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1911 辛亥革命(Xinhai Revolution)
監督:Jackie Chan / Zhang Li 
 ジャッキー・チャン100本目の記念映画という触れ込みで宣伝が溢れていたこの映画が、9月29日(木)よりシンガポールで公開になり、早速最初の週末に見に行ってきた。

 私の興味の対象は、もちろんこのジャッキーの記念映画ということではない。この私と同じ年齢の香港映画の人気者は、時々様々なイベントでシンガポールにも現われ話題になる外、私的にもここで不動産を幾つか所有している。先般もその一つのセントサ島にある高級コンドを売却した等という記事が新聞に出ていたものである。しかし、私は今まで彼の映画と言えば、2009年の「新宿事件」を飛行機の中の暇つぶしで見た程度で、劇場で見た映画は一本もない。しかし、今回の映画は、従来の、時としてコミカルなアクション俳優としての彼のイメージを大幅に変えるものになったと言われている通り、彼が演じるのは、辛亥革命で孫文の片腕と言われた革命家・軍人の黄興(Huang Xing)という硬派の役柄である。

 言うまでもなく、今年は、この清朝が倒れ中華民国が成立した革命から100周年であり、またこの10月10日は、この革命の発端になった湖北省武漢にある武昌(Wuchang)での蜂起からまさに100周年記念日とのこと。最近の日本の新聞記事によると、これに合わせて武漢では「辛亥革命博物館」が開館する他、来る10月9日には、北京の人民大会堂で開かれる革命100周年の記念式典で、胡錦濤主席が重要演説を行うとの噂もあるという。またその記事によると、中国共産党にとっては、この革命は、その後の1949年の政権奪取に至る過程への出発点であるが、台湾の中華民国にとっては、まさに建国の革命であるという位置付けの差がある。更に孫文の「三民主義」、なかんずくその中の「民権」思想や、「三権分立」は、中国共産党独裁にとっては「ブルジョア・イデオロギー」であり、そのままでは受け入れられないこともあり、この革命の評価については結構気を使っているという。

 そうした政治的な意味合いもあるこの辛亥革命100周年であるが、それに合わせて公開されたこの映画もいろいろな論議を呼びそうである。実際、「レッド・クリフ」等の撮影監督でもあるZhang Liと共に、この映画の監督も務めたジャッキーは、この映画はこのタイミングで公開されなければ意味がないとして、並行して彼が出演しているその他の映画の撮影スケジュールを遅らせるほど、この映画の完成に執着したと言われている。こうして今や中国の一部となっている香港をベースに製作されたこの映画が、この革命をどのように描くのかは、たいへん興味津々であった。主要登場人物と俳優は、ジャッキーの他、孫文(Sun Yat Sen)を台湾人の赵文瑄(Winston Chao)、その妻宋慶齡(Soong Ching-ling)をJiang Wenli、清朝の皇后・孝定景(Dowager Long Yu)を陳冲(Joan Chen)、清朝を最後に見捨てる袁世凱(Yuan Shikai)をSun Chunが演じている。そしてジャッキーの恋人・妻役は、彼のお気に入りの女優、李冰冰(Li Bing Bing)である。孫文役のWinston Chaoは、そもそも彼が本物に似ているということもあり、1997年の「宋家の三姉妹」を皮切りに、今まで映画やテレビ・ドラマで三度孫文を演じてきたというが、今回は更に人相を合わせるため、顎のラインをよりソフトにするインプラントを行ったり、眉毛を剃ったりしたとのことである。

 映画は、まず、首に板をはめられ、処刑場に赴く若い女性Qiu Jin(Ning Jing)の姿から始まる。女性革命家の嚆矢である彼女は、処刑を前に「革命に殉じるのは怖くない」と呟く。そして場面はマレーシアの海岸で、黄興が率いる若者たちが波と戯れるところに移る。そこで彼らは蜂起のための軍事訓練を行っていたようである。黄興には恋人である女性Xu Zonghan(李冰冰Li Bing Bing)が寄り添い、若者たちを見つめている。他方、同じ頃、海を越えた米国サンフランシスコに滞在中の孫文は、そこの華人社会を中心に、中国の変革を訴えている。

