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Inferno
原作者:ダン・ブラウン 
 2009年5月に Angel and Demon を見て以来の、Dan Brown 原作の小説の映画版である。

 そもそも、2年ほど前に現在の仕事でシンガポールに戻ってきて、やや郊外のコンドミアムに入居してから、シンガポールでは全く映画を見る機会がなかった。環境は良いが、地理的にやや不便な住居にいて、あえて意を決して見に行こうと思える映画が少なかったことが、その最大の要因である。その結果、例えば最近日本で公開された「シン・ゴジラ」も、いろいろな評を読んで、それではと思った時には既に当地での公開期間が過ぎてしまった、という状態であった。

 本年7月、かつて5年半住んだ街中のコンドミニアムに転居し、日常の買い物行動などが、かつてと同じように変わることになったが、映画に関しても、以前のように、近所のシネコンに衝動的に行けることを感じていた。そんな矢先、このダン・ブラウンの最新作が、日本とほぼ同じ時期に、シンガポールでも公開された。いつもと同様の土曜日。朝一番、翌週末のバンコクでのゴルフに備え、久々の練習場で玉打ちをした後、プールサイドでのんびりしていると、一転俄かに空が掻き曇り雷雨となった。いつもの至福の時間を過ごすことができなくなり部屋に戻ったところで、この映画の上映が12時半から近所のシネコンであることを思い出した。午後の定例テニスに出発する3時半までは時間がある、ということで、早めの昼食をとり、まだ小雨が降る中、上映時間の15分前に家を飛び出し、シネコンに向かった。しばらくご無沙汰をしていたチケット売り場は自動発券機が置かれており、この操作に手間取ったが、横のスナック売り場で普通にチケットが買えることが分かり、1枚購入。チケット売り場のおばさんに「もう開演よ」といわれる中、席についた。席はガラガラで、こうした衝動的な行動を許容してくれるのは有難い限りである。こうしてシンガポールで久々の映画鑑賞が始まった。

 ダン・ブラウンの原作は、2014年の年末に読了したので、既にそれから2年弱が過ぎている。彼を一躍ベストセラー作家にした「ダ・ヴィンチ・コード」に始まり、記述した「天使と悪魔」に続く3作目の原作映画化である。しかし、「ダ・ヴィンチ・コード」や「天使と悪魔」に比較して、原作では物語の展開が遅く、そもそも主人公のラングドンが、なぜフィレンツェの病院に意識を喪失した状態で目覚め、また直ちに刺客に襲われ逃げなければならないのかが分からないまま、逃亡するフィレンツェの観光案内に延々と付き合わされることになり、やや癖々した記憶が残っている。それでも、この作家のややペダンチックなミステリーに付き合うというのは、大きな魅力であり、それが映画でどう表現されるかは興味深々であった。原作全編を貫くモチーフは、フィレンツェ生まれで、そこで頭角を現しながらも最後は町から追放され、死後、デスマスクのみがそこに戻ることになったダンテと、彼の主要作品である「神曲」である。

 映画は、黒人に率いられた一団に追跡された男が、ビルから身を投げるシーンから始まる。飛び降りて即死する男は、天才科学者で、今回のバイオテロの首謀者ゾブリスト、追いかけるのは黒人に率いられたグループはWHOの調査官であることは、原作から推測される。そして、いつものように、トム・ハンクス演じるラングドン。病院で、地獄絵図の幻覚に襲われるイメージが映像で表現される。イラク、シリアの内戦らしき映像が入っているのは、監督の演出だろうか?そして目覚めたラングドンに、医師のシエンナが付き添っているが、そこに暗殺者の女が現れ、医師の一人を射殺、ラングドンとシエンナは逃亡に入り、それをWHOの捜査官と暗殺者の女が追う。暗殺者の女には、海に浮かぶ大きな船舶に設置された司令室から指示が飛んでいる。

 ラングドンが持っていた謎のカプセルに映しだされた映像を手がかりにした謎解きが始まる。米国大使館に助けを求めたラングドンは、米国大使館にも見放されたことを悟り、フィレンツェの街中にシエンナと飛び出していく。謎の軍団は、無人探査機まで使った大掛かりな捜査態勢で二人を追うことになるが、ここからしばらくは、小説同様、逃亡にかこつけたフィレンツェの観光案内の映像が続く。またWHOのダイレクターのエリザベス・シンスキーとゾブリストとの会話が回想されている。ゾブリストは、マルサスの人口論を引用しながら、世界人口の爆発的な増加を抑えるために、WHOが抜本的な対策を採ることを要求しているが、彼女は取り合わない。

