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レッド・ツェッペリン ビカミング
監督:バーナード・マクマホン 


 今週初め、また定例テニスの後の飲み会で、ロック好きの友人から、これを観たという話を聞いた。この映画がちょうど今週初めから公開されるということは知っていたが、ゆっくりタイミングを探せば良いかな、と考えていたところ、彼によると公開は一週間で終わってしまうということ。早速近所の映画館をチェックしてみると、確かに公開は今週一杯で、その後については特段の情報もなかったことから、それでは、ということで、急遽それを観に行くことにした。友人も言っていたのであるが、値段は通常の映画より高く、私が予約した川崎駅前の映画館では3,000円という設定。こんな値段の映画を観に来るのは若い頃このバンドのフリークであった老年層くらいで、彼らは公開期間を限定すれば高い価額でも慌てて観に来るだろうという思惑は見え透いていたが、それにまんまと乗ってしまったのであった。

 このバンドがデビューした1969年は、ちょうど私はロック音楽を聴き始めた時期で、このバンドもお気に入りの一つであった。当時の小遣いは少なかったことから、デビュー盤は友人から借り、2枚目から自身で購入。その後5作目までは適宜揃えていき、映像も1973年7月のニューヨークはマディソン・スクエア・ガーデンでのライブを核に編集された「狂熱のライブ」も調達したが、結局本物のライブに接する機会はないまま現在に至っている。そして年齢が増すにつれて、こうした粗削りなロックを聴く機会も減っていたのであるが、そうしたタイミングでのこの映画の公開であった。久しぶりに彼らのベスト盤CDを聴き、DVDをさっと眺めて映画館に向かったのであった。

 英米共作のこの作品は、ネット解説によると、バンド・メンバーが初めて公認したドキュメンタリーで、1980年に32歳で急逝したドラマー、ジョン・ボーナムの肉声や多くの未公開映像でバンドの歴史をたどっているとのこと。監督は「アメリカン・エピック4部作」などを撮ったバーナード・マクマホンということであるが、私は初めて聞く名前である。

 午前9時40分からの上映で、時間に会場に入ると、ウイークデイの午前ということもあり予想通り席は閑散。やはり私前後の年代と思わしき高齢者が大半である(ただ、その後着信したネット情報によると、この映画は「公開7日間で洋楽ドキュメンタリーとして異例の興行収入1億円突破が確実!パンフ増刷も決定」ということである。単価が高いので、実際の動員数よりも興行収入は増えている、ということであろうか?)。こうしてまずは、デビュー・アルバム冒頭のGood Times, Bad Timesの大音響と演奏風景と共に映画が始まる。これはスタジオ盤の音源であるが、最近の音楽映画と同じ様に、音質は、私が自宅のCD再生機で聴く音に比較すると迫力は全く違う。そして、メンバー4人の幼少時の写真などを中心に、夫々の生い立ちや両親などの家族関係、そして彼らの音楽との出会いなどが紹介されていく。ここでは、メンバーの中で最も普通の家庭だろうと想像していたジョン・ポール・ジョーンズの両親二人が大道芸人で、父親はピアノ弾き、母親は歌手であったというのが面白い発見であった。また前評のとおり、早くして亡くなったジョン・ボーナムのコメントも時折、彼の写真と共に時折挿入される。彼らが影響を受けた1950年代の英米の歌手やバンドが映像と共に紹介されるが、それらは私も初めて聞く名前が多い。時代が時代ということで、音楽自体は古臭いが、音質はそれなりに改善されている。米国ロックンロールやR&Bの影響ということで、リトル・リチャードやジェームス・ブラウンあたりになると私も知っている名前が出てくるが、音楽的にはあまり興味がなく、メンバー3人のインタビューなどが続くとやや退屈し、軽い眠りに誘われることになる。

