アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
映画日誌
アジア映画
The Iron Lady & The Lady
監督:F. ロイド / R. ベッソン 
 現代の女性政治家を扱った映画二本が、奇しくも重なるタイミングで、ここシンガポールで公開された。一つは英国のマーガレット・サッチャーを取り上げた「The Iron Lady」、もう一作はミャンマーのアウン・サン・スー・チーを主人公とする「The Lady」である。前者は、言うまでもなく、2月末に開催されたアカデミー賞で、主演のメリル・ストリーブが主演女優賞を受けたメジャー作品であり、日本公開はこれからのようであるが、シンガポールではしばらく前から公開されていた。それに対し、もう1つの「The Lady」は、ミャンマーのアウン・サン・スー・チーの戦いを描いた作品であるが、こちらはまだ日本でそもそも公開されるという話は耳にしていない。しかし、約1か月前にミャンマーを訪れたばかりの私にとっては、まさにこちらは旬の映画である。また考えてみたら、どちらの映画も私がロンドンに滞在していた80年代が、映画の中でも中心になるのではないかとも思われた。それでは、この二作を一気に見て、重ね合わせながらレビューしておこう、と思い立った。恐らくサッチャーの映画だけであれば見に行くこともなかったと思うが、後者が偶々今週半ばから始まったことで、この週末は一人で勝手に「鉄の女ウイークエンド」にしようという気持ちが高まったのであった。

 しかし、調べてみるとサッチャーの映画は、既に公開されてしばらく経っていたことから、上映しているシネコンが限られていることが分かった。場所で一番近いのは、「Harbour Front」地区の巨大SCにあるシネコン。時間的には金曜日の夕刻6時半が最も都合が良いので「鉄の女ウイークエンド」は、まずサッチャー映画から始めることにして、会社終了後、SCにバスで直行した。そして翌日の土曜日夕刻遅い時間(9時40分開始)、こちらは近所のシネコンで上映されているアウン・サン・スー・チーの映画を見ることになったのである。

The Iron Lady―監督:フィリダ・ロイド
                        
 まず、サッチャーである。こちらは、繰り返しになるが、今週初めに開催されたアカデミー賞で、主演のメリル・ストリーブが主演女優賞を受けたこともあり、こちらの新聞でも改めて取り上げられていた。マスメディアで、認知症になっていることを家族が認めていることが伝えられているマーガレット・サッチャーの回想を通じて、彼女の政治家としての「栄光と挫折」を描いた作品ということである。
 
 いきなり老人のメーキャップを施したメリル・ストリーブ演じるサッチャー(現在86歳ということである)が、近所のコンビニに一人で買い物に出かけ、寂しく家路に就くシーンから始まる。家では同じく歳をとった夫のデニスが待っており二人で質素な食事をとる。まずは、この老境のメイクアップと、あのサッチャー独特の口調をそのまま老人に移し替えたように話すメリル・ストリーブに、思わず苦笑いが出てしまう。そして、映画は、老境のサッチャーが回想する形で、現在と過去が行ったり来たりしながら進んでいく。八百屋の娘マーガレット・ロバーツが、男が牛耳る政治の世界に飛び込むところ(1950年。さすがにこの時代は別の若い女優が演じている)から、デニスの求婚、男女の双子の子供(マークとセーラ)の誕生と国会議員への当選。そして「黄昏の英国」を象徴するような、労働組合ストでロンドン市内がゴミで溢れる様子(1974年)や、IRAのテロ(同僚である北アイルランド相の爆殺)等の実写フィルムやシーンが挿入される中、彼女は国を変えるために指導者の道を目指していく。政治家がコンサルを雇い、衣装から演説に至るまで細かい指導が行われるのはどの国でも同じであるが、映画ではその部分はコミカルに描かれている。そして首相となってからは、フォークランド戦争(1982年)やブライトン保守党大会でのホテル爆破事件(1984年10月)など、私がロンドンに滞在していた時代に身近に接した事件の数々も挿入される。彼女を取り巻く政治家たちも、例えば保守党ではジェフリー・ハウやマイケル・ヘーゼルタイン、ジョン・メジャー、労働党ではマイケル・フットのそっくりさん達が、如何にも、という感じで脇役として登場していて笑ってしまう。彼女自身の回想録でも語られている通り、最後はユーロへの対応を巡り、側近ジェフリー・ハウまでもが離反し、1979年から1990年まで11年半務めた首相の座をジョン・メジャーに譲ることになるところも、そのまま描かれている。こうした点だけを見ると、この作品は、私にとってはあのロンドン時代、1日としてテレビでサッチャーの顔を見ない日、声を聞かない日はなかったあの時代を懐かしく回想させるものであった。

