アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
映画日誌
アジア映画
インビジブル・ウェーブ
監督:ベンエーグ・ラッタナルアーン 
 この前日に観た「地球で最後のふたり」と同様、監督ベンエーグ・ラッタナルアーン/撮影監督クリストファー・ドイルと主演浅野忠信のトリオで制作された、2007年の作品である。その後第56回ベルリン国際映画祭に出品されたということであるが、こちらは受賞には至らなかったようである。「地球で最後・・」の評で、「その続編」といったことを書いたが、監督/撮影監督と主演のトリオを除けば、全く別の作品で、カテゴリーとしても、前作が「ラブ・ロマンス」とされているが、こちらは「スリラー」として紹介されている。舞台は、香港とタイはプーケットである。

 今回浅野が演じるのは、キョウジという香港のレストランのシェフ。冒頭に映される、キョウジと日本人の女との情事と、その女の裸の死体処理の意味がよく分からないまま、彼が、レストランのボス(トゥーン・ヒランヤサップ)から休暇を命じられ、香港からプーケット行きの船に乗り、映画が進んでいく。その船の中で知り合った赤子連れのアジア系の女性ノイ(カン・ヘジョンー韓国の有名女優のようである)。そしてプーケットに到着しノイと別れた後、実は香港では、キョウジがレストランのボスの妻と情事を重ねた後、彼の意向でその女を殺し、プーケットに逃亡してきたことが分かる。キョウジは、プーケットの安ホテルで強盗に襲われ無一文になったこともあり、現地にいる(実際には、香港から同じ船に乗り、彼の監視を指示されていたようである)ボスの配下の日本人男「リザード」の支援を得ることになる。しかしその後キョウジは(恐らく「リザード」が、キョウジとノイの逢瀬を目撃したことで)「リザード」に雇われた現地の殺し屋により葬り去られそうになる。何とか助かり、再び香港に戻ったキョウジは、ボスへの復讐に臨む。しかし、そのボスが再婚しようとしていたのは、船で出会ったノイであった。彼女の幸せを望み、ボスに対する復讐を思い留まるキョウジ。そして自らを消すべく、プーケットでも彼を監視し、一度は殺そうとした「リザード」(何故かこの最後のシーンでは、「リザード」は、スーツにネクタイという姿である)に、自分を銃で撃つことを依頼するのである。

 前作「地球で最後・・」でも感じたが、この監督/撮影監督の映像は、全体的に場面の展開がゆっくりしており、一場面の長い画像が続くなど、気の短い私からすると、早く展開しろよ、と突っ込みを入れたくなる。このあたりは、タイ人の時間間隔と私の違いなのだろうか?また香港からプーケットへの船の中で、キョウジがキャビンの部屋に閉じ込められたり、学校時代の学友という男に付きまとわれたり、あるいはバーの日本人バーテンダーとの会話など、話の展開の中で持つ意味が不明であると感じさせるところも数多い。ネットの評の中には、プーケットのホテルでの強盗被害を含め、こうしたキョウジが遭遇するトラブルや何気ない出会いが、人生の方向性を見失い彷徨うキョウジを待つ不条理な運命を、ロードムービー的に描いたものであるというコメントもあったが、正直私にとっては無駄な場面であった。こうした点で、「地球で最後・・」は、そうした映画のリズムが、主人公二人の心の進み具合とそれなりに適合していたが、こちらでは、物語を単に冗長にしてしまったように感じてしまった。背景として使われている香港やプーケットは、香港のスター・フェリーやヴィクトリア・ピークのケーブルカー、あるいはプーケットの高級リゾート・ホテルのプールを除くと、それぞれの裏町が主体であった。それはそれで趣きはあるが、これらの街を知らない人たちには、こうした街がそうした裏町だけのような印象を与えてしまうのはどうかな、という懸念も抱かざるを得なかった。また、前作でもそうであったが、この撮影監督のドイルは、至る所で、登場人物の足元だけしばらくアップで撮影するというのが目についた。これも独特の発想なのだろうが、私にとってはあまり意味が分からない演出であった。

 そんなことで、この2作は、浅野演じる孤独な男の「虚無感」を描いたものであることは理解できたが、私の期待にはやや届かなかった感がある。取り合えず、今回3本続けて観たアジア(タイ)映画は、取り合えずこれで一服ということであるが、これらの作品から既に10年以上の月日が流れた中、タイや東南アジア映画の現在がどうなっているか、機会があれば追いかけてみたいものである。

鑑賞日:2021年5月9日