 こうしてラングドンは、まずカプセルの映像から、フィレンツェの博物館に展示されているダンテのデスマスクを探し当てる。ラングドンとシエンナが、二つの追跡者を振り切って博物館に到着し、その旧知の担当者マルサにより、ダンテのデスマスクの展示場所に案内された彼らは、それが何者かにより持ち去られてなくなっていることを発見する。前日までは確かにあったその貴重な美術品が消えたため、マルサが慌てて警備ビデオのチェックをする中で、そのデスマスクが、ゾブリストの所有物であること、そして警備ビデオにはラングドンがそのケースからデスマスクを取り上げ、その裏に何かを発見した様子が映されている。ビデオでは、責任者のイグナチオ・ブソーニに付き添われてラングドンがそれを手にしたことに、マルサが抗議したのに対し、ラングドンが、「自分は昨日所有者のゾブリストに会い、それを直接手にとって見ることを許可された」と主張しているが、マルサは、それはありえないという。何故なら、ゾブリストは、数日前、その博物館から遠くない塔の上から身を投げて自殺していたからである。

 小説によると、デスマスクはイグナチオとラングドンによって盗まれた。マルサが警備員にラングドンを監視させる中、イグナチオの秘書から、そのイグナチオは昨晩心臓麻痺で急逝したこと、そして彼がラングドンに、「デスマスクは安全な場所に保管してあること」、そしてその場所は「天国の25章」であるという伝言が伝えられるということになっているが、映画ではこのあたりはフォローできなかった。ブルーダーの一団が雪崩れ込んできた混乱に乗じ、ラングドンとシエンナは、今度は「天国の25章」を探す逃亡に入る。その過程で、暗殺者の女ヴァイェンタとの対決が起こる。ヴァイェンタは、ラングドンらに「最早、あなた方を殺す意図はない」と説得するが、それは聞き入られず、シエンナの不意打ち攻撃を受け、彼女は天井から落下し絶命するのである。

 「神曲」中の「天国の25章」に何が書かれていたかを思い出せないまま、ダンテ教会に向かった彼らは、そこで観光客のiPhoneを使い、その内容を確認、その情報を頼りにサン・ジョバンニ教会で、イグナチオが隠したダンテのデスマスクを発見する。しかし、それはまた新たな謎解きの始まりだった。デスマスクの裏に、明らかにゾブリストが刻印したと思われる詩文の解読が必要だったのである。ラングドンは、その詩文から、ゾブリストの企ての場所は、フィレンツェではなく、ヴェニスだと確信する。そして彼らを密かに尾行してきた男から、ヴェニスへの移動を含めた逃亡の支援要請を受ける。小説だと、その男は、自身を、ラングドンをボストンに迎えに行き、フィレンツェまで同行した者だと紹介する。ラングドンは、確かにどこかで会った気がするが、記憶は回復していない。

 彼の助けも受け、3人は、ダンテのデスマスクを抱えながら急行列車でヴェニスに移動。小説だと、ダンテのデスマスクに刻まれた「ヴェニスの裏切り者」と「首のない馬と盲者の骨」という文言が、この捜索の鍵となったとされるが、これも映画ではフォローできず。一方、ラングドンたちの移動は、直ちにWHOのエリザベスらにも伝わるが、彼女は、今回の危機の打開のために、ラングドンの協力を要請し、彼と初めてマサチューセッツで対面したときの事を回想している。エリザベスは、渋るラングドンをフィレンツェまで同行させたことになっている。また小説では、同じ頃、クルーザーの「総長」は、顧客であるゾブリストの依頼により翌日流される予定のビデオを見て、顧客の依頼を無条件に実行してきたそれまでの原則を変更する決心を行い、その顧客の仲介者であった、暗号名FS-2080に緊急連絡を入れることになるが、それに続いてシエンナとゾブリストが恋人関係であったらしき映像が流される。映画では、ここで、FS-2080がシエンナであることが示される。「総長」は、エリザベスに連絡を入れ、今回の捜索への協力を申し入れている。そしてラングドンら3人はヴェニスに到着。小説同様、グラン・カナルを行くボートから見たヴェニス観光映像が映し出される。