 しかし、それ以上にこの映画で心に突き刺さったのは、やはり老境で精神状態が通常でなくなっている老人のボケを演じたメリル・ストリーブの鬼気迫る演技であった。それは、国会や街頭での演説をあの力強いサッチャー節で繰り広げる演技よりも、もっと迫力があった。映画の中の現在、夫のデニスは既に亡くなっているが、老境のサッチャーの中では、まだすぐ横にいるかと思えば、また死んだことを思い出すというように、時間感覚がなくなっているのである。それでも医者の検診を受ける時には、元首相としての矜持が頭をもたげるかと思えば、また深夜に一人で突然デニスの靴や衣類等の遺品の数々をいっきに片づけてしまったりする。その意味ではこの映画は、サッチャーという、英国初の女性首相を務めた「鉄の女」でも年齢には勝てないということをむしろこれまでか、これまでか、と描いた作品と言えなくもない。映画の最後で、デニスの幻影が仕事に出かけるのを見送りながら、サッチャーが「行かないで、一人にはなりたくないの」と声をかけたのに対し、デニスが「大丈夫。君はいつも一人だったのだから」と返す。英国史上最も強いと言われた女も、最期は寂しく死んでいくのだ、と言っているように思える。それ自体は陳腐な演出と言えなくもないが、今やそうした老人を身近に抱える私にとっては、ひどく心に食い込む作品となったのである。

鑑賞日:2012年3月2日


The Lady―監督:リュック・ベッソン
                        
 サッチャー映画が、引退した政治家の回想であるのに対し、こちらのアウン・サン・スー・チー(以降「スー・チー」)は、現在も4月1日に予定されている国会議員の補欠選挙での公職復帰を目指している、まだ現役バリバリの政治家である。更に、サッチャーが10年半に及ぶ首相在任期間中に権力を思う存分に振るったのに対し、こちらは民主主義の闘士として2010年まで15年に渡り自宅軟禁という政治的迫害を受けたにも関わらず、くじけず戦い続けた反権力の「鉄の女」である。

 この映画の監督、リュック・ベッソンは、今までは「ニキータ」(1990) や「The Fifth Element」(1997) といったスリラー・アクション物を撮ってきたフランス人であるが、今回は、この政治家を主人公とする作品で新たな試みを行ったということである。また、スー・チーを演じるのはマレーシアの女優ミシェル・ヨー(Michelle Yeoh)。私は初めて聞く名前であったが、地元の人々に聞くと、彼女はマレーシアを代表する49歳の国際派女優で、イポの富豪家族の出身。こちらではたいへん有名であるそうだ。この映画を取り上げた幾つかの新聞記事の一つ(3月2日付「The Straits Times」)によると、4年前にこの映画の企画が公表された後、ミシェルは直ちに米国のエージントを通じて自分がスー・チーを演じる俳優としてベストであることをアピールし、その役を射止めたという。更にその後はスー・チーの細い身体つきを作るために50キロあった体重を40キロへと、10キロの減量を行うと共に、映画の中でのミャンマー語での会話や演説(特に後述する、スー・チーが初めて公衆の面前で演説した、1988年8月26日のヤンゴン、シェダゴン・パゴダでの演説シーンが一つのハイライトである)のためにミャンマー語の特訓を行ったということである。ミシェル自身も「Police Story 3 : Super Cop」(1992)、「Crouching Tiger, Hidden Dragon」(2000)、「Reign of Assassins」(2010) といったアクション映画を中心に活躍しているようであるが、別に「Memoirs of Geisha」(2005) という、何とも興味をそそられる日本ネタの作品にも主演しているとのことである。

