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スターリングラード
監督:ジャン=ジャック・アノー 
 新書版の独ソ戦を読んだところで、一般的にこの大戦争の転換点となったスターリングラード戦をネタにした映画があったことを想い出し、早速レンタル・ビデオで見ることになった。

 まず、新書版に描かれているスターリングラード攻防戦の意味合いや実態を簡単におさらいしておこう(新書全体については、別掲「ドイツ読書日記・政治・ナチス」をご参照下さい)。

 1941年6月の独ソ開戦以来、ドイツ軍の攻勢が続いていた1942年。ヒトラーは、侵攻の主要目標を南部コーカサスの油田地帯に定め、そのために側面を突かれる懸念を払拭するため、北部のスターリングラード制圧を命じる。そのためには軍事的にはスターリングラードを占領する必要はなく、「無力化するだけで十分」であったが、「表面的な勝利に幻惑された」ヒトラーは、ソ連の軍事力に対する過小評価と、「スターリンの町」の陥落が持つ政治的効果から、コーカサス侵攻と併せて、この町の占領という「二正面作戦」に舵を切ることになる。こうして1942年8月末、F.パウルス大将率いるドイツ軍によるこの町への総攻撃が開始される。しかし、ソ連側も、スターリンがここを何としても守り抜くとの覚悟を固め、「懲罰隊」による味方兵士の射殺等による退却阻止を含めた徹底した抗戦を指示することになる。空軍の支援も受けたドイツ側は、空襲により市街地を廃墟化するまで攻勢を強めたが、この瓦礫の山となった市街地は、ソ連守備隊にとっては格好の隠蔽された防御基地となる。こうして「ネズミの戦争」と形容された壮絶な市街戦が始まるが、もはや誤爆懸念からドイツ空軍の爆撃は出来ず、また動員された、本来は機動戦を展開すべき装甲師団や自動車化歩兵師団も、市街戦ではその力を発揮できないまま膠着状態となる。その間にソ連側の増援部隊が到着。逆にこの町の攻撃に主力を集中したために北と南の防衛線(イタリア、ルーマニア、ハンガリーの同盟軍)が弱点となり、11月にはドイツ主力軍が包囲される結果となる。軍事的な撤退判断もヒトラーにより拒絶され、また支援部隊の投入も奏功せず、冬の寒さも訪れる中、最終的に1943年1月末から2月初めにかけて、パウルスとドイツ軍は投稿し、この攻防が終了する。この攻防でのドイツ軍の損害は所説あるが、最低でも20万人近い戦力が失なわれ、「捕虜となったドイツ将兵9万人のうち、戦後故国に生きて帰れることができたのは、およそ6000名にすぎなかった」と著者は推定している。この独ソ戦の中でも、大きな転換点となった戦いを映画はどのように描いているのだろうか?

 映画の原題は「Enemy at the Gates」、2001年公開の米独英アイルランド合作作品である。監督はジャン=ジャック・アノー(私は初めて聞く名前)で、ネットの解説によると、「第二次大戦時にソ連の狙撃兵として活躍し、英雄となった実在の人物ヴァシリ・ザイツェフを主人公に、当時のスターリングラード(現ヴォルゴグラード)における激戦を描いたフィクション」であるという。しかし、新書版で描かれているような、この攻防の鳥瞰的な分析はなく、ドイツ軍による空と陸での侵攻を食い止めるため、ソ連側支援部隊がヴォルガ川を渡航する場面から映画は始まる。そこに登場する「ウラルの羊飼い」出身の狙撃手ザイツェフ。広報担当の政治将校ダニロフは、彼の腕を見込み、軍全体の士気高揚のために、彼の戦果を新聞で広めることを党幹部(ここでニキタ・フルシチョフが登場するが、彼が実際にこの町の戦闘に立ち会っていたかどうかは、現時点では私は確認できていない)に推奨し認められる。次々にドイツ将校を仕留めるザイツェフは、ソ連軍の英雄となっていくが、ドイツ側も彼を仕留めるべく、自軍の伝説的な狙撃兵(ケーニッヒ少佐)を投入する。こうして物語後半は、ザイツェフとケーニッヒの対決を中心に進むことになるが、そこでは瓦礫の山の中での二人の対決や、ロシア人少年スパイを使った騙し合い、そしてその幕間での女性兵士ターニャとの思慕等も描かれることになる。そして最後は、ザイツェフとケーニッヒ二人の決戦となり、映画は終わることになる。

 もちろんエンターテイメント映画であるので、新書版では「戦場ではない、地獄だ」と帯に書かれたこの戦争の悲惨さを描くことは本来の目的ではなく、あくまで史実は背景として使われているに過ぎない。また最終的にこの町の解放に繋がった戦闘やソ連軍の戦略等も語られることはなく、いつの間にか町は解放を祝う人々で満たされることになるが、それも良しとしよう。同様に、前述のフルシチョフの登場なども、まあ大目に見ておこう。そしてそうした本来は悲惨な戦争を、それなりに楽しめるエンターテイメント映画に仕立てた監督以下の制作陣の力は評価できる。俳優陣としては、主演のザイツェフをジュード・ロウ、政治将校ダニロフをジョセフ・ファインズ、女性兵士ターニャをレイチェル・ワイズ、フルシチョフをボブ・ホスキンスが演じているが、彼らは全て英国人である(俳優陣も私は初めて聞く名前ばかりであるーと思っていたら、その後、レイチェル・ワイズは、「ナイロビの蜂」(別掲)のテッサ役であったことを思い出した。どこかで見た顔だと思ってはいたが・・。)。主要人物では、ケーニッヒ少佐を演じたエド・ハリスだけが米国人であるが、ドイツ人やロシア人が主役級にいないというのもやや、という感じがする。いずれにしろ、英語での映画であるので、それもしょうがないかな、という感じである。コロナで非常事態がまた1か月延長された中での暇潰しとしてはまずまずの作品であった。

鑑賞日:2021年2月3日