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Cats - Movie
監督:トム・ホーパー 
 昨年末、劇場で見たこのミュージカル(劇場版は、帰国日である1月5日が終演であった)の映画版が、年末一時帰国した後に公開された。シンガポールでの映画公開は、期間が短いこともあるので、日本からの帰国後、直ちに近所の映画館で夕刻の上映を見に行くことにした。

 劇場版の評にも書いたとおり、年末の新聞では、劇場版との比較で、この映画版もコメントされていた。それによると、「Tom Hooper監督の映画版のCats は、半分人間、半分猫のデジタル衣装で飾られた奇妙な生き物が登場する。これは批評家たちを悩ませており、ある評者は、『ゴミ箱の中での、毛皮の乱交の一歩手前』の映画とまで言わせた。」とのことである。映画であるが故のメリットをどのように生かしているのかが、この映画版を見る際のポイントとなるのであろう。

 夕刻6時40分からの映画館はガラガラである。確かに、私のように、劇場版との比較をしようとする人間を除けば、映画版だけ見る動機ははるかに少ないように思われる。

 いつもの聴き慣れた序曲で映画もスタートする。ただこれは映画の特権であるが、街の隅のゴミためだけの舞台一場だけで展開する劇場版と異なり、一般の街から、家の中、そしてゴミためまで、風景が変わる中、「半分人間、半分猫のデジタル衣装で飾られた奇妙な生き物」による冒頭のカンパニーでの「ジェリコ・キャット(Jellicle Cat)」の歌とダンスが披露されることになる。袋に入れられ、人間に捨てられた雌猫(Victoria)が、その後、全体の流れの中心になっていく。この映画版のキャストで、私が知っていたのはTaylor Swiftくらいで、このVictoriaが彼女かと思い、最後まで見てしまったが、このキャストは、実際には英国ローヤル・バレーのプリンシパルであるFrancesca Haywardというダンサーであった。

 その他のキャストも、劇場版からのイメージとは相当異なっている。マッチョなセクシーダンスを披露するRum Tum TuggerはJason Deruloという俳優が演じているが、どちらかというと丸々とした身体で、あまりセクシーという感じではない。またコミカルな太った猫も、劇場版は雄猫だったが、こちらはあまり外見的には映えない雌猫である。鼠ダンスやゴキブリの行進なども映画ならでは演出であるが、これはアニメを見ているような感覚をもたらすので、私としては今一歩。 Mungojerrie & Rumpleteazer のデュエット・ダンスの最後のキメも、劇場版とは異なる、ベッドの上でのポーズ。また、私はTayler Swiftに配慮したのかな、と感じた、劇場版ではあまり聴いたことのないソロ曲もある。そしてVictoriaが見守る中、通りの陰から Grizabella が登場し、主題である「メモリー」の一部が披露されるが、そのいかにも貧相な表情がアップで映されるのは、映画ならではの演出である。また王様猫(Old Deuteronomy)も登場するが、これも劇場版とは異なり、雌猫(どこかで見た顔だと思ったら、007映画のMを演じている女優であった)という設定になっている。

 映画なので、インターバルはなく、そのまま劇場版の後半に入る。こちらも年老いたGus the Theatre Cat のスローな囁きから、アップ・テンポのダンスに移る。続けて登場するThe Railway Catは、劇場版の汽車のパーツを組み合わせ、それが最後にまたバラバラになる舞台の演出とは全く異なり、列車の社内を動き回っていた猫が、国会議事堂を望む橋(Wataloo Bridge?)に出て、線路の上で踊るという展開である。Macavity を巡る若い雌猫のセクシーなデュエットは、雌猫一人のソロ(これがTaylor Swiftであったようだ)で、最後に黒人の雄猫が参加するという演出。王様猫は、拉致され、(テムズ?)川の船から水に落とされそうになるが、それを魔法で助けるのはThe Magical Cat。ただ彼は、華麗なダンスを見せるというよりは、周りからの「魔法で王様猫を助けろ」という期待を担いながら、自信なさそうに懸命の努力をするという演技の方が印象深かった。そしてGrizabellaによる「メモリー」。例の貧相な猫が、Victoriaにより通りから連れてこられ、「さあ歌って」とせがまれ歌い始めるが、冒頭はあえてなのだろうが、相当寂しげな「メモリー」である。それでも、「Touch Me!」と叫ぶハイライトは確かに歌唱力を感じさせた。そして、この夜のスターとして祝福されたGrizabellaが「天国への旅路」を辿るが、映画では、気球に乗り、部屋から天井を抜け、大空に舞い上がるという演出。こうして最後のエンディングは、猫たちがトラファルガー広場に繰出し、ライオン像に昇ったり、周りを徘徊しながら、空高く舞い上がっていく気球を追いかけるシーンで終了することになる。映画の終了は午後8時40分。ほぼ1時間50分の上映時間であった。

 まず、劇場版の評でも取り上げられていた猫のメークであるが、特に顔のメークが確かにより野性味をかもし出すもので、やや気味が悪いくらいである。劇場版では、やはりライブであることを配慮して最低限のメークしかできないが、映画版ではより本物の動物に近いものになっていた。音楽は、ライブではないが、聴きなれた曲を、それなりの実力歌手が歌うことからあまり違和感はない。そして踊りも、一部、明らかに生身の人間ではできない動きをしていたのも、CGを駆使できる映画ならではの演出であろう。もちろん既に述べたように、ワン・シーンの劇場版に対し、映画版では猫のサイズにあわせた室内や汽車の客車、あるいは街角からテムズの橋やトラファルガー広場に至るまで、舞台は刻々と変わっていくので、それなりに変化がある。ただ、私自身は、こうした舞台の変化はやや落ち着きがなく感じられ、また動物の動きとも併せ、何となくアニメを見ているように感じてしまったのは、大きな興覚め要因であった。
 