 さてこの映画であるが、まずイラワジ川ではないかと思われるミャンマーの自然風景から、私が訪れたばかりのパゴダが立ち並ぶバガンの映像等が流され、それに重なるように男のナレーションが語られる。「この美しい国は、何度も外国に侵略され、支配されてきた。これから私たちが自分自身で治めていかなければならない。」1947年、それを3歳の娘に語っているのは独立運動の闘士アウン・サンである。彼は、娘を自宅の庭にあるブランコに座らせると、迎えに来た車に乗り、仲間との打ち合わせに向かう。しかし、その会議の場所に3人の暗殺者が現われ、銃を乱射。倒れたアウン・サンにとどめを刺して逃亡するのである。自宅では部下が夫人にアウン・サンの暗殺を告げ、夫人が悲嘆にくれるところでタイトル・バックが流れる。

 こうして始まった映画は、今度は1998年の英国オックスフォードに跳ぶ。大学教授のマイケル(David Thewlis)が不調な身体の診察で医者を訪れるが、そこで癌の告知を受ける。友人に「余命は?」と聞かれ、「短ければ数か月。長くて5年。私が死んだら子供たちを頼む」と答えるマイケル。そしてシーンは10年遡り、1988年のオックスフォードへ。そこでは夫マイケルと、アレックスとキムという10代くらいの男の子に囲まれた専業主婦のスー・チーが平和な生活を送っている。英国のテレビでは故国ミャンマー(この映画では、国名は全て「ビルマ」が使われているが、ここではヤンゴンなどの都市の名前と併せ、現在の名前を使う)の民主化運動とそれに対する政府の過酷な弾圧が報道されているが、彼女は特段強い関心を払う訳ではない。

 しかし、そこに母親危篤の知らせが入る。冒頭で夫の暗殺の報を受け、悲嘆に暮れていた女性である。急遽故国に一人で帰国し、空港の入国審査で、「滞在期間は?」と聞かれ、静かに、しかしはっきりと「必要なだけ」と答える彼女を、秘密警察と思しき二人が見つめている。母親を病院に見舞った彼女。そこでは、父親アウン・サンの写真を掲げる民主化のデモが弾圧され、彼女の眼の前でも無造作に人々が射殺される。そして危篤の母親と共に、湖の畔にある54番という住居表示がかかった自宅に戻った彼女の下に、民主化運動の指導者たちが訪れ、彼女にリーダーとして行動することを懇請するのである。

 ここからスー・チーの苦難の道が始まる。英国から訪れた三人の家族の前で、彼女は故国の人々のために働くことを宣言し、シェダゴン・パゴダでの大集会で初めて公衆の面前に姿を現し、民主化を鼓舞する演説をするのである。冒頭で述べたミシェルのミャンマー語の特訓により、これがどの程度ネーティブに聞こえるのかは私には分からないが、映画を見る限りは、ミャンマー語での演説はとても説得的に思える。そして、そのまま彼女は、地方遊説の旅に出る。ここでは地方の頸長族等の少数民族が、それぞれの民族に特徴的な衣装や風俗で彼女を迎えるが、このあたりはこの国に関心を持つ外国人への観光案内でもある。帰宅後、母が亡くなったことが伝えられ、盛大な葬儀が行われる。またマイケルは、ヤンゴンの英国大使館のコピー機を借りて、民主主義の宣言文の大量コピーを準備している。

 しかし、時の独裁者ネ・ウインは、当然この動きを苦々しく見ている。彼が占い師を訪れ、スー・チーへの対応を聞くあたりは、別掲のミャンマー旅行記にも書いた、この国での占い師の人気を皮肉ったものであるが、本当にネ・ウインが占い師を信頼していたのかどうかは分からない。いずれにしろスー・チーとその仲間に対する弾圧が強まっていく。ある政治集会が、銃口による威嚇で解散させられたところに到着した彼女が、兵士の制止を聞かず銃口の前に進み出るシーンが挿入される。

