夕霧花園
監督:トム・リン
コロナ感染が拡大し、政府からは不要不急の外出は極力控えるようにとのメッセージが繰り返されているが、お盆時期で、定例のスポーツ・クラブが休みとなったこともあり、久々に「県境」を越えて、渋谷の映画館に出かけて行った。お目当ては、2020年制作のマレーシア映画「夕霧花園(ゆうぎりかえんーThe Garden of Evening Mists)」。原作は、マレーシアのタン・トゥアネンという作家の小説で、監督は台湾出身のトム・リン(林書字)、ヒロインはマレーシア出身で台湾、香港で活躍するリー・シンジエ(但し1980年代の彼女は、シルヴィア・チャンという台湾女優が演じる)、彼女の恋人相手となる日本人を阿部寛が演じている。キャメロン・ハイランドを舞台に、1941年以降の日本軍による占領とそこでの残虐行為と終戦、そして終戦からしばらく経った1950年代初頭、そしてそれから約30年が過ぎた1980年代のある時期という3つの時期を交錯させながら、そこで出会った二人の不可思議な恋愛関係を、夫々の時期の政治情勢も重ねながら描いている。
1980年代、マレーシアの法廷判事となっているユンリンが、キャメロン・ハイランドを訪れる。そこは、かつての日本軍占領時、妹と共に日本軍による強制労働に駆り出され、妹は日本軍関係者の慰安婦となる辱めを受けた上で、日本の敗戦と共に、証拠隠滅のため洞窟で爆殺された場所である。辛うじてその虐殺から逃れたユンリンは、終戦後、日本軍の戦犯の裁判に関与し、そこで日本軍人の処刑にも立ち会っている。そして、そこで1950年代初頭に出会い愛し合った日本人庭師中村有朋の旧宅を訪れるが、それは中村が、日本の占領時、司令官であった山下が略奪した財宝に関わる秘密を握っていたスパイではないか、という疑惑を晴らす調査のためであった。
その1950年代初頭の二人の出会いは、日本軍に殺された妹が夢見ていた日本庭園を実現するため、ユンリンが中村を訪ねたことで始まる。キャメロン・ハイランドの日本風住居に住む中村はそこに日本庭園を造っていた。自分の持つクアラルンプールの土地に庭園を造って欲しいというユンリンの依頼を中村は拒絶するが、彼女を見習いとして自分の敷地での庭園作りに参加させる。そして気難しい中村の指揮の下で、地元の屈強な男たちと岩運びなどの重労働に参加しながら、中村との関係が強まっていく。そしてある日、中村から、彼女の背中に入れ墨を掘りたいという望みを聞かされ、それを受け入れた彼女と中村は、入れ墨の完成と共に恋人関係になるのである。その間、中村やユンリンたちは、侵入した共産党ゲリラに拉致され、財宝の在りかを白状するよう脅迫されるが、中村は知らぬ存ぜぬを貫くことになる。そして、庭園が完成した後のある朝、中村は朝の散歩に行くと言い家を出た後、戻らぬ人となるのである。
そして1990年代、中村の住まいの廃墟で家探しをするユンリン。その時、彼女は、かつて重労働の末配置したいくつかの石が、時の経過と共に、延びた雑草の中から正確な正方形を示していることに気が付き、それが彼が自分の背中に彫った入れ墨と関連していることを知る。そしてそこには、妹が殺された収容所と、そして隠されているであろう山下財宝の在りかも示されていたのであった。中村は、全て知っていた。そしてそれをユンリンの背中にひそかに残していたのである。
ということで、マレーシアの戦中・戦後史とそこに残された伝説を重ねながら進むロマンスは感動的な結末を迎えることになる。日本軍に強制徴用される娘の悲惨な姿から、終戦直後、妹への一途な自責の念から中村に接近し、そこで恋に落ちるユンリンを演じているリー・シンジエは、なかなか魅力的である。また1980年代の彼女を演じたシルヴィア・チャンは、確かにリーの面影を残しているので、全く自然に感情移入できる。阿部寛は、謎の庭師をクールに演じているが、何よりもほとんど全編英語で演じているのには感心させられた。恐らくこれまでも、こうした外国制作の英語映画での経験を積んできたのであろう。
舞台となっているキャメロン・ハイランドは、結局私は訪れる機会がなかったが、そこに広がる茶畑や朝晩の霧に包まれた雄大な景観は、いろいろな機会に聞かされていたものである。この地は、言うまでもなく、1967年3月、タイの「シルク王」ジム・トンプソンが、知人の別荘を出た後、忽然と姿を消し、懸命の捜査にもかかわらず、結局そのまま消息を絶ったことでも知られている。この事件は松本清張の「熱い絹」(別掲)で取り上げられており、身代金目的の営利誘拐、諜報活動絡みの誘拐と暗殺、単なるジャングルでの遭難から地元住民による殺害など様々な失踪理由が取りざたされたが、真相は今に至るまで闇に包まれている。この映画での中村の失踪(廃墟に残された彼のパスポートによると、彼はマレーシアから出国していない)も、間違いなくこのジム・トンプソンの事件を模倣してるのだろう。今回の失踪者は、「英国人のスパイ」ではなく、「日本人のスパイ」となったのである。
大戦中の日本軍による横暴、虐殺などの描写と、他方での日本庭園やそれに関連する日本文化への愛着という愛憎共存を重ねる日本の描き方は、監督自身の日本観を示しているようにも思われる。ただ、ユンリンを含めたマレーシア人たちは、中村の庭の肉体労働者を除くと、ほとんどが華人であり、マレー系は登場しないことから、この負の側面は、あくまで華人の立場から見た日本軍の姿であるということも忘れてはならないだろう。しかし、それを差し引いても、たいへん見ごたえがあり、政府による外出自粛を無視して観に行く価値のある作品であった。
鑑賞日:2021年8月13日