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三島由紀夫vs東大全共闘
監督:豊島 圭介 
 コロナ禍の最中、ハロウィーンの自粛要請が出されながら、多くの若者が繰り出した渋谷の街の夜が明けた月曜日、ここにあるミニ・シアターで上映されたこの映画を見ることになった。

 1969年5月13日、東大駒場キャンパス900番大教室で開催された両者の討論会の実写フィルムに、関係者がコメントを加えた約2時間の作品で、今年の3月に劇場公開されている。先日見た「スパイの妻」と同様、帰国後、映画通の友人から薦められた一本であるが、もちろん私にとっては、前に観たものよりも思い入れのある作品である。しかし、一般の映画館での公開は既に終了しており、私がまず調べた限りでは、首都圏での上映は11月の後半の池袋を待つしかない状態であった。しかし、偶々もう一度話したその友人から、11月5日まで、渋谷のミニ・シアターで上映されているということを聞き、ハロウィーン明けの月曜日朝、この会場に出向くことになった。ハチ公前から、東急本店前を経て、徒歩約10分。到着した会場は、簡易椅子の座席数70−80席程度で、壁も剝き出しのままの小部屋ではあるが、もちろん映画を見るには全く支障はない。シニア割引で1200円のチケットは、予約なしで行ったにも関わらず、全く問題なく確保できた。10時15分、予定通り上映が始まるが、観客の入りは7割程度、約50人といった感じである。平日の午前のミニ・シアターということで、観客は、ほとんど暇で、且つこの時代に思い入れのあるシニアだけかな、と予想していたが、そうした連中に加え、私より若い中年カップルや若い男同士の二人組等もいたというのは、こうした時代に関心を持つ若い世代がまだ僅かながら残っているということだろうか。

 映画であるが、当時TBSが記録した2時間半の映像を核に、討論に登場した全共闘3人や盾の会残党3人に加え、関係する評論家等のインタビューを交えて制作されている。1968年の安田講堂攻防戦やエンタープライズ寄港反対デモといった時代を映すお決まりの映像のイントロから始まり、本編である駒場での討論会、そして当然最後は三島の自決で締めくくられる。言うまでもなく、今月25日は、三島の自決50周年であり、この作品がそれを意識して作られたことは間違いない。監督は豊島圭介ということであるが、私は全く聞いたことはない。

 私の三島に対する個人的な関わりについて語ると長くなるので、簡潔に説明すべく試みる。中学に入って早々、夏休みの課題図書で「仮面の告白」読んだのが、彼との最初の遭遇であるが、その際はあまり特別な感情を持つことがなかったが、その後、代表作である「金閣寺」や「潮騒」などを読み進める内にまさに嵌り、文庫本を中心に、彼のほとんどの小説を読了することになった。そして彼の最後の4部作である「豊穣の海」も、近所の図書館で、ほぼ刊行と同時に読んでいた。小説の印象は、純文学的な華麗な文体と、通俗小説の軽妙な文体の双方に惹かれたことを記憶している。そしてそれに加え、彼の評論も時々手にしていた。正直、「文化防衛論」といった右翼的評論には、中学生の私はついていけなかったが、それでも彼が作家という枠を超えて、政治活動にも活発に参加していることは意識するようになっていた。そして何よりも、「ひ弱な作家」であることを嫌悪し、肉体をとことん鍛えていたのは、当時の自分自身の肉体改造の欲求と重なり、大いに刺激された。ある評論の中で、彼が影響を受けたことは間違いない太宰の作品を、「肺病で常に微熱が出ているような文体」と皮肉っていたのを良く覚えている。またこの映画の主題である東大全共闘との討論も本で読んだ(この本は持っていたはずなのであるが、今回書庫を探して、とうとう見つからなかった。どこかで処分してしまったようだ。)が、これが彼の自決の前であったか、後であったかの記憶は薄れている。しかし、そこでは、政治的立場が全く異なる全共闘が待ち受ける中、単身で討論に出向き、そこで、両者にある種の化学反応をもたらしたということは、当時も認識していた。そこでは、単なる政治的立場についての非難の応酬、といったことではなく、むしろ時代に主体的に対峙するという共感が示されたのである。そして、「豊穣の海」の第4部「天人五衰」は、彼の自決日に完成したことから、当然自決後に読んだ訳だが、彼の自決時、中学3年生であった私は、「自らの美的な人生を構想し完結させた」という彼の美学に凄まじい憧れに似た気持ちを持ったのであった。45歳以上は、生きる価値がない。当時の私は、疑いもなくそうした気持ちを抱くほど、彼の生涯に共感していたのである。その後もしばらく読み残した彼の作品には、間欠的に接していたと思うが、しかし私が大学に進み、むしろワイマールから始まるドイツ社会思想に関心の軸足を移す中で、次第に彼の作品からは遠ざかっていった。そして少なくとも社会人となって以降は、彼の作品に触れることはほとんどなくなっていたように思う。彼の生涯は、いつしか忘却の彼方に遠ざかり、気がつくと、かつては自分の人生の終わりと考えていた45歳を過ぎ、それから20年以上も生き延びることになっていたのである。そうした中で、今回この作品で久々に三島という存在に触れることは、私自身の学生時代を、改めて想起させる機会になったのである。

