アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
映画日誌
アジア映画
ガンディー
監督:R.アッテンボロー 
 1982年公開のリチャード・アッテンボロー監督による英国、インド、米国合作の映画で、翌年の第55回アカデミー賞で、作品賞やガンディーを演じたベン・キングズレーが主演男優賞を受賞している。まさにこの公開の年、私は初めての海外勤務でロンドンに着任、最初に宿泊したハイドパーク北側にあるベイズウォーターの街で、英国人以上に、インド人を含めた多種多様な人種の人間がうろついているのに目をぱちくりしていた時期である。当時この映画がロンドンで話題になっていた記憶はあるが、当然ながら現地で映画を観に行くような余裕などあるはずもなく、また1か月かけて探したアパートの大家もインド人であった等、現地のインド人社会との関係もそれなりにあったにも関わらず、結局現在に至るまでこの映画に接することはないままであった。

 しかし、ここのところ偶々ガンディーに関する本を2冊続けて読んだところで、この映画をどうしても観たくなった。近所のレンタル・ショップで探したが、既に40年前の作品ということもあり取り扱いがなかったが、その店の示唆もあり、川崎駅前のやや大きな店に行ったところ在庫があり、早速借りて見ることになった。3時間を超える大作であることから、恐らく当時ロンドンで見ていても、背景を含め十分な理解もなく、途中で寝てしまったのではないかと思われるが、その後の長い時間で、インドやガンディーは非常に身近な存在となっていたのに加え、現在は時間的な余裕もたっぷりあることから、暇な週末、のんびりとこの作品を楽しむことができた。

 映画は、1948年1月30日、かつて私もその現場を訪れたことがある、デリーのビルラー邸の祈りの会での、ヒンドゥ至上主義者による彼の暗殺と、その後の盛大な葬儀から始まり、一転若きインド人弁護士の南ア時代に遡る。ネット解説によると、「ロケ地では、(主演の)ベン・キングズレー自身の風貌があまりにも酷似していたため、周囲の住民は『ガンジーが生き返った』と思い込み、彼の元に参拝するものが後を絶たなかった」と書かれているが、ここではガンディーはスーツに身を包んだ普通のインド人エリートの風貌である。これが、その後一般に知られているあの風貌に変化していくところが、映画のメイクのすごいところである。そして、南アの列車内で、彼が一等車の切符を持っていたにも関わらず、英国人にそこから三等に移るよう要求され、それを拒否した彼が列車から放り出される、有名なエピソード(1993年)を皮切りに、映画はその後の彼の成長を追いかけていく。

 それから描かれる姿は、多くが本で読んだものである。アジア人登録法案に反対するための登録証焼却に際して、官憲の暴行を受けながらもそれに抵抗せず、それでも散乱した登録証を焼こうと試みる姿で、その後の彼の「非暴力」抵抗運動が示唆させる。またその後のアシュラム運動の走りとなる階層の差別をなくした共同農場設立では、妻の「便所掃除を指示された」という不平に、「それをやらないのであれば、ここを出ていけ」と翻意を促す。妻がそれに静かに従うあたりは、やや作り話的な感じも残るが、まあ良しとしよう。

 1915年のインド・ボンベイへの帰国時には、既に彼は有名人になっていたという想定で、港で多くの民衆から熱烈な歓迎を受けている。そして、その後彼と政策決定で強い関係を持つことになる、モスレム指導者ジンナーや、若きネールとの出会い等も描かれる。そしてガンディーはインドの実情を知るために各地を汽車で訪問するが、ここで写されるインドの農村や山岳風景は、恐らく今も残っている世界であろう。1919年の治安維持法制定に際しては、ジンナーやネルーの強硬姿勢に対し、「祈り」による事実上のゼネストという案を提示するが、この民衆運動が暴動になったことで心痛める彼がとった断食。これは、1922年の不服従運動でも、民衆の警察署襲撃による犠牲者の発生で、改めて断食により、民衆の自制を求めることになることになる。

 映画はこの時点で1時間半。インターバルということで、黒い画面に、映画の音楽監督を務めたラビ・シャンカールの懐かしいシタール音楽が流れるが、久々のこの楽器の音色が心に優しい。ただこの手の民族音楽は、短時間であれば心地良いが、長く聞いていると飽きがくるので、インターバルくらいが手頃な時間である。

 そして後半、山場は1930年の「塩行進」。英国による塩の専売権に対する抵抗を、独立運動の一環として展開したものであるが、380キロに渡る行進に際して、61歳のガンディーの足取りがいたく軽く描かれているのは、やや違和感を残したが、到着した海岸に多くに人々が集まる場面は壮観である。またその後、閉鎖された工場に入ろうとする労働者が、警備の兵隊に次々に暴行されながらも、無抵抗で進んでいくのも、やや誇張しすぎかな、というのが正直なところ。そして第二次大戦中の逮捕収監された刑務所での、妻の死去を経て、映画は大戦後のヒンドゥとモスレムの分裂に移っていく。

