シャンハイ
監督:ミカイル・ハフストローム
夏休みの一時帰国時に、日本の映画館で見ることになったハリウッド映画であるが、舞台が上海ということもあるので、一応「アジア映画」に掲載させてもらう。丁度日本に滞在中の新規ロードショウとなり、TVでも宣伝していたこと、そして舞台が1941年、日本の真珠湾攻撃の直前の上海であるということに興味を引かれて出かけていった。因みに、まだこの映画は、これを書いている現在もシンガポールでは上映されていない。舞台が中国であることや、そもそもは中国の瀋陽出身であるが、その後シンガポール人実業家と結婚し、今はシンガポール国籍となっている女優のコン・リーが主役の一人であることを考えると、シンガポールでも早く公開されてもおかしくないが、遅れている理由は分からない(彼女は、その後離婚したという話もあるが、国籍は変えていないようである)。
主要登場人物は、米国人諜報部員ポール(ジョン・キューザック)、中国人富豪で実は上海マフィアのドンであるランティン(チョウ・ユンファ)とその妻アンナ(コン・リー)、そして日本軍情報部大佐タナカ(渡辺謙)とスミコ(菊池凛子)。話は、まず一人の米国人諜報部員が、ある雨の夜に惨殺されるところから始まる。米国紙の記者として、ベルリンから上海に送り込まれ着任したばかりの同僚諜報員のポールは、落ち合う予定であったカジノで彼と会うことができない。実はその同僚はその夜殺されていたのである。殺される直前、その男は日本人の女スミコと会っていたが、その女が事件の後失踪していることが分かる。またカジノで待つ間、ポールの前に一人の中国人女が現れるが、カジノから彼女の後をつけた彼は暴漢に襲われる。この女は、中国人富豪で、上海の闇世界を仕切るランティンの妻のアンナであった。
ポールは、ドイツ大使館の妻と情事を持ち、この時点ではまだ米国の仮想敵国であるドイツの軍事機密を集めているが、またこのドイツ人人妻を通じ、ドイツ大使館のパーティーにも顔を出し、そこで日本軍大佐のタナカと出会うと共に、ランティンとアンナとも面識を持つことになる。
上海では、列強が夫々の居住区を支配しているが、実際には日本軍の力が強まり、それに対抗する中国抗日ゲリラとの抗争も繰り広げられている。殺された同僚の活動を調べるうちに、ポールは、彼が日本の海軍の動きを追いかけていたことを知ると共に、日本軍が主力戦艦を太平洋に移動させようとしていることに気がつく。一方で富豪の妻アンナにも惹かれるが、その夫からは妻に近づかないよう警告を受けることになる。そしてある日、日本軍関係者の爆殺事件が発生し、その現場から去るアンナの後を追い、そのまま彼女を匿ったポールは、タナカに拉致され、アンナの行方を明らかにするよう拷問される。タナカは、アンナを、その事件を起こした抗日スパイの黒幕と疑っていたのである。
失踪したスミコは、抗日中国人に保護されている。抗日運動家を追う中でスミコを探し出したタナカ。実はスミコはタナカの愛人であり、殺されたポールの同僚はタナカと日本軍の機密を探るべくスミコに近づいていたのである。しかし麻薬中毒らしきスミコは既に虫の息である。抗日ゲリラの掃討にあたったタナカに率いられた日本軍に、ランティンが対抗し、ランティンは射殺されるが、タナカも瀕死の重症を追う。そしてそうこうしている内に日本軍の真珠湾攻撃が始まり、混乱の中で上海の欧米人の大量脱出が始まることになる。ポールはアンナと共に難民船で上海からの脱出を図るが、その検問所で警戒に当たっていたのは怪我から復帰したタナカであった。眼を合わせる3人。しかしタナカは二人がそのまま乗船するのを黙認するのであった。事後談として、一旦香港に逃れたアンナは、その後再び上海に戻り、抗日運動を続けたということになっている。
最近でこそ、経済発展の成果を受けて近代化が一層進んでいると言われているこの町は、中国自体も足を踏み入れたことのない私にとっては、残念ながら未知の町である。しかし、中国の町としては、北京と比較しても、20世紀以降、列強の租借地が存在したことで、独特の文化を育んできたことは知られている。ミュージカル「上海バンスキング」もまたこの町を舞台にした作品である。まだ私は見ていないが、このミュージカルで描かれているとおり、第一次大戦後の時期、この町ではジャズが人気を博していたようである。そしてこの映画の舞台となった太平洋戦争開始直前の時期も、この町では、欧米の影響から、訳の分からない中国マフィアのような魑魅魍魎に至るまで、雑多な人間と彼らが織り成す多種多様な文化が、その無限のエネルギーと共に溢れていたと想像するに難くない。そんな町を舞台に、米日中のスパイたちの駆け引きと恋愛沙汰を複雑に絡ませながら、一応息をつかせぬ展開の映画を作り上げた監督の力と、個々の俳優のなかなか雰囲気のある演技は見ものであった。今から考えて、ストーリーがやや分からない部分も多かったとは言え、またシンガポールで公開されることがあったら、もう一度それを確認するために見ても良いかな、という感じにさせる映画であった。
鑑賞日:2011年9月2日