ノーザン・リミット・ライン 南北海戦
監督:キム・ハクスン
ここのところヴィスコンティ監督作品を続けて観てきたが、続けて観ようと思った「山猫」がレンタル店になかったことから、どうしようか思案していた。年末の暇な時間が続くこともあり、何となく選んだのがこの2015年公開の韓国映画で、2002年、サッカーワールドカップ日韓大会の開催中に実際に発生したという、南北朝鮮の間での海戦を描いた作品である。監督・脚本はキム・ハクスンとのことであるが、私は初めて聞く名前である。出演俳優にも、知った名前はない。
まずはネット解説などは見ないで作品を眺めることにする。サッカーワールドカップの日韓開催で、国中が盛り上がる中、韓国北部、北朝鮮国境が近い地域にある海軍基地に、若い医務兵パク・ドンヒョク(俳優はイ・ヒョヌ)が着任し、軍役同期の同僚に迎えられるところから映画が始まる。関係者への挨拶から始まり、次第に訓練の様子に移っていく。新任の艦艇長ユン(俳優はキム・ムヨル)や操舵長サングク(俳優はチン・グ)等、軍事組織的な厳しい上下関係がまず描かれることになるが、その後はそれぞれが個人的な様々な事情を抱えて軍務についていることが語られ、私的な会食などでの一瞬和やかな交際なども描かれている。そして隊員たちは、ワールドカップの試合も、例外的に司令官の許可が出てテレビで観戦し興奮したりしている。
そこでの彼らの任務は、黄海の、北朝鮮領海に近いところに作られた高速艇の人工島基地を中心とした防御であることが分かってくる。北朝鮮からの領海侵犯の漁船が接近し、緊張が走るが、本部からは先制攻撃は絶対に禁止、という指示が出ている中、彼らを拿捕し漁民を拘束するが、これも本部からの指示で、そのまま解放することになる。ある隊員は、その漁民たちは、とても漁民とは思えない軍人面であると指摘しているが、本部命令に従う。しかし、彼らはまさに北の偵察部隊であり、その後、韓国高速艇の装備状況等を子細に北朝鮮軍部に報告している。
そして運命の2002年6月29日。それは韓国対トルコの三位決定戦の当日であったが、北朝鮮の軍艦が領海線を越えて侵入し、韓国艇が出航する。そこでも先制攻撃は禁止されており、「遮断軌道」という手法で、北の軍艦の侵攻を阻もうとするが、その時、北の奇襲攻撃が始まるのである。以降は、それに応戦する韓国軍の様子を中心に、そこでの両軍の会戦が生々しく再現されることになる。そして激戦の末、韓国哨戒艇357号は炎上・沈没。それまで個人的な生業なども回想的に描かれてきた主要な登場人物も、ユン艦艇長やサングク操舵長、そして医務官のパク等を含め、次々に傷つき、倒れていくことになるのである。パクは瀕死の重傷を負い戦闘後病院で治療が進められ、一旦回復する様子も見られたが、最後は絶命し、聾唖者であるシングルマザーであるその母親が泣き崩れることになる。また操舵長は、右手の障害にもかかわらずロープで手を操舵に縛り付け高速艇を必死に繰るが、最後は船と共に海中に沈み、戦闘後、潜水班により遺体が回収されることになる。彼らを含む戦死者6名の葬儀が哀しみの中行われるが、サッカーワールドカップは続けられ、大統領が決勝戦の観戦のため日本に旅立っている。
この海戦については、これまでほとんど知ることがなかったというのが正直なところである。2002年のサッカーワールドカップは、私も日本にいて、それなりに楽しんだ記憶はあるが、その時こうした南北朝鮮の武力衝突があった記憶は全くない。ワールドカップが、それまで多くの困難を抱えていた日韓関係改善の大きな契機と期待されたこともあり、それに水を差すこうした武力紛争の報道も限られていたということであろうか?しかし、6人もの戦死者を出した韓国にとっては、この事件は長く忘れることのできないものとなったであろうこと、そしてそれがその後の対北朝鮮政策を進める上で考慮されたであろうことは容易に想像される。もちろん文在寅政権を始めとする韓国の革新系は、北朝鮮に対して融和的政策を取る傾向があるとは言え、少なくとも軍部においての北に対する緊張感は、日本の自衛隊が例えば中国に対して持つ危機感などとは比較にならない程強いのも、こうした記憶のなせるものだと思われる。恐らく戦闘場面などについては、これに勝る映画作品はいくらでもあるのだろうが、これが事実であったということで、その迫力自体が大きく増し、その犠牲者の記憶と共に韓国社会の中に刻まれる作品となったのであろう。この作品の鑑賞後見たネット解説によると、この実際の戦闘は30分足らずであったが、それがそのまま映画での戦闘場面の時間となっているということであった。
因みに、これを書いている最中の昨晩のテレビで、2001年12月22日に東シナ海で発生した海上保安庁による、不審船の追跡事件が、当時の日本側の乗組員の証言と共に特集されていた。ネット情報によると、この時期、同海域で不審船の多くが目撃されており、その一隻について警備に当たっていた巡視船が停止・立ち入り検査を試みたが、その船は警告を無視し逃亡。日本側は船体射撃を行うと共に強硬接舷を試みたところ、不審船から小火器やロケット砲での攻撃が発生したため、日本側も応酬、結局不審船は自爆し沈没する。この交戦で日本側は海上保安官3名が銃弾で負傷、不審船側は15名の乗員全員が死亡した。その後沈没した不審船を引き上げたところ、多くの北朝鮮製の武器等が発見されたことから、これが北朝鮮の船であったこと、及びこれは北朝鮮製の覚せい剤を日本の暴力団あてに輸送していたことが判明した。その際の押収品の武器等は現在横浜の海上自衛隊関係の博物館で展示されているそうである(これは「九州南西海域工作船事件」等と呼ばれている)。この韓国映画の事件と略同じ時期のものであり、この時期、北朝鮮が武装した船舶で近海を徘徊していたことが想像される。ただ日本のこの事件では、日本側の死者は発生していない。これが韓国のそれとの大きな違いであろう。
分断された朝鮮半島の厳しさとそこでの軍人の悲哀を感じさせられた作品であった。
鑑賞日:2024年12月23日