ヒトラーの審判 アイヒマン、最期の告白
監督:ロバート・ヤング
ここ数か月続いていたNPO関係の膨大な事務作業が、先週末でようやく一段落したところで、ここしばらく映画を観ていないことに気がついた。そんなことで週末ふらっと立ち寄ったツタヤで、まだ観ていないと思われるナチス関係の映画を2本借りてきた。その内の一本が、この2007年、英国・ハンガリー合作のこの作品である。
アイヒマン関係の映画は、いままで何本も観ているが、数週間後には、この裁判を傍証し著作を著したH.アーレント(彼女自身が主人公である映画も既に観ているー別掲)の講演会もあるということで、復習も兼ねて観ることにした。
冒頭、1933−1945年という、ナチスによるホロコーストの期間と、1906−1962年というアイヒマンの生存期間が示された後、イスラエルでの結婚パーティーが映され、その主人公である若い警部レスが、丁度アルゼンチンで逮捕されたアイヒマンの尋問官に指名されるところから映画は始まる。そして、その後は彼が、よく言われる通り、アイヒマンが、「自分はヒトラーの命令に従って、ユダヤ人の移送は行ったが、その後の殺人には関与していなかった」と容疑を認めない中、アイヒマンが、殺害手段としてチクロンBガスの利用を提案した資料や、処刑を命令するヒムラーと共同署名している文書を発見し、アイヒマンを死刑に導くまでを描くことになる。
その過程で、アイヒマン自身のオーストリアやハンガリーでの愛人との情事やそこでのユダヤ人移送の回想の様子や、亡命後のブエノスアイレスでの平穏な家族生活から1960年のモサドによる拘束の様子等が挿入される。しかし映画の主題は、妻の病気や、アイヒマン支持派によるレス自身のみならず家族に対する嫌がらせや脅威が高まる中、最後は彼が、病室の妻からの励ましにより、アイヒマンがユダヤ人処刑に関与した証拠を見つけ出し、彼を有罪に導いたということになる。また、レスは父親が自然死したと認識していたが、上司より実はその父親もアウシュヴィッツで殺されていたことを知らされる。尋問官としての彼は、親族にナチスの犠牲者がいないという基準で選ばれていたのであるが、その前提が崩れ、且つその情報が新聞社に流れ、女ジャーナリストに追及されることになるが、それは女記者から与えられた2週間という猶予期間内でアイヒマンの有罪を立証することで乗り越えたとされている。そして映画の最期で、アイヒマンの処刑後、彼がアルゼンチンにいる家族に書き残した手紙を郵便ポストに投函するレスの姿が、どこにでもいる家族思いの男という二人の共通性を物語るのである。「どこにでもいる平凡な男による空前の大虐殺」というH.アーレント等も強調したこの主題を、また別の角度から描いた作品ということであろう。ただ、レスや家族がアイヒマン支持派による嫌がらせを受けた(レスの家にナチスの鍵十字の落書きが書かれたりしている)というのは、ドイツであれば兎も角、イスラエルでそんな勢力がいたのかという疑問は残ることになった。
鑑賞日:2025年6月9日