 それから回復したのは、1960年代半ば、スタジオ・ミュージッシャンとしての活動中心であった(ジョン・ポール・ジョーンズが、Luluの「To Sir With Love」のプロデューサーであったというのは初めて知った)彼らがバンド参加に動く頃、特にジミー・ペイジがジェフ・ベックに誘われYardbirdsに参加してからで、その最後のメンバーとして4人が揃うことになる。英国ではギグの機会がないということで、北欧で演奏されたHow Many More Timesは、明らかにスタジオ盤とは異なるライブ演奏で、また音質も良く迫力満点の演奏となっていることから、私の眠気を覚ますには充分であった。そしてテムズ沿いのボートハウスでの作曲やリハーサルなどを経て英国での初期のギグとしてGood Times Bad Timesが演奏されるが、これもスタジオ盤ではない貴重なライブ映像である。しかし、スタジオと思しき場所で彼らのハードロックを聴く聴衆の表情には特段の反応が感じられず、中には騒音に耳をふさぐ小さな子供などもいるということで、ちょっと違うよなという映像である。そして結局彼らは当初英国ではあまり受けなかったということで、米国を目指すことになる。その際ジミー・ペイジがこだわったのは、自分たちはシングル版の発売は行わず、あくまでアルバムで勝負するということであった。その点、米国ではそうしたアルバム全部を流すような放送局もあったということで、そこで取り上げられることを目指したという。最初の米国ツアーでオッファーがあったのはVanilla Fudgeの前座バンドであったそうだが、それを契機に人気が出て放送でも取り上げられるようになったことで、単独のツアーも組めるようになり、Fillmore Eastでのライブも成功裏に終え、そして1969年、ついにアトランティック・レコードからのデビュー盤が発売、いっきに人気が湧き上がることになるのである。
 
 以降は、そのデビュー盤の楽曲のスタジオ音源やライブ音源のいくつかが紹介され(その中では、ジミー・ペイジによるBlack Mountain Sideのアコースティック・ギター・ソロが、映像は影がかかっており見難かったが、強い印象を残した。これも明らかにスタジオ盤の口パクではない演奏であった)、そして続いて第2作のアルバムの制作過程と、そこからのWhole Lotta LaveやRumblin’Onなどの楽曲が素晴らしい音質で奏でられることになる。しかし、そこでふと時計を見ると、上映時間はあと30分を切っている。これではその後の作品はほとんど紹介できないではないか、と思っていると、映画は結局第2作発表後の1970年、ロンドンはRoyal Albert Hallでの公演が、メンバーの家族などが顔をそろえる中で、本国においても大成功した、というコメントで終わることになるのである。

 そこで気が付いたのは、確かに「ビカミング」という本作のタイトルは、「彼らの成功までの記録」という意味合いがあり、その後Stairway To Heaven等を含む第4作でピークを迎えた後、次第に低迷し、最後は12年の活動を終える過程や、そうした中でのジョン・ボーナムの早い死などには全く触れられていない。その点で、この映画は、彼らが栄光の座をつかむ初期についてだけ紹介した作品で、もしかしたら続いてこうした後期を描く映画を作ることも想定しているのかとも勘ぐってしまった(興行成績が好調であったことから、その可能性は高くなっていると思われる)。確かにスタジオ盤もライブ盤も音質は素晴らしく、また冒頭に記した通り、自分自身がロックを聴き始めた中学生時代を懐かしく思い出したりもしたが、他方で長々と続くインタビューは、私にとってはやや退屈であった。スポーツなどでもそうであるが、私は、プレーヤーは本番をやっている時が最も輝いていると思っており、その本番や試合が終わった後行われるインタビューなどはほとんど見ないですぐ消してしまう傾向がある。その意味では、この映画の直前に、久しぶりにさっと観た1973年のDVDの方が、まだそうした時間潰しが少なく、ライブ演奏中心の構成であることから私の個人的趣向にあっているといえる。もし彼らの後期を題材とするこの作品の続編が制作・公開されても観に行くことはないだろうと感じたのであった。

鑑賞日:2025年10月2日