ペパーミント・キャンディ
監督:イ・チャンドン
以前に、村上春樹原作の小説を映画化した「バーニング 劇場版」を観たが(別掲)、その監督であったイ・チャンドン監督の1999年制作の作品である。この前に観た「RRR」について話していた映画通の友人から薦められたものであるが、同監督の「バーニング 劇場版」が評判になったことで、リバイバル的にこの作品に注目が集まり、恐らくその友人もその脈絡で観たのであろう。
一人の男の20年に渡る人生の軌跡を描いた作品である。冒頭、「ピクニック 1999年」と題されたルビと共に、河川敷で、中年男女10人くらいの集団がピクニックに興じている様子が映される。そこに場違いな背広とネクタイ姿で突然現れた男が、グループの人々から「キム・ヨンホじゃないか。久し振りだな?」「この20年、何やってたんだ?」と歓迎されるが、彼は直ぐに奇矯な振舞を始め、川に飛び込んだ挙句、川を跨ぐ高架線の鉄道線路に入り込み、そして列車に向かって立ちはだかり、「帰りたい」と叫ぶ。そして映画は、そのキム(俳優は、ソル・ギョング)の20年の人生を遡ることになる。
「カメラ 3日前 1999年春」。「カリボン蜂友会」の20年振りのピクニックの連絡がラジオの連絡コーナーで流れるのを車で聞いているキムは、海岸の埠頭で、怪しげな取引に応じている。雨に打たれる車の中で、彼は持ち出したピストルを自分の頭や口に押し当て、絶望感を滲ませている。そして都会に戻った彼は、駐車場で男を襲ったり、その後駐車違反の嫌疑で警官の誰何を受け、逃げることになったりしながら、別れた妻と娘の自宅に向かうが、玄関口に出た元妻は、扉のチェーンを外さず、キムは隙間から愛犬ホッピを撫でることしかできない。そして粗末な自分のねぐらに帰った彼のところに男が訪ねてくる。男は彼を探していたと言うが、彼は彼にピストルを向けながら、「一人で死ぬのは嫌だから、俺の人生をめちゃくちゃにした奴を一人道ずれにして。でも一杯いすぎて、一人を選ぶのは難しい」と呟くが、その男は「ユン・スニムを知っているか?」と問う。男は彼女の夫であり、そのスニムが、「キムと会いたい」と言っていると告げる。男の持ってきた服に着替え、また途上の市場で、見舞い品として「ペパーミント・キャンディ」を購入し、スニムがいるという病院に向かうが、実は末期のスニムは、既に意識を失っていた。彼女は、「軍隊にいる時、君が手紙に入れて送ってくれたね」と呟きながらキャンディを差し出すキムに答えることは出来ず、ただ静かな涙を流すのであった。帰途、夫から、スニムから渡すように頼まれたというカメラを受け取るキム。金に困っている彼は、それを直ちに中古店で売り払うが、店の男が返してきたフィルムを悲しげに広げ、泣き崩れている。
「人生は美しい 1994年春」。話は5年前に移る。小さな会社を経営しているキムは、株で大儲けしているが、一方で妻の浮気の調査を便利屋に委託している。その浮気現場に踏み込んだ彼は、妻の浮気相手の男をなぶった後、妻を家に帰すが、その直後に彼自身が、自分の浮気相手の女と車中で激しいセックスをしている。その後の夕食で偶然一緒になった知合いから、「今はどこの署にいるのか?」と聞かれるが、彼は「警官は辞めて、小さな事業をやっている」と答えている。その知合いに、彼は「人生は美しいか?」と尋ねるのである(その知合いは、以前彼が警察官時代に拷問した青年であることが、あとで分かる)。自宅での妻の料理を囲む、愛人も交えた会社同僚を集めてのパーティ。しかし、家族内には、既に隙間風が吹いている。
「告白 1987年春」ということで、また7年遡る。臨月を迎えた妻を残し、警察署に出勤した彼は、ラジオで大きなデモのニュースが流れる中、妻が出産したという伝言を聞きながら、手配中の若い男を逮捕し、その男の指導者の居場所を吐かせるために拷問している。そして指導者が群山という町にいるという情報を得た彼らのチームはそこに向かうが、そこはキムの初恋の相手スニムの出身地であった。地元の寂しいバーの女と寝ながら、彼はスニムへの思いに耽るのである。