 ネットへの投稿をちらっと見てみると、「顔は限りなく猫に近いのに、身体は人間であるのがグロテスク」といった感想が多い。確かに、アバターのように、現実に存在しない生物を作るのであればそれで良いのだろうが、彼らはあくまで「猫」なのである。舞台の化粧は、そう感じさせないギリギリで演じられているが、映画版は、それが映画であるが故に行きすぎ、その結果中途半端になってしまったのではないだろうか?それは監督があえて意図して「怪奇映画」に仕立てたのだ、という意見もあるようだが、これは残念ながら怪奇映画ではない。その意味で、この映画版は、それなりの配役を排し、映画の技術を駆使したとは言え、やはり劇場版には勝ることはできなかったというのが、正直な感覚である。週の初め、月曜日ではあったが、映画館がガラガラであったのも分かる気がする。
                        
 2019年12月28日付、当地新聞(The Straits Times)に、Grizabellaを演じた Jennifer Hudsonに焦点を当てた、この映画版についての評が掲載されている。

 「何故、この猫は泣いてばかりいるのか?―歌手で女優の Jennifer Hudson は、この映画で演じることにたいへんな情感を感じており、撮影の期間中、常に眼を閏わせていた」と題された評は、以下のように続く。

 オスカー賞とグラミー賞、双方の受賞経験のある38歳の Jennifer Hudson(以下「ハドソン」)は、仕事中に涙することが多いが、それは不幸だからではなく、その反対に、特に歌っている時には、感極まるためである。そして最新の出演作である、映画版 Cat sの中で、特に「メモリー」を歌う時には、その感情から逃れられなかった。

 ハドソンは、映画の撮影のためにこの歌を35回歌うことになる。何故なら、最初の10数回はただ泣いているばかりであったので。そして結局最後までそうであった、と映画「Dreamgirls」のスターは告白している。彼女は、そのアカデミー賞を獲得した「Dreamgirls(2006年)」の Effie White を演じた際にも、監督の Bill Condon から「感情をコントロールするように」と言われた。実際彼女は、子供の頃から母親に歌わせられていた時から同じことを言われていたという。そして今回、これが、ミュージカルを知らない人々にも有名な曲であることーハドソン自身、この役を監督から要請された時も、ミュージカルの名前や曲は知っていたが、そのストーリーは知らなかったーから、その感情をコントロールするのは簡単ではなかった。

 実際、このミュージカルは音楽が核であるが、ダンスも重要である。そして映画版の配役にも、作曲者の A.L.Webber が関わった。映画版の監督は、「王様のスピーチ(2011年)」でオスカーの最優秀監督賞を、また映画版「レ・ミゼラブル(2012年)」でも高い評価を受けたTom Hooper で、その他の俳優、ダンサー、音楽家も、夫々異なる分野の主役級が集められた。主役の一人である Victoria は、英国ローヤル・バレーのプリンシパルである
Francesca Haywardが、俳優としてのデビューを飾っている。Munkustrap はニューヨーク・シティ・バレーのプリンシパルである Robbie Fairchild、Rum Tum Tiger は、R&B、ヒップポップのスターの Jason Derulo、Jennyanydots はコメディ女優の Rebel Wilson、Mr.Mistoffelees は、相対的には新進の Laurie Davison、いたずら好きな Macavity は、
Idris Elba、Bonbalurina は、ポップスターの Taylor Swift、老俳優の Gus the Theatre Catは、Ian McCallen、そして王様猫(Old Deuteronomy)は、Judi Dench が演じている。

 この中では、特に王様猫(Old Deuteronomy)の Judi Dench が異色である。というのも、この役は、従来は男性が演じていたからである。また Grizabella も、当初はウエスト・エンドの有名女優が予定されていたが、彼女が病気のため変更された。また、「映画では、このJudi を Grizabella にするという案もあった」と、現在、Macavity と Grizabella という二匹の猫を飼っているハドソンは笑いながら言う。「しゃれたアイデアだと思ったけれど、結局彼女は怪我をしたので、王様猫になったの。それは運命ね。」

映画では、Taylor Swift がMacavity を歌うが、彼女は、A.L.Webberと共作の新作である Beautiful Ghosts も提供しており、これは Francesca Hayward が歌うことになる。

 いずれにしろハドソンの「メモリー」は、確かに長く記憶に残る熱唱だった。この曲は、1981年にウエスト・エンドでの初演で演じた Elaine Paige から、同じ1981年、A.L.Webber プロデュースのアルバムで歌った Barbara Streisand 等、錚々たる歌手が歌ってきた。ハドソンは、これがたいへんな挑戦だということは分かっている。「何ができるかって?私は、私の感情がおもむくままに歌うしかないのよ。それが私の「メモリー」なの。」そしてこの歌手で女優は付け加える。「古典の名曲を歌う時は、それしか方法はないわ。」その彼女は、現在、ソウルの女王、アレサ・フランクリンの伝記映画である「Respect」を撮影中である。ハドソンは言う。「メモリーやリスペクトを歌う時、いつも母が言っていた言葉を思いだすの。あなたができる最善を尽くすだけよ、と。」「私はアレサのように偉大ではないけれども、ジェニファーとして偉大にはなれる。私は、今まで『メモリー』を歌った素晴らしい歌手のように偉大ではないので、Jennifer Hudson としてできることをやるだけなの。」

 Jennifer Hudson という歌手・女優は、私は今まで知らなかったが、今後、その新作映画である「Respect」を含め、頭の片隅においておこう。

鑑賞日:2020年1月6日