 さて、その映画であるが、まず脚色は省いて討論だけに絞って見ていこう。まず三島に与えられた約10分の冒頭講演がフルに紹介される。そこでは、彼が今回の討論に応じた経緯から始まり、反知性主義や言説の有効性、あるいは一私人として暴力を肯定すること(決闘の思想)や、そこで生じる他者という存在の意味と関係性、そして時代に対する違和感等が語られることになる。ここで私は、かつてあれほど傾倒したこの作家の生の声を聴いた記憶がほとんどなかったこと。三島の生の講演は、ある意味力強く、自身に対する絶対的な自信が溢れるものであることを改めて認識することになる。確かに、この討論は、1970年11月の自決まで1年半という時期に行われているので、彼は43歳くらい。確かに自分の人生を振り返ってみても、その年代が「一番元気」な時期であったことは間違いない。最近のシンポジウムでの「あたり触りのない」講演を聞きなれた耳には、この「毒気」に満ちた挑発的な講演はたいへん新鮮で刺激的である。もちろん、それがこの時代であったということであるが・・。

 そして全共闘側との討論に移る。まずは学生服を着た端正な顔つきの司会者(後でインタビューに登場する木村修氏)から、最初の質問が発せられるが、私には、彼の質問内容よりも、彼が学生服で出てきていることに違和感を抱いてしまう。当時は、学生服を着て「反体制運動」をしていたのか、あるいは、三島との対決のこの日は、彼にとって「聖なる場」であったということなのか?彼が、思わず「三島先生」と言ってしまうのも、この討論を本で読んだ際に記憶が残っている部分である。もう一人の学生の質問に続き、小さな赤ん坊を抱いた長髪男(後にインタビューでも登場する芥正彦氏)との議論が始まる。自己と他者との関係性を巡る抽象的な議論であるが、まずは、赤ん坊のすぐ横で、三島と共に煙草を吸いまくる様子に、討論内容以前に驚いてしまう。この映画のサイトで、投稿者の一人が、「この子供は生きていれば50歳過ぎであるが、(子供の頃からあれだけの間接喫煙をしていて)今どうなっているか知りたい。」と書いていたが、確かに時代を感じる一コマである。芥氏と三島の討論は、上述のとおりの抽象的な議論であるが、芥氏の「あなたは日本人を越えられない。」という問いかけに、三島が「それで良いのだ」と答えるところでは、そもそも当時の彼らの国際感覚というのはどのようなものだったのだろうか、と考えてしまう。三島は、少なくとも取材や観光を通じて何がしかの海外経験を持っていた(ギリシャ旅行記の「アポロンの杯」等)を持っていたと思われるが、芥氏は間違いなくそうした経験はなかったと思う。そうした彼が、「日本人を捨てられるか?」という問いを発することがやや滑稽に思われる。その後彼は、それなりに滔々と自身の考えを述べるが、現代の感覚から見ると、やや意味不明の抽象論に留まっている。しかし、議論は、やはり彼らの共通の敵―それは対決を避ける妥協の政治と、その中で主体性を失った国家と社会―への反発で共感を深めていく。その他、何人かの学生も発言を行うが、結局、「三島を自決させる」までの対立はないまま、最後に、三島が「諸君とは政治的な立場は共有できないが、諸君の熱情は信じる」と言い残して、この討論は終了することになる。今から考えてみれば、結局、この討論会は、「学生が著名人を呼んで企画したイベント」であり、東大の学生も、政治的に徹底的に三島を叩きのめす、ということも控え、またTBSはメディアとして、この企画を支援したという、三方丸く収めたということになる。しかし、当時は、それが時代の中で、画期的な「イベント」であったことは間違いない。

 この討論会を素材にした映画を今制作・公開する意味は何か?確かに政治の時代は終わり、また現時点ではコロナの影響もあり、大学は当時の活気は微塵たりともない。そこで、50年前のこのイベントを改めて提示しても、それを見て社会に異議を申し立てる人間は出てこないであろう。討論の司会を行った木村氏は、卒業後地方公務員となり、72歳の現在、孝行爺のような雰囲気で、ノスタルジックに当時を語るのみである。赤ん坊に煙草の煙を吹きつけていた芥氏は、その後前衛劇団を主宰する等して、現在まで「アウトロー」で生き続けてきたので、依然その発言には重みはあるが、ただ彼が社会を変えられた訳ではなく、その意味では、「初志を曲げず、何とか現在まで生き延びた」に過ぎない。映画には、別に盾の会の残党3人も登場する(彼らの何人かは、討議の当日、万一の場合に備え、会場に待機していたという)が、彼らも今や70歳過ぎのおじさんたちであり、当時のギラギラした反共意識は感じられない。そして討論の幕間に挟まれる、平野啓一郎、橋爪大三郎、小熊英二、内田樹、瀬戸内寂聴といった小説家、評論家、学者等々のコメントは余り聞く意味はない。ウエッブでの投稿者の一人が書いている通り、この討論だけ、脚色・解説なしに一気に提示した方が説得力があっただろう、という意見に私は賛成である。もちろん、それでは「商業的な価値はない」ということになるのではあろうが・・。

 いずれにしろ、この作品は、私にとっては、40年ほど前までの学生時代の知的体験を喚起させるものであった。当初予定を20年以上も越えて、余計に人生を生きてしまった私にとって、これからの余りある時間は、それを改めて整理することで埋めていくことにしようと感じさせる映像作品であった。

鑑賞日:11月2日