 そこで、黄興に率いられた若者たちによる蜂起が始まる。これがまさに冒頭で紹介した武昌(Wuchang)での蜂起であろう。街中での激しい戦闘シーンが続くが、結局革命軍は破れ、黄興は負傷しながらも逃げおおせるが(どのように逃げたのかは描かれていなかったように思う)、多くの若者は戦死するか、逮捕される。この戦闘中に黄興が指を吹き飛ばされるシーンがあるが、彼は史実でも「8本指の将軍」と呼ばれていたということである。

 逮捕された良家出身の若者Lin Juemin(Hu Geという、中国・上海出身の人気歌手兼俳優であるが、結構格好良い。)が、判事らしき者から転向を説得されるが、彼はそれを拒否し、その他の者たちと共に、首に板を巻かれ、手足をチェーンで縛られ海に沈められ処刑される。多くの若者と共に海から上がった彼の死体を見ながら、残された妻は涙にくれるのである。その一方で、清朝の王宮では、実権を握っている様子の孝定景皇后が、宮廷官吏を前に、反乱軍鎮圧の報告を受け満足そうな様子である。

 黄興らの戦闘は続く。次はむしろ荒野での野戦である。Xuは看護婦として戦闘に参加し、雨の中で戦死した仲間の遺体を泣きながら弔っている。戦闘は一進一退という感じであるが、その最初の蜂起とその失敗の知らせが米国にいる孫文に届く。しかし同時に、清朝の命運は、西欧列強4カ国からの借款に依存していることが判明し、彼は、革命が進行中の中国ではなく、ロンドンに行くことを決意、ロンドンの銀行員が集まるガーデン・パーティーで、滅び行く清朝に対するローンはビジネス上も誤った判断である、と英語の大演説を行うのである。ここで彼を支持する中国人の若い女性が登場するが、当初私は、彼女は、その後孫文と結婚することになる宋慶齡(Soong Ching-ling)かと思ったのであるが、後に確認したところでは、1915年に孫文と結婚する宋慶齡は再婚で、且つロンドンで出会ったという事実は発見できなかった。且つ、この女性は、その後自殺したように描かれていたので、一体彼女は誰だったのだろう?という疑問が未だに残っている。

 孫文は、そこから中国に向かい、港に着いた船には、黄興ら同士のみならず、彼を支持する多数の民衆もつめかける。他方、清朝の宮廷では、次第に悪化する情勢に、孝定景皇后が突然泣き始め、それを聞いた幼い皇帝溥儀(Puyi)が、合わせて泣くという笑えるシーンが挿入されている。

 結局列強からの借款も打ち切られ、清朝を守る軍を指揮してきた袁世凱にも裏切られた清朝の皇后、孝定景皇后は、最後に「退位」と叫ぶ。この皇后は、実際幼い皇帝溥儀に代わって退位の文書に調印したことで知られているそうである。溥儀は、もちろん、「ラスト・エンペラー」として有名で、その後日本が満州国の傀儡として使うことになる。

 革命は成就し、中華民国建国の議会が開催される。議場の外で一人寂しく結果を待っている孫文の横を、旧知の英国人が通りかかる。二人が短い会話を交わしている時、議場から人が溢れだし、彼が初代の大統領に選ばれたとの報を伝えるのである。しかし、彼の大統領としての活動はあまり描かれることなく、翌1912年、孫文が自ら大統領を辞するシーンに飛ぶ。その間の経緯は詳しく描かれていなかったように思えるが、辞任を表明して退場する彼の姿を追いながら、「三民主義」というサブタイトルが画面に映し出されるのである。

 映画は、会話のほとんどがマンダリンで、その中国語と英語のサブタイトルが画面に表示されていた。しかし、会話は早く、英語のサブタイトルを追うのがやっとという状態。中国駐在の英国外交官と思しき西洋人までも流暢な中国語を話していたのが印象的であった。そして私は、時として会話に合せて中国語のサブタイトルを読もうとすると、結局全く追いつかず、会話の意味を掴み損ねることが度々であった。また、時々史実が、中国語と英語で表示されたが、これもほとんど読むことが出来なかった。

