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この世界の片隅に
監督:片 渕須直 
 ロシアによるウクライナへの全面侵攻から丁度2年。メディアで様々な特集が組まれる中、やはりこうした報道で頻繁に登場している軍事評論家小泉悠の対談集を読了した(別掲)が、その中の対談者の一人がこの映画の監督である片渕須直で、そこで言及されていた彼の代表作である。私にとっては、昨年(2023年)3月に映画館で観た「ブルー・ジャイアント」以来の久々のアニメ映画でもある。2016年の製作で、原作はこうの史代というコミック作家であるというが、もちろん私は初めて聞く名前である。昭和8年から20年の終戦まで、広島市から呉市に嫁いできた主人公「すず」の成長を描いた物語で、国内のみならず海外の映画祭でのアニメ部門で数々の賞を受けたとのことである。

 冒頭、子供の歌声で、懐かしい「フォーク・クルセーダーズ」の「悲しくてやりきれない」のカバー曲が流れる中、8−9歳と思われる少女すずが登場する。大人しく引込み思案のすずであるが、絵が上手く、ほのかな気持ちを寄せる同級生の男子生徒(水原)のために自分の書いた港の写生図を渡したりしている。

 昭和19年、そのすずは、かつて広島市内で彼女を見初めたという周作とその家族の望みを受けて、すずは会った記憶もない(実は冒頭、市内で「怪物」にさらわれそうになった時に会っていた)周作と結婚し、呉市郊外の丘の上にある家に嫁ぐことになり、そこでの生活が始まる。その家には、周作とその両親、そしてしばらくして、嫁いだ広島から出戻った周作の姉征子が娘の晴美と加わる。こうして時折嫌味な征子を気にすることもなく、料理などの日常生活を送ることになる。周作は市内の軍施設に通勤しているが、次第に戦時色が強まり、決戦非常措置が発動され、配給が始まったり、更には防空警報なども発令されるようになる。防空壕も掘られるが、そんな中、丘から見える軍港に戦艦大和を始めとする軍艦が集結しているのをスケッチしていたすずは、憲兵に見咎められ防諜行為だと咎められたりするが、何とか拘束は免れている。

 しかし昭和20年になると、呉への空襲も始まり、周作も軍人として徴兵されている。かつて絵を渡した同級生の水原が、海軍兵士となってすずの家を訪問するが、彼はその後戦死するようである。そして5月、戦艦大和が沈没したという話しが伝わる中、晴美を伴い市内に出ていたすずは、不発弾の爆発に巻き込まれ、晴美は死亡、すずも右手の手首を失うことになる。晴美の死を非難する征子。自身も傷ついたすずは、空襲のない広島の実家に帰ることを決意するが、列車は混雑して帰ることができない。そうした中、8月のある日、広島の方向で大きなキノコ雲が上がり、そこから飛ばされたと思われる破片なども家の木に引っかかている。そして8月15日の玉音放送とその後生き残った周作を伴い10月に広島に帰ったすずが目撃する廃墟となった町。そこで母親を亡くした少女を連れて3人で呉に戻るところで映画が終わることになる。

 対談集の中で、この作品は、戦争の最中の日常生活と戦闘の様子を淡々と、しかし詳細に描いたとコメントされている。戦時色が強まり、時折連合軍の空襲が行われる中、すずは、日増しに少なくなっていく配給物資と闇市場で高値で買わされた素材等を工夫しながら食事を用意したり、少ない衣装に針仕事をする様子等が綴られている。他方で空襲が始まり、街から離れたすずの家にも焼夷弾の一部が落ちて必死に消火したり、機銃掃射から周作と共に溝に飛び込んで逃れたり、そして前述のように不発弾の爆発に巻き込まれたりといった戦争の様子もリアルである。まさにこうした世界が今ウクライナやガザで実際に繰り広げられているのである。人々の日常生活が、ある日突然戦争により大きく変わる。しかし、それでも日常生活は淡々と続いていく。それが約80年前の日本の「片隅」にもあった世界であることを改めて思い出させてくれるアニメ映画の秀作であった。

鑑賞日:2024年2月26日