 他方、オックスフォードに帰った3人は、彼女のいない生活に戸惑いながらも、特にマイケルはその後も様々な形で彼女の戦いを支援する。1990年の総選挙で、彼女の政党(国民民主同盟)は地滑り的勝利を収めたものの、軍政側は、民政移行を拒否し、益々弾圧を強めるが、これに対し、マイケルは、英国での学者のコネを使い、ノーベル賞候補として彼女を推奨することに尽力し、助手と共に必要な資料を準備する。そして1991年、彼女はノーベル平和賞を受けることになるが、当然授賞式への彼女自身の出席は実現できない。代わりに出席した家族のうち、長男のアレックスが受章記念スピーチを行い、スー・チーは、その模様を古いラジオでメイドの女性と二人だけで聞くことになる。授賞式後に会場でオーケストラにより演奏された曲に合わせ、スー・チーが家のピアノを弾く。静かな家にピアノの調べが流れ、監視所の兵士さえもそれに耳を傾けるのである。

 軍事政権の下を、日本の使節団が訪れ、奇妙な日本人が「経済支援のためには、スー・チーに対する配慮をしているというジェスチャーをすることが必要だ」と述べたのを受け、一旦彼女は自由になるが、その後再び締けが厳しくなる。そして軍政が考え出した作戦は、彼女の自宅軟禁である。同時に捕らえられ、過酷な状態で監禁された仲間を救うためハンガー・ストライキに出るスー・チー。その最中に訪れた家族の説得も聞かず、ハンストを続ける彼女。マイケルは軍事政権の下を訪れ、彼女が本気で死ぬつもりであり、彼女が殉教者になることを防ぐためには、逮捕された仲間を過酷な状態から解放するだけでよい、と説得するのである。軍政はこれを受け入れ、スー・チーのハンストは終わることになる。

 ハンストから回復したスー・チーが、湖畔でマイケルと抱擁しながら呟く。「あなたは、間違いなく今まで生存した中で、最も寛大な夫よ。」しかし、これが、スー・チーとマイケルの永遠の別れとなる。自宅軟禁が続く中、英国で暮らすマイケルの健康が悪化。ここで最初の場面に戻るのであるが、彼は癌に犯されており、1998年ホスピスに移送される。危篤の夫に会うために帰国を訴えるスー・チーに対し、軍政側は、「夫に会いに帰るのは自由だが、その場合は、帰国は許されない。国を取るか、夫を取るかはあなたの自由だ」と述べ、それに対し、彼女は「いったいそれは自由と言えるの?」と呟く。翌1999年3月、軟禁された家の中で、ラジオから流れる夫の死のニュースを一人で聞きながら、彼女は床に倒れ泣き伏すのである。マイケル53年の生涯であった。

 シーンは跳び、それから8年後。僧の集団が彼女の家の前に参集する。彼女を呼ぶシュプレヒコールが繰り返される中、門の上に彼女が現われ、蘭の花びらを、彼女の復帰を待ちわびる人々に向かい投げ入れる。そしてスー・チーが2010年、ついに15年にわたる自宅軟禁から解放された、とのナレーションと共に、それでも現在のミャンマーにはまだ多くの政治犯が収容されており、民主化までの道は厳しい、といったテロップが流れて、この映画は終了する。時間は深夜12時丁度。132分の作品であった。

