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万引き家族
監督:是枝 裕和 
 今年のカンヌ国際映画祭でパルムドール賞を受賞したこの日本映画が、シンガポールでも上映されているということで、週末の夜、近所のThe Cathay Cineplexに衝動的に出かけることになった(S$13)。

 ネット上の解説によると、親の死亡届を出さずに、年金を不正に貰い続けていた家族の事件をヒントに是枝監督が練り上げた作品ということである。出演は、リリー・フランキー、安藤サクラ、松岡茉優、樹木希林などで、音楽を細野晴臣が担当している。

 東京の下町の小さな家に同居する5人の家族。「父親」の治は日雇い労働者であるが、時々「息子」の翔太と共に、近所のスーパー等で万引きをし、「母親」の信代は、クリーニング店で働きながら、衣類に残されたアクセサリーなどをネコババしている。祖母の初枝は、亡夫の年金に加え、時々、その亡夫の再婚相手の息子夫婦に金を普請、娘の亜紀は風俗店でアルバイトしている。言わば、全員が「訳あり」で、犯罪にも手を染めている。

 そこに小さな女の子、「ゆり」が加わる。治が、冬のベランダで震えていたゆりを連れ帰ったのだが、虐待の気配もあることから、そのまま家に引き留めることになったのである。こうして6人家族の奇妙な生活が始まるが、そこには、それぞれが失っていた家族の暖かさがあった。海岸での家族団欒は、彼らの生活の至高の時間であった。

 しかしそれも長く続かない。初枝が自然死するが、葬儀代もない彼らは、遺体を自宅下に埋め、初枝の年金はそのまま受け取り続ける。そして翔太は、ゆりが万引きを見つかりそうになったことから自分が囮となり逮捕される。それを知った治たちは、翔太を見捨てて夜逃げしようとするが見つかり、取り調べの過程で、彼らの過去と、それぞれの関係が明らかにされ、その結果、彼らは再び別々の生活に戻っていくのである。彼らの過去と関係は、ネット上で解説されているが、ある意味、この作品の肝なので、ここでは記載しないことにする。

 ここでの主題は、「家族」である。家族の絆とは血縁だけなのか?ここでは血縁故に悩み、そして血縁がない故に、貧困とそのための犯罪に手を染めながらも安息を感じている家族が描かれる。この監督のその他の作品は見ていないので何とも言えないが、福山が主演した「そして父になる」も、出産時の新生児取り違えをテーマにした家族の葛藤を描いたと聞いているので、このテーマはこの監督がこだわっているものなのだろう。そして、この作品で描かれた訳あり家族の暖かさは、彼らの全てが経験してきた血縁家族の絆よりも明らかに「家族的」なのである。

 それでも、それがどうした、という感覚も残る。多くの映画やTVドラマなどでも描かれてきた見知らぬ人々による共同生活というのは、どこにでもある風景と言えなくもない。ただ、この作品の設定で強調されているのは、彼らの其々が、家族の中での役割を他人に認知してもらいたいと切望しているという点で、例えば、彼らの至福の時間であった海水浴場の場面で、治は翔太に、「いつになったら(父と)呼んでくれるのか?」と聞くが、翔太は呼べないままである。そして最後の別れに際し、治は翔太に、「またおじさんに戻るよ」と言うのである。その意味では、彼らは単なる同居人ではなく、それぞれが家族を求め、そしてそれについて常に葛藤していた同居人であったと言える。そうした感情の機微を描いたことが、この作品の最大の売りであるのだろう。

 しかし、そうした特徴を踏まえながらも、この作品がカンヌで最高の作品賞を受賞した理由については十分納得できる理由を見つけることはできなかった。東京下町の下層労働者「家族」の生活風景は、取り立てて外国人の「日本エキゾチズム」を刺激するものではない。「万引き」を生計の足しにするという人々は、欧米でも特段特異ではないように思われる。そうした中で、外国人審査員を刺激したとすると、血縁家族の絆がもともと弱い欧米で、血縁のような家族を作ろうとする人々の姿が奇異に映ったからではないのだろうか?見ず知らずの人々が同居するのは、前記のとおり、世界のどこでも別に変ったことではない。また、欧米では養子縁組もごく一般的である。しかし、ここで描かれているような、両親を含め、すべて血縁のない同居人が、そこで疑似家族を切実に求める、というのは必ずしも一般的ではないのであろう。そこに審査員たちは、自分たちにはない、特異な家族関係を見出したというのが、この作品が評価された唯一の理由ではないかと思われる。しかし、それは私の興味をそれほど刺激するものではなかった。

 久し振りに劇場で見る(純粋な)日本映画で、それなりに楽しめたとは言え、国際映画賞に値する作品であるか、という点では小さな疑問符が残った作品であった。

鑑賞日:2018年7月20日