大家族という設定自体に無理があると感じてしまう。そのため、この映画が当時のヴェネチア国際映画祭で審査員特別賞を受賞したというのも、全く理由が分からない。そんなことで、レンタル店にはない「山猫」を何とか探し出し、もう一回この監督の神髄を確認したいという思いだけが残ったのであった。
鑑賞日:2024年12月3日