声もなく
監督:ホン・ウィジョン
そして前作と同様、ユ・アインが主役を演じている2022年1月公開の最新作「声もなく」を続けて観ることになった。監督はホン・ウィジョンという女性(新人監督とのこと)で、ここでユ・アインが演じるのは、犯罪組織の下請けで、死体処理や誘拐幇助で生計を立てている、(喉に問題があり)口の利けない、そして恐らくは知恵遅れの青年。「国家の破産する日」で演じた野心的な金融マンとは決定的に異なる、そして雰囲気的には「バーニング」で演じた内気な小説家志望の青年に近いが、それ以上に難しい障害を持つ下層民という、全く新しいキャラクターに挑戦している。ネットの解説によると、「2021年・第41回青龍賞で主演男優賞、新人監督賞を受賞、第57回百想芸術大賞では映画部門男性最優秀賞、監督賞を受賞。アジア・フィルム・アワードでも主演男優賞、新人監督賞を受賞するなど韓国映画界を座巻する快挙を果した」ということである。
テイン(ユ・アイン)は、親代わりの相棒で、足が不自由なチャンボク(ユ・ジェミョン)と共に、小型トラックでの卵の移動販売をしているが、実は裏では犯罪組織の依頼を受けて、彼らが殺した人間の死体処理等を行いながら生計を立てている。そこでは、彼らに仕事を依頼したボスが、次の機会には殺され、テインらに土に埋められている。そんな二人が、ある日犯罪組織から受けたのは、保育園に一人取り残されていた女の子チョヒ(ムン・ソンア)を「預かれ」という指示。実はチョヒは、犯罪組織が身代金目当てで誘拐したのであるが、もともとは男の子を誘拐する予定が誤って女の子となったこと(そして、そのため、チョヒは、女の子の自分に、親が身代金を払ってくれるか心配している)で、交渉に時間がかかるということである。それを受けて、チャンボクは、テインに、「自分の家は人の出入りが多いので、お前が1日だけ預かれ」とチョヒを押し付けることになる。それからチャンボクの農村にある汚い小屋での奇妙な同棲生活が始まる。その小屋には、チャンボクの「妹」ムンジュも生活しており、そのムンジュはチョヒをお姉さんと慕うようになる。初めは「私は死ぬの?」と不安を隠せなかったチョヒであるが、次第にテインが悪人ではないことに気が付き、ムンジュと3人の生活に溶け込んでいく。そしてテインは、誘拐犯(元々誘拐を行ったボスが死に、別の誘拐専門の男たちが、その後始末を引き継いでいる)の指示を受け、チョヒに「身代金を払って」という親宛の手紙を書かせたりしているが、チョヒはほとんど遊び感覚でそれを書いている。またチャンボクが持ってきた不良品のポラロイド・カメラをチョヒが直して、親に送りつけるチョヒの写真を撮ったりしている。
犯罪組織は身代金の受け取りもチャンボクに押し付け、彼は市場の雑踏の中で、それが入った鞄を回収するが、緊張のあまり階段から転落し意識を失う(そしてその後彼は死んだことが明らかになる)。同じ頃、テインは、誘拐犯の指示でチョヒを彼らのアジトに送り届けるが、チョヒが想定したよりも年長であることについて文句を言われている。そしてテインは、他の誘拐された子供たちと一緒に移送される小型バスを襲い、チョヒを家に連れ戻すのである。ムンジュはお姉さんが帰ってきたことを喜んでいる。
それでもある晩、チョヒは、テインの留守に逃亡を試みる。帰宅したテインは、ムンジュから「かくれんぼをしていたらお姉ちゃんがいなくなった」と聞いて畑の中を追いかける。逃げるチョヒは、自転車で通りかかったおやじに助けを求めるが、「私は警官だ」といったその男を疑い、また逃げ出し、その後出会ったテインと家に戻る。しかし、その警察官の話を聞いた婦人警官がテインの家を訪れ、テインと格闘になり、そこで意識を失うことになるが、その婦人警官を土に埋める作業はチョヒも手伝っている。
車を奪われた誘拐犯一味は、「死んだ男(チャンボク)の家で話を聞いた」と言いながら、テインとチョヒを探して彼らの家に近づいている。しかしその頃テインは、チョヒを親元に返すことを決め、チョヒを学校まで送り届けている。誘拐犯の二人がテインの家に到着した時、ムンジュは一人で家にいるが、その子を連れ出そうとした誘拐犯は、土の中からでた指が動いているのに驚いている。婦人警官は死んでいなかったのである。そして婦人警官は誘拐犯の足を捕まえムンジュの連れ出しを妨害することになる。一方チョヒを学校に送り届けたテインは、教師から「誘拐犯だ」と叫ばれ、必死で逃亡する。逃げるテインをチョヒは心配顔で眺めるが、誘拐犯ではないとは言わない。そしてテインが、フラフラになりながら、川のほとりに辿り着くところで映画は終わることになる。ポラロイドに映された、テイン、チャンボク、チョヒ、そしてムンジュの4人の幸せそうな写真が短く挿入されることになる。
「バーニング 劇場版」以上に、理解の難しい映画である。そもそも、犯罪組織のための死体処理、という仕事があまりに非現実的である。そしてチョヒの誘拐についても、誘拐の経緯から、テインの小屋への移動、そしてテインとの同棲生活の始まり等、あまりに「普通」で、犯罪の香りが全くない。そして何よりも、その誘拐に関わる親や警察の動きが、(最後の婦人警官の訪問まで)全く描かれていないのが不自然である。もちろん制作者は、それが分かった上で、敢えて、こうした犯罪が何気なく行われ、そこでの被害者と加害者が、特別な関係になったという姿を描きたかったのかもしれない。そこで登場させたのが、犯罪組織の末端で汚い仕事をしながらも、根は優しい、口のきけないテインという存在であった。そのテインを、ユ・アインは、確かに絶妙に演じているとは言える。またチョヒ役の少女(ムン・ソンア)も、誘拐され、不安を持ちながらも、テインとその「妹」ムンジュとの同棲生活を楽しんでしまうという役柄を巧みに演じている。その意味では、この特別な状況を、出演者全員が、それらしく思わせる演技で支えている、とも言えそうである。
ただ、繰り返しになるが、やはり設定があまりに非現実的である。これが現実の韓国社会の一断片であるとすると、それは余りに社会として悲惨である。メイキング映像で、監督は「こうした悲惨な話をできる限り明るく表現したかった」と語っているが、その前に、本当にこうした世界があるかどうかが問われるのではないだろうか。
「バーニング 劇場版」とは別の意味で、見終わった後に残る爽快感や感動とは全く無縁の作品であった。
鑑賞日:2022年8月13日