ザ・ケーブ
監督:トム・ウォーラー
言うまでもなく、2018年6月に起こった、タイ北部チェンライ県のミャンマー国境に近い洞窟(ナーンノーン山中のタムルアン洞窟)に閉じ込められた地元サッカークラブの少年13人の救出事件を映画化した作品で、日本では2020年11月に劇場公開されている。タイ・アイルランド合作で、監督はトム・ウォーラー。映画には、実際に救出に協力したダイバーたちも本人役として出演しているという。
この事件は、私のシンガポール滞在時にアセアン地域内で発生したものとして、今でも記憶に残っている。タイの6月というと、既に雨期に入っている時期にあたるが、この地域の雨期の豪雨については、個人的にも、この国で何度も体験している。シンガポールの雨もそうであるが、それは、日本の「豪雨」とは比較にならないくらい激しい。その雨期の始まりに近い時期に洞窟に閉じ込められた少年たちの救出は、時間との競争であったことは、その時の報道でも盛んに言われていた。
少年たちの救出のため、タイ政府により国際的な支援が要請されたこと、そして在タイ日本大使館を通じて日本への支援要請も行われ、当時、当地の科学技術グループとして私も親しくしていた機関も、いくつかの提案を行ったことを聞いていた。例えば、ある宇宙開発機関は、その衛星写真技術を使い、山脈中の地盤が柔らかい部分を探し、そこに救出用トンネルを掘削するという提案を行ったり、またある国立大学は、少年たちの捜索のため、開発中の災害用ヘビ型のロボットの提供を申し出た、という話も聞いたものである。ただ最終的には、ダイバーによる水中を通しての救出が行われ、遭難から18日を経て、13人の少年たちが無事救出された時には、奇跡的な出来事として世界に発信されることになった。しかし、実際の現場では、その時には想像することもできなかったような救出劇が行われていた。この作品で、その一端に触れることが出来たのであった。
国際的な救出隊が組織されたということは聞いていたが、映画の冒頭で、沖縄は嘉手納に駐屯する米軍部隊が出動したことが語られる。そしてタイ政府とその米軍部隊の指揮の下で、地元に加え、英、米、カナダ、アイルランド、フィンランド(そして中国からの飛込も)等の洞窟専門ダイバーが招集されることになる。しかし、先ずは増水して流れも激しくなっている洞窟内の水流を少しでも下げる必要があった。そのためのターボ排水機が調達されるが、そこから排水された水で、近隣の稲作畑が水浸しとなったという。映画の終盤で、被害を受けた農家が、その賠償金を子供の救出に使ってくれと言い、受取りを拒否する場面等も注入されている。また少年たちの救出を祈る僧侶の祈りの儀式やタイ伝統舞踏が、洞窟近辺で行われていたことも描かれているが、これは「この機会にタイ伝統文化も伝えたい」というご愛敬として、あまり突っ込むのは控えておこう。
何よりも、この映画の醍醐味は、ダイバーたちの洞窟内でのリアルな救出劇である。実際、潜水の経験が全くない少年たちを、ダイバーたちがどのように水中を通して救出したのか、というのは、現在に至るまでの私にとっての疑問であった。当初の捜索過程で、専門ダイバー一人が犠牲になる等、単独での潜水も危険が満ちている環境下で、子供とは言え、パニックを起こす素人を連れてということになると、その専門ダイバー自身の危険度もとてつもなく増大することは言うまでもない。その危険を少しでも減らすため、ここで取られたのは、少年たちに鎮静剤を撃ち、ほとんど眠らせた状態にした上で、特殊な潜水マスクを着け、ダイバーが1キロ以上ある水中を移送する作戦であった。しかし、年長の少年の場合は、途中で意識が目覚めかけ、ダイバーたちを危険に晒しかけたことも描かれている。更なる降雨で水量が増す前に実行されたことを含め、まさにこれが、紙一重の救出劇であったことを、映画は巧みに映像化している。
この救出劇から一年ちょっと経った2019年8月、私が、勤務先の小さな展示で参加した定例のタイ科学技術博覧会では、この救出劇をテーマにしたブースが設けられていた。そこでは救出時の実際の映像やダイバーが使った道具、そして例えばテスラのE.マスクが提供したが、実際には使われなかった小型潜水艇等も展示されていた。そしてそのブースには、この救出劇を描いた映画も制作されていることも表示されていた。それから約2年、ようやくこの作品を観ることができた。その後の新型コロナの感染拡大で、翌年以降、この博覧会も開催さず、またこの事件も世の中から忘れられつつあるが、こうしてこれを扱った映画を観ることで、事件そのものに加え、私も何度か訪れたこの地方の息吹を、改めて感じることができた。事件の余韻が落ち着いたら、「乾季」にこの洞窟を訪れてみたい、と考えていたことも含めて・・。
鑑賞日:2021年6月5日