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Argo
監督:ベン・アフレック 
 11月に入り、1979年に勃発したイラン革命を素材にした映画「Argo」が公開された。この時、米国大使館がイスラム過激派グループに襲われ、52人のアメリカ人外交官が人質にとられたこと、そしてCIAが組織した救出作戦が、ヘリがイラン国内の砂漠に墜落するなどして失敗し、時のカーター政権の威信が大きく傷ついたことは有名な話で、私も同時代的な記憶として残っている。しかしそこで6人のアメリカ人外交官が、隣接するカナダ大使館に避難し、その後カナダ人を装い、航空機でテヘランを脱出したというのは全く新しく聞く話であった。実際、この脱出劇自体、外交秘密として1997年まで公にされていなかったということなので、同時代的に認識できなかったことは当然であろう。そんなこともあり、現在に至るまで米国を始めとする西欧諸国と対立し、北朝鮮と共に核武装の懸念が常に懸念されるこの国の政治的転換点での一つの隠されたエピソードを素材にしたこの映画には興味津々であった。更にこの映画が公開された時、偶々後述する、革命下のテヘランからの、別のアメリカ人グループの脱出に関するペーパーバックを読んでいたこともあり、週末の土曜日、東京から入ってきた旧友を無理やり拉致し、この映画を見に行くことにした。しかし、その後日本への出張が入っていたこと、及び日本への出発時までにこのペーパーバックを読了していなかったこともあり、この評を書くのは遅れ、日本からの帰国後、今ようやく書き始めることになったのである。

 映画の監督・主演は、ベン・アフレック。私は初めて聞く名前であるが、彼は俳優からスタートし、その後監督、脚本家、プロデューサーとしても活躍し、アカデミー賞やゴールデン・グローブ賞も受賞しているそうである。私生活では、一時期ジェニファー・ロペスの恋人でもあったという。

 イラン革命の最中に、占拠されたアメリカ大使館から6人の外交官が隣接するカナダ大使館に避難する。彼らを救出する作戦がCIAで検討され、ベン・アフレック演じる工作員トニー・メンデスがその任務を託されることになる。いろいろな検討がなされた後、彼が採用したのは、6人のスタッフをカナダ人の映画撮影キャストと偽って脱出させるというもの。そのため、スーパーヒーローが砂漠で宇宙からの侵略者と戦いを繰り広げるという架空のSF映画「Argo」が、専門の映画スタッフと共にでっち上げられ、製作記者会見まで行われる。

 その上でテヘランに潜入したトニーは、6人の偽装パスポートを用意すると共に、彼らを連れてテヘラン市内での映画製作の下見ツアー等を行うなど、脱出に向けた準備を進める。しかし、革命下のテヘランからアメリカ人は正規に出国することは出来ない。もし正体がばれたら6人の運命は暗転する。彼らの中でも、この作戦に乗って脱出するか、それとも別の救出の機会を待つかで意見が分かれることになる。実際、大使館が占拠された時シュレッダーで廃棄された大使館員の写真は、駆りだされた民衆により復元作業が行われている。また、彼らを匿うカナダ大使館にはイラン革命軍の関心が寄せられ、大使館の若いイラン人使用人の女性には「今滞在している客は誰だ」といった質問が寄せられる。彼女が密告するのではないかという当初の懸念にも関わらず、彼女はアメリカ人を助けるために嘘をつく。

 こうして映画の下見は終了したということで、最後の脱出作戦が決行される。悩んでいた若い夫婦を含め、6人が空港に出発する。様々な危険が迫り、映画の緊張感が盛り上がるが、最大の危機はゲートでの搭乗直前に、6人の身元を怪しむ管理官に別室に連れ去られ取り調べられる場面である。映画撮影のカナダ人ロケ隊という説明に疑念を持つ管理官に、トニーはさりげなく、米国ハリウッドの、とある電話番号が書かれた名刺を渡す。管理官は、別室でしばらく考えた後、そこへ国際電話をかけると、受話器を取ったディレクターが、「映画Argoのロケ隊は、現在テヘランで下見中である」と説明したことで、管理官は彼らの出国を最終的に許可するのである。映画のシーンを描いた漫画のプレートが記念品として管理官に渡される。しかし、6人が搭乗した航空機が動き始めた頃、大使館員の一人の写真が復元され、それがロケ隊の市内ツアーの際に撮影された写真の人物と同一であることが判明。空港の管理官に連絡が届き、彼らは6人が乗った飛行機を発砲しながら追跡する。しかしすんでのところで、彼らの追跡をかわし、6人を乗せた飛行機はテヘランから臨まれる山を越えて飛び去っていくのである。こうして映画はハッピー・エンドで終わり、最後に、この脱出作戦は米国とカナダ両国による連携作戦の好事例として評価されることになった、という下りが紹介されている。

 脱出作戦を冷静に考えると、結構「本当かよ!」と思われる展開も多い。脱出の実行直前に、米国のCIA又は国防省内部では、この作戦は危険だということで、中止が決定される。トニーはそれを無視して、6人と共に空港に向かう一方で、米国では彼の上司が、中止の変更を求めて奮闘している。空港のチケット・カウンターでは、作戦の中止に伴い、彼らのフライトのチケットが抹消されており、一回目の検索では予約が見つからない。しかし、まさにその時に上司の説得が奏功し、作戦決行ということになり、彼の指示で、直ちにチケット予約が有効になるコンピューターオペが実施され、テヘランのチケット・カウンターでは二回目の検索で予約が確認され発券される。しかし、この時代に、アメリカからテヘランの予約システムに侵入し、チケットの操作が出来るのかよ?と思ってしまったりしたのである。またこの6人以外にも、当然アメリカ大使館ではもっと多くの関係者が拘束されていたのであるが、こちらの人々の救出作戦について、映画の中で全く関心が払われていないのも、やや不自然である。

