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アジア映画
タクシー運転手
監督:チャン・フン 
 朝日新聞元ソウル支局長による韓国報告の新書で紹介されていた2017年(日本では2018年)公開の作品で、1980年5月の光州事件を舞台に、実在した韓国人タクシー運転手とドイツ人記者の命懸けの事件取材とその後を描いている。監督はチャン・フン、主人公の韓国人タクシー運転手を、「韓国の国民的俳優」と呼ばれるソン・ガンホが演じている。

 時は1980年5月、妻を病気で亡くしたソウルの個人タクシー運転手のキム(ソン・ガンホ)は、11歳の娘と二人暮らしであるが、生活は、借家の家賃を滞納するなど楽ではない。その時、外国人を乗せて光州まで連れて行く仕事で10万ウォンという大金が支払われるという、大手タクシー会社の運転手の会話を盗み聞きし、先にその客の待つ場所に行き、「自分が呼ばれたタクシーである」とし、その外国人を乗せ光州に向かう。その外国人は、ドイツ人記者(俳優はトーマス・クレッチマン)で、彼は噂が広まっていた光州での大規模な反政府運動を取材するために、日本経由で韓国を訪れたのであった。二人は、キムのおんぼろタクシーで、光州に向かうが、そこに行く高速道路は既に軍により封鎖されていた。そこに行かなければ金は払わない、という記者の押しに負けたキムは、村人に教えてもらった狭い側道を使い、またそこも封鎖していた僅かな数の兵士を何とか誤魔化し光州に入るが、そこでは軍が市民に発砲する悲惨な事件が勃発していた。それをビデオに収める記者と怯えながらも金欲しさに彼に従うキム。しかし、ソウルに残した娘への電話もできず、事件に怯えるキムは、記者を残しソウルに戻りかけるが、その途上で気持ちを翻し、再び光州に戻り、記者を探す。再会した二人は、激化する軍部の弾圧の中で、私服の軍人などにも追われながらも、何とか苦境を乗り越え、最後は光州で知り合ったタクシー運転手仲間の助けも借りて追っ手をかわしソウルに帰還するのである。そして韓国を脱出した記者は、そこでの取材ビデオを公開し、事件は世界に知られることになる。その後、2003年ドイツ人記者は、その時の取材を含めた韓国での報道で賞を受け、ソウルで講演するが、そこで、光州事件の際、空港で再会を期してキムから貰った連絡先が繋がらず、結局その運転手とは再会することがなかったことを語る。その講演の新聞記事を読むキムは、それを受けて名乗り出ることをしない。そしてそのドイツ人記者は2016年に逝去したというルビで映画は終わることになる。

 前述した朝日新聞記者は、チャン監督を訪問し、この作品の裏話等を紹介している。それによると、まずチャンは、この光州事件を描くにあたって、「事件を実際に体験したことのない自分の負担感を、2人の『外部の人間』の視点から描くことで乗り切ろうとした」、そしてキムについても単純な善人ではなく「人間味のあるキャラクターにしたかった」と語っているという。朝日新聞の記者も、得てして軍部=悪、民衆=善という単純な構図で受け止められるこうした素材について、最後の脱出場面で「運転手と記者の正体に気づきながら(検問を)通過させた兵士」を描く等の監督の配慮についてコメントしている。またチャンは、「朴政権時代、政権を刺激することを懸念し(主演のソン・ガンホは、朴政権が作成した「政府の政策に協力的でない文化人」の「ブラックリスト」に名前が載っているという)、映画の広報も控えめにした」という。そして「映画がほぼ完成した2016年秋、疑惑を持たれた朴政権が国民に謝罪し、世の中の雰囲気が大きくが変わったこと」もあり、この映画は韓国では1200万人以上の観客を動員するヒット作品になったということである。また左派政権によるこの映画の政治利用についても、文政権は、「光州事件の真相をあばく」と息巻いているが、「韓国では光州事件を巡り、弾圧された進歩系の人々はもちろん、同胞に銃を向けた保守系の人々も心に傷を負っている」。これが双方に配慮した作品になっていることも、この映画が一般聴衆に受け入れられた理由ではないかとしている。

 ということであるが、個人的には結構突っ込みどころも多い作品である。最も違和感を感じるのは、最後の光州及び韓国からの脱出に向けての当局の追跡を逃れた経緯である。映画では光州市内の廃墟での追跡や最後の高速道路でのカーチェース等、「娯楽的アクション」を多分に入れ込んでいるが、実際には、これほど外部と遮断されている街での西欧人記者の取材は大きく目立ったと思われるので、彼を追跡する当局は、映画で描かれているように無能ではなく、むしろドイツ人記者の取材が、映画で描かれているような姿よりももっと控えめであったのではないか、と想像される(それでも少しの映像でも真実を伝えるには十分である)。また一旦ドイツ人記者を残してソウルに帰るとしてもめる場面で、キムが「金はいらない」と叩きつけるのも、韓国人の「人間味」を出すためだったとは言え、やや非現実的である。

 ただそうした突っ込みどころを除いても、街頭デモやそれを弾圧する軍の攻撃、あるいは被害者たちが運び込まれる病院等の場面は、本物のフィルムを使ったのかと思われる程リアルで強烈な印象を与える。こうしたシリアスな素材を扱いながらも、時として「喜劇的」に振る舞う、ソン・ガンホ演じるキャラクターも、個人的にはやや違和感はあるが、韓国人の共感を誘ったのであろう。

 またネットによると、キムとドイツ人記者は再会を果たせなかったが、この映画の封切り後、彼の息子(映画では、キムの家族は一人娘だけであったが)が名乗り出て、既に1984年に亡くなった父が、映画とは異なる人物であったことを証言したという。最も映画と異なる点は、当初の二人の出会いで、それはキムが他の運転手の顧客を奪ったのではなく、元々関りのあった反政府運動=民主派との繋がりの中で計画的に参加した仕事であったということである。

 ということで、この韓国戦後史の中でも最も悲惨と言われるこの光州事件を大衆映画として描いたチャン監督と主演の二人の力量には惜しみない拍手を送りたい。同じような市街地での大衆運動弾圧事件である中国天安門事件が、それなりの映画表現となり提示される時代はくるのだろうか、と考えざるを得ない。因みに、この映画は、香港では公開された(本土による民主派弾圧が強まった今は、もう公開の場で上映されることはないであろう・・)が、中国では人々の目に触れることはないという。

鑑賞日:2021年9月19日