 小説だと、サンマルコ広場に上陸したラングドンら3人は、そこにあるバジリカに、コンスタンチノープルから略奪された「首を切られた馬」の彫刻があるのに気がつく。そしてそこであった旧知の美術家から、この彫刻をコンスタンチノープルから持ち帰った「ヴェニスの裏切り者」が、エンリコ・ダンドロという男であったこと、そして自分たちが「間違った博物館」に来たのみならず、「間違った国」にいることを知る。再びバジリカからの脱出が試みられるが、シエンナを逃した後、彼女はラングドンを置き去りにする。ラングドンは、黒服の軍団に捕捉されることになる。

 改めて原作を見ると、クルーザーの上でのラングドンとエリザベスが邂逅し、エリザベスが、自分はそもそもラングドンをこの捜査のためにリクルートした人間であること、そして黒服の軍団は、疫病対策のための特別な部隊で彼女の指揮下にあること、そして彼がシエンナと逃亡したことで、ゾブリストの側に寝返ったのではないかという疑惑を持っていたことを語ることになっている。半信半疑のラングドンに、ゾブリストから送られてきた映像を示すが、そこでは水溶性の袋が、水の中に浮かべられているのが映されているが、これが溶けて中の物質が流失するまであと1日しかないことを知る。更にゾブリストとシエンナが深い恋愛関係にあったことも伝えられる。他方、追っ手を逃れたシエンナも、ゾブリストの支援者である金持ちの助けを受け、同じ町に向かう。自分の特殊な才能を世界のために生かそうと救援活動に勤しんでいたマニラで彼女が遭遇したレイプ。その後遺症で悩まされ、髪の毛を全て失った過去。そしてゾブリストとの出会いが回想される。「総長」は更にラングドンに、女暗殺者ヴァイェンタの一連の行為は、記憶喪失に陥ったラングドンをエリザベスから取り返し、シエンナを信用させ、ゾブリストの依頼が実行されることを確保するための虚構であったことが説明されることになっている。ただ映画では、この展開も必ずしもフォローできなかった。

 こうしてエリザベスに協力することを納得したラングドンは、新たな仲間たちと「正しい国」、トルコのイスタンブールに移動するが、ここが物語の大団円の舞台となる。映画でも、「ブルーモスク」を含めたイスタンブールの観光案内が映し出される。彼らは現在は博物館として使用されているハギア・ソフィアの巨大な姿を目にする。このどこにゾブリストは、疫病の爆弾を仕掛けたのか?まずは博物館の上の階にある「ヴェニスの裏切り者」エンリコ・ダンドロの墓碑。そこで感じた地下水のせせらぎの音から、今度はその地下に貯水池があることを知る。そこにあるホールでは、ある金持ちの資金援助で、一週間にわたるリスト作曲の「ダンテ・シンフォニー」の演奏会が開催されており、多くの聴衆が集まっている。ラングドンたちは、普段より多くの客で賑わうそのコンサート会場が、ゾブリストのバイオ兵器の最初の犠牲者になるということを認識し愕然とする。そしてラングドンとエリザベスは、二人でそこに入り、広大な地下貯水池の中で、ゾブリストの映像に映されていた場所を探し当てる。

 そこからの大団円は、原作と映画では大きく異なっているように思える。原作では、エリザベスの隊員が水に潜り、水溶性の袋を探しあてるが、その袋は既に溶解して、ヴィールスは拡散したことになっている。そしてそこに黒いブルカに身を包んだシエンナが現れる。外で待つエリザベスに既に疫病が広がっていることが伝えられ、緊急避難の指示でコンサート会場がパニックとなる中、ラングドンはシエンナを追う。イスタンブールの雑踏の中の追跡。すんでのところで、シエンナはラングドンの手を逃れ、ボートでボスポラス海峡に逃亡する。絶望するラングドン。しかし、彼女は再度引き返してきて、今回のゾブリストの企みの全貌をラングドンに告白する。ゾブリストが仕組んだのは、人を殺す疫病ではなく、人間のゲノムに直接働きかけ、世界の人口の3分の1の人間が偶発的に不妊症となる、ゾブリストが開発した新しいビールスであったのだ。既にそれは世界にばら撒かれている。そしてシエンナ自身も、その恐ろしい事実を知ってからは、その企てを阻止しようとしたが、既に間に合わなかったという。ラングドンは、彼女に、ある条件と引き換えにエリザベスに全てを語り、その対策に協力することを求める。今まで人を信じることの出来なかったシエンナは、ラングドンの必死の説得により最後に彼に心を許すのである。

