我が教え子 ヒトラー
監督:ダニー・レビ
ジムも閉まりテニスの予定もない暇な正月の時間潰しに何となく選んだドイツ映画である。ヒトラー関連の映画はほとんど見尽くしたかと思っていたところで眼に入ったことから借りてきたが、結果的にはとんでもない駄作であった。2007年制作で、監督・脚本はダニー・レビ。主演の俳優は、かつて観た「善き人のためのソナタ」でも主演を務めたウルリッヒ・ミューエということであるが、私は全く覚えていなかった。
時は1944年12月末、連合軍の進撃を受けて首都ベルリンを含めドイツ国内の廃墟が広がる中、ゲッペルスが国民の士気を維持するために、新年の1月1日に群衆を集め廃墟の街をセットで隠しながら、ヒトラーに演説を行わせることを考えているが、そのヒトラーは既に意気喪失して、それどころではない。そのヒトラーの気力を回復させるために、かつて1920年代に彼に発声法や呼吸法を含めた演説を指導したが、その後ユダヤ人として収容所に入っている元映画監督で名俳優のアドルフ・グリュンハイムに白羽の矢が立ち、彼がザクセンハウゼン収容所から解放される。そして彼はヒトラーと面談し、意気阻喪している男に改めて演説指導を行うことになるという話しである。
その過程でグリュンハイムは、ヒトラーから、祖父はユダヤ人であったとか、かつて幼少時に父親から虐待を受けた話などを聞き、当初は、場合によっては隙を見てヒトラーを殺害することも考えていたが思い止まることになり、ヒトラーは次第に元気を取り戻していく。他方で、ゲッペルス等は、演説時に爆弾でヒトラーを殺害し、その犯行をグリュンハイムに押し付け、ユダヤ人問題最終解決の正当化理由に仕立てようと画策している。しかし、その演説当日、髭を剃り落した後の治療で呑んだ薬品により発声が困難になったヒトラーに変わり演台の下から演説を行ったグリュンハイムは、途中から本来の演説とは異なる、ヒトラー自身を貶める言葉を口に出す。ゲッペルス等が驚き、護衛がグリュンバウムに発砲する中、ヒトラーは退場し、その後演台に仕掛けた爆弾が炸裂することになるのである。
ヒトラーのみならず、ゲッペルス、ゲーリング、あるいはシュペーアといったナチス幹部が登場しているが、皆コミカルに描かれている。就中ヒトラーは、全く意気消沈した、しかし時々思い出したように権威的に振る舞うのであるが、演じている俳優も意識しているのだろうが、全く現実味がなく、場末のドタバタ喜劇を観ているようである。そして主人公のグリュンハイムも、その仕事を引受ける条件として家族全員を収容所から解放させたり、あるいは後半にはザクセンハウゼン収容所のすべての囚人を解放させる(それを確認するために、収容所にいた友人に電話で確認するのであるが、流石に彼は銃で脅されてグリュンハイムに嘘を言うのであるが・・・)といった条件を付けたりするのであるが、あのナチスがそんな条件をのむはずはなく、如何にも作り物であると感じさせる。そして冒頭と終わりに、「これは真実の話である」と語られるのであるが、思わず「嘘つけ」と呟いてしまうのである。かつて観た「帰ってきたヒトラー」(2015年)が、同じようにヒトラー・ネタをコメディ風に表現していたが、こちらは、現代のドイツの右翼等を絡ませ、現代のドイツの抱える問題を示唆するブラック・ユーモアになっていたのに対し、こちらは、そうした「ブラック」な感覚を抱かせることもない。正直、正月の暇な時間を潰せた以外は、ほとんど記憶に残ることもない作品であった。
鑑賞日:2025年1月1日