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映画日誌
アジア映画
10年
監督:クオック・ション他 
 先日読んだ香港に関する新書で紹介されていた香港映画で、2015年、雨傘運動の翌年に公開され、翌年の「香港アカデミー賞」の最優秀作品賞を受賞したが、大陸では上映できなかった他、この賞の授賞式さえも放映は禁止されたという。

 異なる監督による5つの短編からなるオムニバス作品である。「10年」という題名が物語る通り、これが作成された2015年から10年を経た香港の姿をイメージさせる作品群で、当然ながら、大陸共産党政権の支配が強まる中、香港社会の自由や民主主義が制約されている様子が批判的に描かれることになる。

 第一話「エキストラ」は、白黒作品で、冒頭、女の写真を頭に付けた男を、銃を持った別の男が狙いをつけているところから始まる。どうも彼らはその女性の暗殺の準備をしているようである。彼らを動かしているのは「警視総監」。彼らは、「国家安全条例を施行するためには、市民を恐怖に陥れる必要があり、そのためには銃撃も必要だ」と嘯いている。ターゲットは、(反政府的と思われる)金民党の男党首と真愛連の女党首。二人の暗殺を請け負う男たちは、一人は移民インド人の若者と、別の中年の中国人。どちらが実行するかをコイントスで決めたりしているが、結局二人でターゲット二人を襲えと指示されることになる。そして「労働祭」の集会会場に入り、ターゲットを撃つことになるが、それは失敗し、二人とも逆に射殺される。

 当局が、闇社会を使って民主派勢力の暗殺を試みるが失敗する、という単純な話なのか、あるいはもっと深い含意があるのかは定かではない。やや中途半端な作品である。監督は、クオック・ジョン。

 それは第二話の「冬のセミ」と題された短編でも感じられる。「エディの家が重機で取り壊された。その家の痕跡を残すために、その残骸を標本にすることにした。」というコメントと共に、若い男と女が、それだけでなく、ステーキや石鹸等、身の回りの日常品も、次々に標本にしている。そしてその内、男が「心情を曲げたくないので、僕も標本にしろ」と女に告げ、緑色の物体を必死で食べ始める。倒れている男を見ながら女は部屋を出ていくのであるが、そこで意識を降り戻した男が、女を探して部屋を壊したり、それまでに蓄積した標本をぶちまけるのである。意味不明の作品で、これは何だ、という感じである。監督は、ウォン・フェイパン。

 第三話「方言」になると突然分かり易くなる。2025年の香港では、タクシー運転手の免許試験に中国標準語(普通語)が加わり、それに落ちた運転手は、空港や港では客を乗せることができない、そして将来的には香港島のビジネス街も含まれる可能性がある、とのルビが流れる。そして、その試験を通っていないタクシー運転手が、妻から子供には普通語で話してと言われ、それで息子の学校での普通語の試験結果が良くなったかと返している。しかし妻からは、「あなたも普通語を勉強しないと失業するから家庭教師を紹介するわ」と言われている。

 息子を学校に送り届けた運転手は、そこで女の客を得るが、その目的地を知らなかったことから音声でナビに入れようとしたところ、ナビが認識できず、客が普通語で入力することになる。町のカフェで、普通語ができる同僚からレッスンを受けている運転手は、「昔は英語を勉強すればすんだのに」と愚痴っているが、そこではウェイトレスへの広東語での注文が伝わらない。彼の車の窓には、「普通語は話せない」という表示が張ってあり、それで一旦乗車した客に断られたりしている。そして英語での外人客を乗せて着いたフェリーターミナルで、別の客に、広東語で乗せてくれ、と頼まれる。「ここは客引きが出来ないので、指定されたタクシー乗り場に行け」という運転手に、その客は、「そこでは広東語が通じないので、ここで乗せてくれ」と懇請され、乗せるが、それを別のタクシーに見咎められ、警官から高い罰金切符を切られるのである。監督は、ジェヴォンス・アウ。