 そしてエリザベスのところに戻ったラングドンは、シエンナがある条件を受け入れられれば、全てを話し協力すると伝える。エリザベスがそれを受けると、既に近くに潜んでいたシエンナが現れる。エリザベスとシエンナの初めての対面。そしてエリザベスも、シエンナの言葉を信じ、二人は今後の対策を協議するためにジュネーブの本部に向かう。そしてラングドンは、一人フィレンツェに戻り、ダンテのデスマスクをマルサの管理する博物館のもとの展示室に密かに戻した後、ボストンに向かう飛行機に乗る。機内でダンテの「神曲」を読みながら・・。

 しかし映画では、この大団円は、水中にある起爆装置を解除するべく水に入ったエリザベスの隊員を、シエンナが妨害しようとし、水中の大格闘になるが、最後にシエンナは絶命し、起爆装置は無事解除されるということになっているように思えた。最後にラングドンが、一人フィレンツェに戻り、ダンテのデスマスクをマルサの管理する博物館のもとの展示室に密かに戻したところで、映画は終わることになる。

 原作では、エリザベスとシエンナが、既にそれぞれの事情から不妊となっているという設定で、不妊化のビールスにより人口問題を解決するというゾブリストの企てが次第に明かされる。そしてその謎解きに向けて邁進するラングドンを核に、頻繁に交替する役柄。しかし、世界は既に不妊ビールスに犯されているという結論。人口暴発への警鐘とゲノム変異技術の発展といった現代的現象を素材として用いながら、最後はSF的な週末を迎えるが、他方でエリザベスとシエンナが、その状況に改めて立ち向かっていくという僅かな希望も残すようになっている。また原作を読んだ際に、ラングドンが記憶喪失に陥った経緯が、私の読み飛ばしのためか、理解できなかったが、映画を見た後もそれはあまりクリアーにならなかったのであった。

 しかるに、映画を見た直後に、当地の新聞に、この映画の興業成績が苦戦しているという記事が掲載された(11月1日付The Straits Times)。ロスアンジェルス発のこの記事によると、この週末の興行収入が、米国とカナダで僅かUS$15百万(S$20.9百万)であったという。そして「オスカー受賞監督である Ron Howard 監督、Tom Hanks と Felicity Jones 主演のこの映画は、ソニーピクチャーズ他に、数百万ドルを費やした宣伝費を除いても、約US$75百万のコストをかけた。しかも、全く恥ずかしいことに、この第二週末の週末を迎えた、Tyler Perry監督の低コスト(制作費:US$16.7百万)・コメディー「Boo! A Madea Halloween」の興行収入(米国だけでUS$52百万)を大きく下回り、第一位の座を維持されたのだった。著しく評判の悪いこの「インフェルノ」は、ソニー・ピクチャーによると、素手の封切り後世界でUS$135百万の収入を確保したとされる。しかし、最大の映画史上である米国で、Ron Howard監督にとっては、4作続けての失敗作となった。彼の最後のヒット作は、2009年のやはりダン・ブラウン原作の「天使と悪魔」であるが、それ以降、「The Dilemma(2011」、「Rush(2012)」、「In The Heart Of The Sea(2015)」、そして本作と失敗作が続くことになった。それに対し、ソニー側は、我々はRonの映画を誇りに思っており、この映画が世界中の観客の支持を集めていることからも明らかであるというコメントを公表している」と続いている(以降は、最近の映画一般の講評なので省略)。

 そもそも、Dan Brown の作品は、ややペダンティックなミステリーであるが、それでも「The Da Vinci Code」はその新鮮さ故に、また「Angel & Demon」は、分かり易い物語展開故に、原作のみならず、映画もなかなか見ごたえがあった。しかし、私に言わせれば原作自体が失敗作である、ワシントンDCを舞台にした「Lost Symbol」については、やや物語展開の構図が複雑になり、原作自体の印象もほとんど残っていない。そしてそれに比べればまだ分かり易い本作も、入り組んだ人物の役割が、基本的な物語の構図を判り難くしている。原作のその欠点が、映画では如実に示されてしまった、ということだろうか?観光ガイドを兼ねたラングドン・シリーズも、やや転換点に来ているのではないだろうか、と感じさせた、この映画版であった。

2016年11月5日 記