 前述したとおり、この英語を是非見ておかなければならないと思った別の動機は、この時に Ken Follett による「On the Wings of Eagles」というペーパーバックを読んでいたことであった。昨年、初めて「Triple」というスパイ物を読んで、関心を抱いたこの英国人作家の作品が、ショッピング・センターの安売りで出ていたのでしばらく前に購入し、プールサイドでの息抜きとしてここしばらくゆっくり読み進んでいたのである。今回の映画の開始時期よりも少し早い1979年のイラン革命の前から、この国の保健省のデータベース構築を受託していた米国ソフト会社の社員二人が、1978年12月、汚職容疑で拘束されるが、まさにその時にホメイニ革命が勃発する。アメリカ人に対する敵意が広がる中、まず米国国務省や政治家を使った外交筋からの救出交渉が進められるが、それが無為に終わった時から、拘束された二人の自力での救出、そしてイランからの二人を含む関係者全員の脱出作戦が実行されるという、映画とほとんど同じ時期の実話に基づいた、別のテヘランからの脱出作戦の小説であった。

 ヴェトナム帰還兵をリーダーとする私兵がイランに送り込まれ、二人の社員が収容されている刑務所の急襲が計画されるが、実行直前に二人の囚人は別の堅固な監獄に移送される。救出作戦の遂行が難しくなったその時、イラン革命が勃発、群衆が監獄を襲い、そこに収容されていた政治犯らを解放する。拘束されていたアメリカ人二人も群衆に紛れ監獄を脱出、救出部隊に保護される。しかし、今度はイランから脱出しなければならない。

 テヘランから陸路でトルコ国境を越えるというその作戦は既にじっくり練られていたものではあったが、革命後の無政府状態の中、こちらも次々に危機に遭遇する。しかし特に若いイラン人社員の活躍もあり何とか国境を越えることに成功する。しかし、二人の解放のニュースが米国で意図されずに報道されると、今度は最後まで残っていた同社の社員(Clean Team)が変わりに逮捕されるのではないかという危機が迫る。彼らは、革命後テヘランに残された米国人を救出する飛行機での脱出を試みる。空港でも、映画と同様彼らは多くのハードルを越えなければならなかったが、最終的には脱出に成功し、そしてトルコ国境を越えたグループ(Dirty Team)と再会し、お互いの帰還を盛大に祝うのである。

 と、こちらも、これだけであれば映画と同様、同じ舞台での実話に基づく別の感激的な脱出劇なのであるが、しかし、この米国ソフト会社(EDS社)の創始者でオーナー社長が、1992年、1996年と2回米国大統領選挙に出馬した大富豪のロス・ペローであり、読み進めるにつれ、二人の社員を救い出すために、如何に彼自身も危険を冒したか、そしてその結果として彼に対する社員の求心力がいかに強まっていったかが、これでもか、これでもか、と書かれていることにややうんざりすることになってしまった。結局この作品は「感動の救出劇」に託けたペローの自己宣伝ではないか、そしてフォレットも、恐らくはペローから膨大な報酬を受け、この作品の執筆を引受けたのではないか、という疑念がどんどん拡大していったのである。そしてペローがこれほど誇張されて描写されているのであれば、それ以外の人間や、彼らが直面した数々の困難も同様に誇張されているのではないだろうか?即ち、この小説はスポンサーのご機嫌を取るために、実際の事件や会社側の登場人物を必要以上に美化して描かれた小説なのではないだろうか。こう考え始めると、最初は面白く読み始めた作品であったが、途中から読み進めるペースが大きく落ちてしまったのである。

 しかし、今回の映画を見たことによって、同じ敵意に囲まれたテヘランから、幾度の危機を乗り越え、且つ一大トリックも使いながら空港から脱出するという、この映画の基となる事件とほとんど並行して行われた、このEDS社の社員救出劇が、ペローという黒幕を背景に押しやる形で、突然リアリティを増してきたのである。そして映画を見た後、日本への出張が入ったこともあり、最後に日本滞在時にこの小説を読了した時は、何故か感動を禁じ得なかったのである。1979年2月、3カ月にわたる拘束・解放・救出劇が終わる。因みにその後1984年にペローはこの会社をGMに売却、そして90年代の大統領選出馬を含め、有り余る富に物を言わせる勝手気ままな人生を歩むことになるのである。

 こうして、今回の映画は、別の救出作戦を描いた小説との相乗効果を伴って私の記憶に刻まれることになった。どちらの作品もエンターテイメントとしての誇張があるのだろうが、ペローの自己宣伝という思いを払拭できなかったペーパーバックと比較すると、少なくとも映画の方は、そうした邪念がない分より楽しめる。イラン=ペルシャという、中東の大国の歴史的転換点を改めて確認すると共に、大きな社会転換の際に必ず発生するドラマの一断片を垣間見ることができた作品であった。因みに、かつてロンドンで親しくなった友人の中に、亡命イラン人がいた。彼は数年前に既にガンで他界したが、当時彼の周りには時々パーレビ派のイラン人亡命者たちが集まり、酒が入ると「Long Live Shah!」と気勢を上げていた。彼が生きていたら、この映画に彼がどのような思いを抱くのか聞いてみたかったという気持ちが、ふと頭を過ったのであった。

鑑賞日:2012年11月16日