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アジア映画
ブンミおじさんの森
監督:アピチャッポン・ウィーラセタポン 
 先に読み終えた「東南アジアを知るための50章」で、地域の映画作品として紹介されていた一作。近所のレンタル店には在庫がなかったが、「ガンディー」と同様、川崎駅前の大きな店で借りることができ、早速観ることになった。タイ語の映画で、監督もタイ人のアピチャッポン・ウィーラセタポンであるが、制作国には、タイに加え、英国、フランス、ドイツ、スペインも入っているのはどのような理由によるのだろう。前述の本で、「2010年のカンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールを受賞した」と紹介されている作品である。

 ネットでのいくつかの評でも書かれているが、シュールな雰囲気を持った作品である。薄暗い畑から森を彷徨する水牛、そしてそれを森から連れ戻す男の静かな映像と共に映画が始まる。そしてタイ北部の、懐かしい農村地帯を進む車。後ほど、そこがラオス国境に近い北部タイであることが知らされる。そこに乗っているのは、農場を経営するブンミで、同乗しているのは、19年前に42歳で死んだ死んだ彼の妻フェイの妹ジェンと甥のトン。ブンミは内臓の病気で、農場で働くラオス出身の若者ジャーイの手助けで透析を行っている。彼がジェンを呼び寄せたのは、自分の死期が近いことを知り、農場の経営を、街に住むジェンに任せることを頼むためである。ジェンやトンとの夕食に、死んだ妻フェイや、その6年後、森で行方不明となった息子ブンソンの猿となった精霊が現れる。ブンソンは、猿の精霊を追いかけているうちに、その世界に入ることにしたが、今仲間がここに集まっているという。ブンミは、「それは私の死期が近いからか?」と聞くが、ジェンは「そんなことは言わないで」と答えている。彼らを前に、ブンミは、昔の写真を回しながら、彼らとの生活を回想する。そして夜が明け、ブンミはジェンを農場に案内し、そこでのタマリンド栽培や、養蜂業を説明する。そしてそれを引継いでくれるようジェンにお願いしながら、「自分の身体が弱くなったのは、若い頃森で多くの共産党員を殺した報いからだ」と語っている。それを聞きながら、既に歳も取り、足も若干不自由なジェンは初めはあまり乗り気ではなかったものの考えこんでいる。

 ここで、突然、王女と称する女が、森の中の滝に到着し、召使いと思われる若い男と触れ合った後、一人となり、ナマズの精霊と言葉を交わす場面となる。その後彼女は、「私を美しくしておくれ」と呟きながら滝つぼの水の中に入り、ナマズに身を任せることになるが、この場面が挿入されるのは何故?

 再びブンミたち。末期に近い彼は、フェイの精霊の助けで透析を受けている。フェイと抱き合いながら、「私は死んだ後、どうやって君に会えるのだ」と聞くが、フェイは、「精霊はどこにも居場所はなく、人に執着しているだけよ」と答えている。そしてブンミは、ジェンに遺品を渡しながら「行く時が来た」と言い、フェイとも連れ添ってジェンやトンを森の奥にある洞窟に案内する。その神秘的な暗闇の中で、ブンミが、「タイムマシンで未来に行ってきた。そこでは独裁者が支配している。私は逃げ出したが、どこに行くのか分からないまま、私は消滅した」と呟く中、フェイの亡霊がブンミの透析を外し、彼は息絶える。ブンソンら猿の精霊たちが、遠くからブンミの最期を静かに眺めている。

 ジェンと僧俗衣装に身を包んだトンが取り仕切るブンミの葬儀。葬儀後、ジェンと彼女の若い娘が、ホテルの一室で祝儀の計算を行っているところに、寺では一人で寝付けなかったトンが訪れる。彼はそこででシャワーを浴び、ジーパンとシャツの普通の衣服に着替え、ジェンと食事に出るが、その時、ホテルに残り、未来の独裁政権と思われるテレビ・ニュースに見入るもう一組のジェンと娘、そしてトンがいるのである。タイの現代歌謡が流れる店にいる二人。同時にホテルに残ったもう一組のジェン、トンそして娘は、無表情のまま、テレビを見続けているところで、映画は終わることになる。この映画はある寺の僧が書いた「前世を思い出せる男」という小説に着想され制作された、というルビが最後に流れている。

 突っ込み所は多い映画である。まず最大の疑問は、上記のとおり、半ばに挿入されている「ナマズと交歓する王女」の意味合い。少なくとも、ブンミたちの生活とは全く関係ない挿話である。あえて解釈すれば、森の精霊にはナマズも含まれる、と言ったところだろうが、それでも、2回観た後も、その前後との脈絡は全く分からないままであった。

 またブンミの葬儀後の、ジェンやトンが二組に分かれて描かれている最後の場面の意味も曖昧なままである。ホテルでテレビに見入る一組とカラオケ屋で現代歌謡に聞き入るもう一組。それが前世、現在、未来を示唆しているとは、とても思えない。そして何よりも、「前世を思い出せる男」というルビにも関わらず、ブンミの回想や精霊は、死後の世界への架け橋であり、彼らの前世が示唆されているとはとても思えない。

 そんなことで、なかなか理解に苦しむ映画であるが、少なくともタイ、あるいは東南アジアの田舎を何度か訪れた私にとっては、そこで写される田園と森の風景はたいへん懐かしいものであった。もちろんそこには戦後、共産ゲリラと反共政府軍との殺し合いが行われたという悲惨な歴史もあるが、それはこの作品では必ずしも中心的な意味は持っていない。その意味で、アジアの森に宿る精霊信仰という「アジア的世界」を、人生の末期と重ねながら、静かに描いた作品として観ることができる。そんなところが、カンヌでの評価に繋がったのだろうと勝手に解釈することにしたのである。

鑑賞日:2021年5月2日