 しかし映画としては、この作品は、史実に従って革命の進行を淡々と辿る他は、特にジャッキーお得意の戦闘シーンを如何に迫力あるように見せるか、というところに力を注いだ作品であったというのが私の印象である。従って、映画としては、例えば予想しないどんでん返しがあるとか、人間関係の交錯が繰り広げられる、といったことのない平板な作品になってしまったように思える。他方で、冒頭に述べたこの映画の政治的意味合いはというと、確かに辞任の場面で孫文が「三民主義」を強調する場面があるとは言え、それ以上に政治的な会話や意図はなかったように思われる。その意味では、やはりこの映画は革命の中心人物である孫文とその思想を喧伝するものというよりも、アクション・スターとしてのジャッキーを引き立たせるような娯楽映画であり、そうであれば中国共産党もそれほど気にしないタイプの作品であるといえる。

 因みに、ジャッキー・チャンが演じる革命家・軍人の黄興Huang Xingは、1874年生まれ。当初独自の革命組織(Huaxinghui – Society for the Revival of China)を結成し活動していたが、1905年の清朝皇后の70歳の誕生日祝賀に合わせて計画した蜂起に失敗。一旦日本に逃亡し、そこで孫文(Sun Yat-sen)が結成した同盟会(Tongmenghui – Alliance Society)に参加、その後孫文の片腕になって辛亥革命の軍事行動を支えたという。革命後、袁世凱が実権を握ると、彼に抵抗し、その結果1914年米国に逃亡せざるを得なくなるが、1916年袁世凱が死ぬと再び中国に戻ることになる。しかし、その年上海で42歳という若さで死ぬ。それはどうも戦闘や暗殺での死ではなかったようで、彼の遺骸は国葬で葬られたとのことである。

 この映画の公開に当たっては、当地の新聞でいくつかの派生的な話題が取り上げられていた。一つは、ジャッキーがこの映画で、彼としては初めてのベッドシーンを妻役の李冰冰と撮影したということで、ある記事は「李冰冰は、ジャッキーの100本に渡る映画の中での初めてのベッドシーンの相手役という光栄をつかんだ」等と報じていた。しかし、私は、いつこのシーンになるかと待っていたが、結局それはないままに終わってしまった。これはシンガポールの検閲で削除されてしまったのではないかと想像される。この国では、もちろんポルノに対する規制は厳しく、一般のヌード写真等もご法度である。映画については、私は今までそうしたシーンのある作品にはこの国では接してこなかったので、その検閲の実態がどの程度なのかはあまり意識したことがなかったが、今回、こちらの一般紙で話題になっていたこのシーンがカットされた、というのは一つこの国の映像規制の一端を物語るものなのであろう。これはまた日本のDVDでも見て、削除されたシーンがどの程度のものであったかを見てみたい。

 また、その他の小さな話題としては、この映画で、ジャッキーの息子(Jaycee Chan)が革命軍の端役で出演していたという。ジャッキー自身は、あまり息子を自分の映画に出すことを好んでいなかったようであるが、昨年公開された「空手キッズ」で、米国の俳優ウィル・スミスの小さな息子と競演したこともあり、今回は自分の息子にも機会を与えることにしたようである。

 最後に、辛亥革命に関連したシンガポールでの話題としては、シンガポール孫文記念館の再オープンというものがある。

 孫文の組織した同盟会はシンガポール華僑の間でも支持者が多く、Balestier地区、Tai Jin Roadにあるこの2階建てのプラナカン様式の建物は、この地でゴム取引などで成功した支持者から同盟会に贈られ、その本部として使われたという。孫文自身、1900年から1911年の間にシンガポールには10回訪れ、その内の3回はここに滞在し、おそらく今回の映画でも描かれた武昌での蜂起などの計画が練られたとされている。

 昨年一旦修復のため閉館されたが、今回シンガポール中華商工会議所と政府の協賛で、総額S$5.6百万(約3.3億円)かけて改装され、今週末の10月8日に再オープンされるとのことである。

 私は、まだこちらに来て、ここを訪れる機会はなかったが、実は私の家からは地下鉄で駅5つの然程遠くない場所にある建物である。再オープンの今週末は、私は日本出張で不在であるが、帰国後、早速ここを訪れることにしたいと考えている。

鑑賞日:2011年10月1日