 この映画では、彼女が学生としてオックスフォードで過ごした80年代は、1988年の彼女の帰国が手短に映されるのみで、私の回顧願望は満たすことが出来なかった。しかし、それ以降の彼女の軌跡は、彼女を巡るほとんどの重要な出来事と共に丁寧に描かれていることから、彼女の軍事政権との孤独な戦いのみならず、この国の現代史の概要を改めて確認することができる。実際、15年に渡る軟禁生活というのが、どれほど厳しいものであったかは想像するのも困難で、おそらくこの映画が描く以上に辛いものであったと思われる。しかし、そうした状況の中で、一方で多くの個人的な悲しみを抱えると共に、他方で特に夫であるマイケルへの愛と信頼、そしてその他の多くの人々の支援によって、彼女は今日まで生き延びることが出来た。その意味では、スー・チーを演じたミッシェル・ヨーのみならず、飄々と、しかし懸命に彼女を支える夫を演じたデヴィッド・トーリス(という発音で良いのだろうか?)の演技もなかなか見応えがあった。

 別掲の旅行記にも書いたとおり、また映画の最後のテロップでも語られたとおり、まだまだこの国の民主化に至る道は遠く、スー・チー自身にとっても、今後もっと多くの苦難が待っていることも確かであろう。しかし、少なくともこの映画が、彼女のみならず、この国の未来を信じる人々の大きな希望になることは間違いない。その意味で、先に見たサッチャー映画に比べ、こちらの「鉄の女」の方が未来を志向したものであったと言える。

 真夜中を過ぎたショッピング・センターの、既に停止したエスカレーターを歩いて下りながら、心に湧き上る大きな感動を禁じえなかった作品であった。

鑑賞日:2012年3月3日

(追記)

 4月1日に実施されたミャンマー連邦議会補欠選挙は、予想通りスーチー率いる国民民主同盟(NLD)が、争われた45議席中、40議席を確保し圧勝することになった。スー・チー自身も当選し、20数年振りに国政に正式に復帰することとなった。

 とはいっても、ミャンマー議会は下院440名、上院224名で構成されており、今回NLDが獲得した40議席は、そのうちのごく一部に過ぎず、以前大半の議員は、軍事政権に近い人々で占められている。

 今後は、2015年に予定される総選挙に向けた運動が繰り広げられることになるが、一方でスー・チーとNLDの影響力が強まることは間違いないものの、他方でまた軍事政権側からの対応も、このまますんなりとNLDの攻勢を眺めているだけということも考えにくい。この国の現代史の展開に鑑みると、欧米諸国のこの国への対応も含め、まだまだこの国の今後には、多くの紆余曲折が予想されるものと思われる。

2012年4月5日 記

(追記2)

 「The Lady」は、7月に入り、ようやく日本でも一般公開されることになった。先日、監督のR.ベッソンと主演のM.ヨーが日本に滞在し、公開に先立ち記者会見を行っていたようであるが、日本でも是非多くの観客がこの映画に接することを期待したい。

2012年7月6日 記

(追記3)

 2013年4月8日、マーガレット・サッチャーは、滞在していたロンドン市内のリッツ・ホテルで脳卒中の発作を起こし、87歳で逝去した。映画に描かれている通り、晩年は認知症を発症し、キャメロン首相が訪問しても認識できないことなどもあったようであるが、他方で自分の現職時代の記憶は残っており、時には辛辣な皮肉を口に出すこともあった、と報道されている。長い経済低迷から英国を転換させるという大仕事を果たす反面で、競争の激化による格差を拡大させた他、ユーロを巡る数々の論争などで毀誉褒貶が交錯するこの英国初の女性首相の逝去は、英国にとってもある時代の終わりを象徴すると共に、私にとっても、自身の英国時代を、過去の歴史の世界に送りこんでしまうような感覚をもたらすことになった。80年代という、欧州のみならず、世界の政治構造そのものの大転換が行われた時代をリードしたサッチャーが、立場の違いにもかかわらず、その中心人物の一人であったことは、誰もが認めざるを得ないだろう。

 同じ頃マレーシアでは、同じ87歳の元首相マハティールが、約2ヶ月後に予定される総選挙のため、与党支援の全国行脚を始めるなど、元気なところを見せている。そして、もうひとつの映画の主人公、アウンサン・スー・チーは、今日の早朝、日本政府の招待により、かつて1年だけ滞在したこの国の地に27年振りに足をおろしている。こうして歴史はまた進んでいくのである。

2013年4月14日 記