 ジンナーやネルーとの会議で、両者の分裂を回避するため、ジンナーに、独立後の内閣をモスレム主導とすることを提案するが、ネルーらヒンドゥ側の反対で却下される。そして両国がそれぞれ独立し、国境での双方向に進む避難民の群れと、そこでの騒乱、そしてインド各地での両者の殺し合いが続く。ガンディーは、特にそれが激しかったカルカッタに赴き、断食で争いを止めるよう促す。ここで、ガンディーを見舞いに来たネルーが、「ガンディーを殺せ」と叫んだヒンドゥ民衆に、「言ったのは誰だ。ガンディーの前に私を殺せ」という場面や、それを受け入れるヒンドゥ過激派の一人が、「私はモスレムの子供を殺したので地獄に行く。しかしそれは彼らが私の子供を殺したからだ。」と言ったのに対し、断食で衰弱したガンディーが、「それでは同じ年頃の親を亡くしたモスレムの子供を引き取り、モスレムとして育てなさい」と諭す場面は、感動的ではあるが、やや演出過剰か。そして暴動が沈静化した後、デリーに戻ったガンディーの祈りの場での、冒頭と同じ暗殺画面に戻り、そして彼の遺灰がガンジス川に撒かれるところでこの大作が終わることになる。因みに、彼の遺灰は、遺言により世界各地のインド人所縁の地で撒かれ、シンガポールの当時の外航船の港であったコリエール・キーでも散布され、多くのインド人が集まったと言われている。
繰り返しになるが、ベン・キングスレーという一人の俳優が、少壮弁護士から晩年の姿まで演じている映画のメイクには驚くばかりである。ネットの解説によると、「当初、ガンジー役にベン・キングズレーが起用された際には、彼がイギリス人であることに反発の声が上がったが、キングズレー自身がインド人の血を引いていることがわかり、一応の解決を見た。」とのことであるが、それを知らずに観れば、ガンディー役は「インド人」が演じており、むしろ上記のとおり、青年期から老年まで一人で演じきれていることの方が驚きである。その他の俳優で、私が認知できたのは、アメリカ人雑誌記者として晩年のガンディーを取材するキャンディス・バーゲンくらいで、英国植民地関係者も、最後の提督マウントバッテンを含め、私は知らない俳優たちが演じていた。恐らくそうした俳優も当時の英国映画界のそれなりの人々を使っているのだろう。
俳優陣を別にすると、インド近現代の姿をガンディーの生涯を通して映像化した業績は、とても40年前の作品とは思えない。あえて言ってしまえば、特殊技術の使用等は、その後の映画で大きな進歩はあるとは言え、こうした正統派の歴史映画の作品ということであると、最近ではあまり観るべきものがないような気がしており、その意味では、40年の歳月を過ぎても、この作品はその輝きを維持していると言える。他方で、ガンディー本を読んだ頭には、映画では、彼の思想やそれに基づく発言がやや「パターン化」しているという傾向も否定することはできない。恐らく彼はもっと人間的な側面も多く有し、挫折に苦しみ、あるいは本で書かれているように家族関係でも悩んでいたことがあったと思うが、そうした姿は映画ではほとんど描かれていない。そして、最近読んだガンディー本の書評でも記したとおり、インド(そしてパキスタンやバングラデッシュも)は現在に至るまで、この時代にガンディーが直面し、苦しんだ各種の社会問題から解放されている訳ではない。その点で、現代インドを視覚的に理解することができるので、映画としての歴史的価値は高いが、そこでのガンディーの偶像に対するタブーには切り込むには至らなかった作品であるというのが正直な印象である。

 尚、偶々、この映画を観た25日夕刻(日本時間26日午前)、第93回米アカデミー賞の授賞式が開かれた。最高の栄誉である作品賞は米映画「ノマドランド」が受賞し、中国出身のクロエ・ジャオは同作品で監督賞を獲得した。助演女優賞は米映画「ミナリ」で、ユン・ヨジョンが韓国人俳優として初めて受賞。アジア系の女性2人がアカデミー賞を獲得する歴史的な授賞式になった。また「ノマドランド」では、フランシス・マクドーマンドが主演女優賞を受賞している。

 監督賞を受賞したジャオは中国出身。米国の高校や大学に通い、米国で活動している。女性監督が同賞を受賞するのは2010年のキャスリン・ビグロー以来、アジア系の女性監督の受賞は初めてとのことである。また、ジャオ監督は、かつて中国に批判的な発言を行ったということで、今回の受賞に関する報道は、ネットを含めて中国国内では一切ないことも、昨今の米中対立の激化の中で話題となっている。「ガンディー」のアカデミー賞受賞から40年弱。偶々同じタイミングでのニュースであった。この映画も機会があれば観てみようと思う。

鑑賞日:2021年4月25日