「祈り 1984年秋」。新米警察官のキムには、上司の指示を受け、恐る恐る逮捕者を拷問している。町の食堂の娘は、「あなたは警官に向かない」と冷やかしながらも、キムにほのかな思いを抱いている。その彼をスニムが訪問するが、自分の感情を表現できないキムは、スニムの前で食堂の娘の身体を触り、スニムを呆れさせている。スニムがコツコツとお金を貯めて買ったというカメラも、列車で帰る彼女につき返して、二人は別れることになる。その後、彼は、その食堂での同僚との飲み会で暴れまくり、そして食堂の女と寝るのである。この食堂の女は、後に彼の妻になる女の様に思える。
「面会 1980年5月」。キムは軍隊に徴集されている。その宿舎を、スニムが訪問するが、彼に会うことは出来ない。その時、戒厳令下の軍に緊急出動の指令が下り、キムも上司から「鈍い」と怒鳴られながら出動するが、彼のキャビネからは、(スニムが差し入れた)ペパーミント・キャンディが散らばることになる。出動するトラックから、キムは、道をとぼとぼと歩くスニムを眺めるだけである。そして現場に到着した部隊は民衆に発砲している。彼も民衆を追うが、味方の兵士の銃弾を受けて足を傷つけ、もうろうとした意識の中で、スニムの幻想を見るが、それは、戒厳令下の町で帰途についている高校生の女の子であった。その彼女を、誤ってキムは撃ち殺すことになるのである。
そして最終章、「ピクニック 1979年春」。冒頭に映された川岸で、若者たちがピクニックに興じているが、そこではキムとスニムがほのかな思いを交歓している。「ペパーミント・キャンディ」工場で働いているスニムは、それをキムに差し出し、代わりに花を摘んでスニムに渡している。楽しい集いから一人抜け出したキムは、河原に寝そべり空を見上げるが、そこに橋を通過する列車の音が鳴り響くのである。
ということで、キムの転落の人生と、その過程での様々な女性との交流等が、時間を遡る形で描かれることになるが、観客は、それを少しずつ知ることになる。その結果、夫々の時点では、何故彼がそうした生活をしているのか、あるいは何故そうした振舞いをしているかが分からず、その後の場面を観てようやく理解することができる。一般的な手法は、まず現在の姿があり、それからいっきに一番の過去に遡り、現在までの道のりを描いていく、というものであるが、ここでの監督は、そうした常識を変えているのがこの作品の最大の特徴である。しかし、その結果、観客は、最後まで観て、初めて、それまでの夫々の場面でのキムの奇矯な行動と叫びを理解することができるのである。個人的には、それは物語への関心を持続させることに成功しているとは言えないし、登場人物の関係を理解させることを難しくしていると感じることになった。
そしてもう一つの見せ場である1980年の光州事件であるが、主人公が、スニムと間違えた高校生を撃ち殺す、というのが、何とも理解できない。安全に逃がそうとした彼女を、味方の兵士が戻って来たために、自分の落ち度と見做されないために撃ったということなのだろうが、それは余りにやり過ぎである。この事件では、そうした無垢の人々の殺害もあった、と言いたい監督の演出なのかもしれないが、それはやや無理がある。もちろんこの作品が制作された1999年という時点では、まだこの事件への評価も固まっておらず、ある種のタブーであったという事情もあるとは思われるが、2017年公開の「タクシー運転手」(別掲)のように、この事件に正面から斬り込んでいるという感じではない。
彼と、夫々の時点で関係を持つ共演女優達も、やや違和感がある。彼の初恋の人で、表題である「ペパーミント・キャンディ」で彼と繋がるスニム(俳優は、ムン・ソリ)は、お嬢さんタイプの純真な女性を演じているが、何故不愛想で感情表現に乏しい彼にそれだけ惹かれたのかは、あまり釈然としない。その他、彼と関係を持つ元妻や田舎のバーの娘等も、何か作為的である。そして主人公のキムを演じたソル・ギョングの数々の奇矯な行動も、やや不自然さを感じざるを得なかった。そんなところで、やや時代を感じさせる、シンガポールからの帰国三周年記念日に観た作品であった。
鑑賞日:2023年9月27日