 第四話「焼身自殺者」はもっと政治的である。1841年の清国による香港の英国への譲渡、1971年の台湾の国連追放、1984年の、英国と中国間での香港返還合意、1997年の返還と、歴史が表示された後、2047年の香港がどうなるかは分からない、と始まった後、2025年の香港での焼身自殺が報道されている。まだ自殺者の身元も動機も判明しない状態であるが、それが一週間前のオウヨンという、当局に抗議して焼身自殺した男への連帯を示すものであったという識者のコメントが映される。「ジャスミン革命(2010-11年にチュニジアで起こった民主化革命)も焼身自殺者の抗議から始まった」といったコメントが述べられている。そこに若いカップルが登場する。男は、焼身自殺した華人系のオウヨン、女のカレンはパキスタン系という設定であるが、カレンが、オウヨンに、「私だったら、協定違反をした英国に抗議するため英国領事館の前で昇進自殺するわ」と話している。因みに、このカレンは、インパキ系の特徴で、20歳前は結構可愛い。この連作映画では唯一の美形女優である。そのカレンは、「香港を国連の信託統治領にしろ」と主張しながらデモに参加して逮捕されている。また冒頭の自殺現場に合ったガソリン缶を売ったとして、その商店の男が警察の家宅捜索を受けて監視されている。反体制派と思しき識者による、オウヨンの焼身自殺が共産党に責任があるというインタビュー等が挿入され、あるインタビューは、途中で当局の介入があったかのように中断されたりしている。そして最後は、文革や天安門を知る世代であるという老婆が、総領事館前でガソリン缶を浴びて焼身自殺するところでこの作品が終わることになる。遺書のない焼身自殺は、オウヨンらのデモに参加していたこの老婆であることが示唆されるのである。監督はキウィ・チョウ。

 最後の第五作「地元産の卵」は、この映画を観るきっかけになった香港本でも詳しく取り上げられている。香港最後の養鶏場が閉鎖され、そこから卵を仕入れている商店主の男が、その養鶏場からの卵を「本地(地元)蛋」と表示して販売している。その店に、反政府的な言葉が表示されている事実を調べているとして、「地元」店主の息子を含めた数人の「少年団」の子供が訪れ、「本地」はその禁止用語だと店主の男に告げている。男は、その子供たちに、「それでは香港産はどうか?」と聞くが、それは良いと答えている。またその隣の本屋も少年団が訪れ、禁止漫画を打っているということで、シャッターに卵をぶつけられており、そこにも商店主の息子も参加している。息子に「自分の頭で考えろ」と説教をする男。それに対して息子は、「自分は卵はぶつけていない」と言い、本屋の店主も、彼から事前に禁止用語集が届けられ、「少年団」の襲撃を聞いていたので、シャッターを下ろすことが出来たと告げている。そして商店主は、本屋の男に、禁止本が置かれている秘密の部屋に案内され、そこで息子は「ドラえもん」に読みふけるのである。息子は「ドラえもんを禁止するなんてバカだよね」と呟くのである。監督は、ン・ガーリョン。

 そしてこの連作映画は「紀元前8世紀 預言者アモスの言葉」で締め括られる。「これは悪しき時代だ。善を求めよ 悪を求めるな。そうすればあなた方は生きることができる。もう手遅れだ。まだ間に合う。」と。

 2015年というと、まだ香港が「自由」であった時代であり、そこでこれが制作された後、香港の表現の自由は決定的に失われることになった。その意味では、2020年前後の最期の抵抗運動と同様、この作品も、香港の良き時代の最期を飾るものになったと思われる。2025年まであと2年という現在、映画で描かれた以上に香港の状況は厳しくなり、もはやこうした作品は生まれることは考えられない。そしてこの作品が紹介された香港本の著者と同様、共産党統治に批判的な香港人が、今後どのように主張の表現の場を見つけていくかは、大きな課題である。最近米国での中国当局による海外反体制派の動きへの諜報活動が報道されているが、例えばそれは日本でも例外ではないであろう。これらの作品の監督たちの名前を今後改めて耳にすることができるか、暗澹たる気持ちを抱かざるを得ない。

鑑賞日:2023年6月9日